第13話 喪失のループについて

 カットと、駅前から少し離れたJazz Barに向かって歩いていた。ヒトミがよく顔を出す場所とのことだった。オープンの時間まで、まだ時間があるので、二人は、歩いていくことにした。完全に日が沈むまでのつかの間、長く伸びた自分の影をうつむいて見ながら歩いた。二人とも、無口だった。カットも、さっきと違って唇をきつく結んだようにして一言も話さなかった。 

 夏の時期、中学校の屋上に時折掲げられる旗について、思い出していた。

 学校の屋上に黄色い旗が掲げられると、部活動は中止になり、プールは閉鎖され、外出を禁じられた。教室の窓から、校庭の向うを見上げると、夏の空は、真昼だというのに、どんよりと暗く、灰色に沈んでいた。近くに工場地帯が隣接しているような町ではなかった。

それでも、一夏に何度か、黄色い旗は掲げられ、やがてそれは、赤に変わった。光化学スモッグ。そんな空の下で、なにか息苦しさを感じながらも、その正体がつかめないまま、たわいもない毎日を繰り返した。それが十四歳の夏だった。成績はそんなに悪くはなかったが、自分が思っているほどには、良くもなかった。誰かをいじめることも、いじめられることもなかった。ただ、ある時期、いじめられている友達を助けることはできなかった。怯えて逃げた。知らないふりをした。何も見えていないふりをした。たぶん、そういうことだ。

そんな言葉が、一番正しく、その時の状況を表している。日没を見に行った際に、海岸近くの丘の公園で出会った男の話を思い出す。高校の時に、ラッキーというあだ名をつけられ、いじめに合い、そして延長線上にない新しい未来を選び歩んだ男の話。

 ノートに詩を書きはじめたのもその頃だった。書いた詩は、時々、隣の席の子に見せるぐらいで、後は自宅の机の引き出しにほうりこんでいた。何のために詩を書くのかなんて、誰もそんなことを聞かなかったし、考えもしなかった。

誰かがピアノを弾くように、誰かが宿題をやるように、誰かが歌を歌うように、誰かがバイクに乗るように、誰かがグラウンドのトラックを疾走するように、ただ、詩を書いていたにすぎない。十七歳のクリスマスに、ノートに綴った自分の詩の全てを破り捨てた。ごみ箱に詰め込まれた詩の残骸を見ても、後悔などは感じなかった。どうして、そうしたのかよく思い出せない。何もかもがくだらないと思ったわけではないと思う。もしかしたら無意識に新しい未来を歩もうとしたのかもしれない。

 なのに、どうして、今、俺はこんなにも空っぽなんだ。空っぽの抜け殻のままだ。空っぽの中に、無造作にいろんなものが入り込んできては、すぐに消えていく。何度も、何度も繰り返し喪失を味わっているようで耐えられなくなる。どうしてこうなってしまったのだろうか。それは、もちろん、詩を綴ったノートを破り捨てようが、大切に残していようが、そのこととは何の関係もない。

たぶん、何もしてこなかったからだろう。延長線上にない新しい未来を選択する意志も勇気も持たず、その自信さえもなかったからだ。もっと正確に言えば、それらを、維持する力がなかったからだ。一定の間、ある意志や勇気や自信を持ち続けること、それだけが、新しい未来に進める唯一の方法なのかもしれない。

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