第6話 Cut4

 「明日でこの店を閉めるの。本当は、先月末のつもりだったんだけれど、あなたのことが、気になって、今日、第二水 曜日まで待っていた。だから、あなたが最後のお客さん」

 その人は、話し始めた。僕は何かが急に怖くなって、目を閉じた。何も見たくなかった。何も訊きたくなかった。

 「はじめから、1年か2年のつもりだった。こんなに細々じゃ、いつまでも続けてはいけないし、でも一度は、やらなければならなかったし・・・・・・」

 「やめてください。」

 その人の声と手がとまった。

 「なぜ、みんな、僕にそんなことばかりきかせるんだ。僕は、僕は、誰の苦しみもさびしさも絶望も背負いたくなんかない。知らず知らずに背負って、重たくなって、苦しくなって僕はそんなに簡単にいろんなものを捨て去ることなんかできない。」

 目を開けてしまうと、全部、僕の心に溜まった黒い泥や石を吐き出してしまいそうだった。

 「ごめんなさい。」その人と僕は、声を揃えるようにして同じ言葉を吐いた。

 それきり黙ったままその人はそれでもいつものように僕の髪に丁寧にはさみをいれた。

 何も吐き出さないよう、僕はゆっくり目を開ける。僕の目に最初に飛び込んできた鈍色の赤。

 「そのはさみ。」

 「えっ。」

 「その赤いはさみはもう使わないのですか。」

 その人は、僕の顔を鏡越しに真っ直ぐに見つめた後、もう一度、僕の髪に視線を落とした。

 「死のうと思ったときがあったの、この赤いはさみで。今から思えばたいした理由ではないけど、もうその時はそれしか本当に 考えが思いつかなかった。でも結局そのとき、親友が偶然、部屋に遊びに来て見つかってしまった。そのとき、言われたの。このはさみは、生きることを切るためにあるんじゃないだろうって。なんかわけのわかんない言葉だけど、そのときはその言葉がちょうど心にすっぽりと収まってしまった。」

 その人の手が少し震えた。

 「でも、彼女は、次の夜、死んだ。車でカーブを曲がり損ねたって。」

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