第2話 『初変身は強引に』
『ようやく見てくれた。こっちですよ、こっちこっち! まったくもー』
目の前をふわふわと飛ぶ宝石は翼を強く打ち、自分の存在を主張している。シュールどころか奇妙すぎる光景だった。よくできたCGだと誰か言ってくれないものだろうか。
だがまぁそんな叶多の願いは儚く、他ならぬ宝石の言葉に打ち砕かれる。
『現実ですよ』
「マジですか」
叶多の頭がイカレたわけでもなく、紛れもない現実らしいその光景。思わず叶多は絶望を声に乗せて吐き出して、自分の頭を抱えてしまう。
いつの間にか胡座をかいていたらしい叶多の視線が床に刺さる。なんというか、グラウンドで暴れまわる男といい、今現在目の前を飛んでいる宝石といい現実を飲み込みきれない。
自分の周りで何が起こっているのか。漫画やラノベ、アニメじゃあるまいし。思考はどんどん現実から逸れていくが、周りで展開されているからには現実から逃げ切ることはできるわけもなく。
『力、貸しますよ。どうにかする気はあるんですよね?』
再度頭に響く声。どういう仕掛けかは知らないが、相手はどうやら叶多の思考を知っている様子。確かに叶多自身、どうにかしようと思ったのは事実な訳で。
「…………仕方ない」
話だけでも聞いてみるか、と。足音も立てずに廊下へと出た。
◇◆◇
廊下を駆けつつ、並走するように飛ぶ宝石に横目で視線をやる。
時間も無いので移動しながら説明します、というのは宝石の弁だ。確かに今こうしてるうちにもグラウンドでは教師たちが例の男を囲んでいて、状況がどんどん悪化していく。
何がどうなるかはわからない。だけど、何かがヤバいことはわかる。そんなモヤモヤとした思考が、叶多の足を回していた。
「じゃあ説明させていただきますね。今から貴方────叶多くんの体を、ほんの少しだけ借りることになります」
周りに人がいなくなったからか、念話もどきではなく普通に会話を始める宝石。
念話にしろどっちにしろどういう仕掛けになってるんだとか、なんで名前を知ってるんだとか湧き上がる疑問は尽きないがこの際飲み込んで頷いておく。と言っても走るのに必死でうまく喋れない、というのが正解なのだが。
「借りる、と言っても体の主導権はそちらにあるというか……融合、といいますか。変身って言った方が男の子には馴染み深いですかね?」
「アニメかよ」
「アニメじゃ無いです」
ボソりと呟いたツッコミも容易く流されてしまう。
変身、融合、体を貸す、主導権。いよいよ叶多の知っている現実からかけ離れ、考えることをやめた。
「そう、変身です。変身した暁には貴方の強い『性欲』をエネルギーとして、戦うことになります」
「せ、性欲? 今性欲って言った?」
「はい、性欲です。制約でも聖夜でもなく」
理解が追いつかないのに次々と色々なことを詰め込まれるモノだから、ハッキリしない返事ばかりが口を吐いて出てしまう。
気がつけば叶多は上履きのまま下駄箱を通り過ぎ、グラウンド目前まで来ていた。
「そして戦う相手はアレ。どうです、やれそうですか?」
宝石に表情なんてものはない。わかっているはずなのに、何故か横目に捉えた宝石が悪い笑みを浮かべたような気がした。
視界に広がったのはいつも通りのグラウンドと、その中央で変わらず暴れる男。
取り押さえようとする教師をなぎ倒し、今もなお必死に叫び声を上げている。そして、
「……おい、嘘だろ今の」
男は目の前で、教員を一口で丸呑みにした。
見間違いだと願いたい。目の錯覚だと願いたい。だが今目の前で、紛れもない現実で、口の先から飛び出た足が徐々に男の胃袋へと飲み込まれて行っている。
「現実です。紛れもない」
そして何より、隣にいる宝石が理不尽に現実を叩きつけてくる。
紛れもない現実。戦う相手はアレだ。人間であって、人間ではない。アレと、戦えと。
