ロードスター
ゆーのす
ロードスター
午後19時46分、会社から退社してきてすぐに駐車場の愛車に向かい、ドアを開けて疲れた体をシートに投げ出す。スーツのままなので、いくらかの窮屈感はあるが落ち着く空間が広がっている。
ユーノスロードスター。約20年前に制作されたこの車は今、俺の手の中に納まりエンジンに火を入れられるのを待っている。中古でワンオーナー、きれいに整備されたこいつを店頭で見つけたとき、一目惚れした。幸いにも工面した金で届く価格も決定打になり、とんとん拍子で購入に至った。納車から一年、社会人一年目、仕事もまだまだ覚えられずに腐りそうになる自分を支えているのは紛れもなく、ロードスターだった。
乱れる気持ちが落ち着いてきたので、ロードスターの儀式ともいえる屋根明けの作業に入る。スクリーンのチャックをあけ、バーの下へ押し込む。サンバイザーを下して天蓋のロックを外し、一気に後ろへと開けてオープンにする。夏の暑さがやっと遠のき、いくらか冷たくなってきた秋の外気が俺を包む。キーを差し込む。ACCまで回す。ラジオから流れるナックファイブが車内に息吹をもたらす。そしてニュートラを確認して遂にエンジンを始動する。小気味よいセルの音と武者震いとも形容できるような振動に続いて独特のエンジンサウンドが響く。無改造の純正マフラーはとてもいい。軽やかなサウンドが俺の緊張をほぐしていく。目的地はいつもの峠、流すだけの単なるドライブ。攻めることはせずゆっくりとロードスターとの対話を楽しむのだ。窓を全開に開けてフロントガラス以外は外という状況を作る、外気は寒いが吹き出し口から流れる温もりが優しい。最後にライトレバーを回し、リトラを上げる。これで外に出る準備は整った。次は走行準備である。サイドを下してクラッチを踏む。ローに入れて右足に微力な力を加えつつ、クラッチを離して繋ぐ。ゆっくりと車体は闇夜に向けて動き出した。
住宅街をゆっくりと滑るように抜けていく。静寂を切り開きロードスターは進む。住宅街を抜けて大通りにでる信号で止まる。時刻は20時を少し回る頃、行き交う車はまだそこそこの数が走っている、金曜日ということもあり家路を急ぐ車たちには休日を祝福するような雰囲気がにじみ出ていた。俺もそのうちの一人ではあるが。バイト終わりなのかまばらに高校生も散見され、ため息が漏れる。
「一年前は俺もあんな感じだったのか。」
つい感慨深く考える。あれほど毎日、飽きもせず車の話をして笑っていた生活がとても懐かしく思えてならない。あの頃はあの車がいい、あの車乗るならターボだNAだ、あの車は燃費が、維持費が云々言って真面目にバカ話を繰り広げていた。それが今や本当にスポーツカーに乗っているとは夢のようであるが、それ以外は暗澹と不安に駆られる毎日である。
信号が青になる、ロードスターは進む。シフトチェンジをするごとに、流麗なボディは秋風に負けじと加速する。全てが解けて闇夜に吸い込まれていく、悩みも憂いも何もかも・・・。いつしか俺はウキウキした気分でステアリングを握っている。4車線の大通りを行く対向車が作るヘッドライトの黄色い光の筋と、周りを囲む赤いテールランプの川の流れはぴかぴかと俺とロードスターを運んでゆく。なんていい時間なんだ、こんなに面白いのか、車は。
数十分後4車線から2車線に減少し、周りには小高い山と畑がひろがり、町の光もぼうっとミラーに映るだけになった。車もぐんと少なくなり、点在する家の暖かそうな明かりがぼんやりと過ぎ去っていく。辺りは真っ暗でところどころに道を照らす街灯があるだけだった。無人の駅の前を横切る踏切を超える。そうしてまた歩を進め、ゆるい左を抜けて林が開けると再び畑になる。その中にぽつんと、しかし周りがくらすぎて異様に明るく見えるコンビニとこじんまりとした交差点が視界に入ってきた。
ウインカーレバーに手をかけ、左に図示する。エンブレを利かせて減速、素早く左へ機首を向ける。この旋回性能は他では絶対味わえない乗り味だ、気持ちのいいことこの上ない。
この先は目指していた峠の入り口だ。あまり人気のない峠で走りやすく、長くはないしゆっくり走っても5分程度の長さである。俺はよくここまで足を延ばす。二往復程して帰ろうか逡巡するが、結論は気が済むまで流すことだった。対向も来ないのでハイビームに切り替える。目の前に黒黒と山の輪郭と、スカイラインが空とのはっきりとした境を浮き上がらせている。木々のなかにぽっかりとあいた口に吸い込まれるように、灰色の道は伸びてゆく。気持ちアクセルを開けて口に向かってのびやかにエンジンが声を上げていく。眼前に迫る入り口を目の前にして、ロードスターに一声かける。
さあロードスター、ゆっくり夜を楽しもうぜ。
ロードスター ゆーのす @Eunos-road-star
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