回る叶多の思考。流されてあと一歩というところまで来て、理不尽な恐怖が自分の首根っこを引っ張ったような気がした。
「……今どうにかできるのは、君だけなんです。叶多くん」
背中を押す宝石の言葉。なんだか少し、してやったりと言いたげな声音だ。
……卑怯だと思う。
流れで目的の目の前まで押しやり、ついでに背中を蹴り飛ばすような言葉。
そして仕上げと言わんばかりに投げつけられた言葉。今戦えるのはおまえだけだ、おまえが断ればこれからもっとひどいことになるんだぞ、と。
「……なぁ、奇妙な宝石」
「その呼び方どうにかなりませんかね……うぅん。この世界の宝石の名前からカーネリアン……は長いな。リアン、とでも呼んでください」
「いやもうなんでもいいよ……じゃあ、リアン」
イマイチしまらないヤツだ、と内心叶多は苦笑。掴み所のない宝石、リアンに向き合い────まっすぐとした視線を向ける。
「おまえの手を取れば、どうにかなるんだよな」
「ええ、約束します。先ほど飲み込まれた教諭もなんとかしましょう」
「……よかった。アイツに貸した薄い本、まだ返してもらってないんだよ」
「いやなんの話ですかそれ」
なんてしまらない、とリアンから冷たい視線を向けられたような気がしたがお互い様だ。
しまらない会話、しまらない二人。非常事態だというのになんと緊張感のない二人だろうか。この二人に今後の学校の行く末がかかっているのだから現実はわからない。
そうこうしているうちに男も教諭のひとりを完全に飲み込み、次のターゲットを探すべく辺りを見回している。
視線が叶多に刺さった。何をしているんだ、次はお前だ、と。
「……あ、どうします、叶多くん? 変身ポーズとか、詠唱とか決めておきます?」
「いや、そういうの今はいいから。じゃあとりあえず────」
苦笑を浮かべ、宙を舞うリアンを右手に握る。そのまま強く拳を握りこみ、
「────変身」
ボソリと唱えた一節。それを引き金に、辺りに光が満ちた。
視界を塗りつぶす白。聴覚すらも塗りつぶす光が叶多を襲い、続いて体の中を何かが駆け巡る。
体の中身を書き換えられているような感覚。かなり不気味なもののハズなのに、かえって不快感どころか力が湧き上がってくるような気すらしてしまう。
『魔力形成器官作成、魔力循環、性欲の魔力への変換────オールグリーン。叶多くん、体に異常は?』
「ない、な。むしろさっきより良いくらい。しかも思考もなんか綺麗だ……真っ白っつーか」
光が消える。叶多の思考が徐々に戻り、見えたのは右手の甲に埋め込まれた緋色の宝石────リアンだ。
見下ろす格好は縁が一部赤く染まった黒いマントに、マントと同じ配色をした騎士礼装。
「……なぁ、なんで俺の変身後こんなに黒いんだよ。普通白とかじゃね?」
『いや、なんか叶多くんの力が強すぎるみたいでして……』
「何そのヤリすぎると黒くなるみたいな。俺ヤ○チンじゃないんだけど」
『誰もそんなこと言ってませんよ!?』
脳内で騒ぎ立てるリアンを流しつつ、体の調子を確かめる叶多。
握った手のひらにこもる力はいつも以上に強く、屈伸した感じ足の力もいつも以上。思考もヤケに雑念が混ざらずクリアで、視界も良好。
これが変身か、などと頷きながら、こっちを睨みながら吠える男に指を向ける。
「何で性欲なのか、とか疑問は絶えないし……この宝石に言ってやりたい文句は色々あるけどもさ」
一歩、踏み込む。少し緊張しているのか早鐘を打つ心臓を落ち着けるべく、長く呼吸を繰り返して。
「俺がやらなくちゃ大変なことになるってんなら、放っておけないよな」
啖呵を切って、地を強く蹴り飛ばした。
「……それで、認めてもらえるなら。存在を主張できるなら」
叶多のその呟きは、風に溶けて誰に届くこともなく。
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