第4話 ワークブーツ

 風の強さは変わらず、雲の流れも早い。夕焼けは、途切れることなくその姿を変え、色あいも微妙に変わっていった。目を離さず見ていると、陽が少しずつ沈んでいくのがよくわかる。オレンジ色が太陽の周りを覆うように広がっていく。じっと見つめすぎたせいか、目が痛くなった。陽を背にして、頭を下げ、目頭を押さえる。足元のワークブーツに目をやる。ドクターマーチン製のワークブーツ。工場で履いていたものと同じぐらい実用的でシンプルなブーツだった。

 ワークブーツはもともと労働者が作業用に履く丈夫な靴のことをいった。主にくるぶしの上くらいまでの高さを紐で編み上げになっているものが多く、つま先が丸く、スティールトゥが入っていて、厚く丈夫なソールが付いており、全体的に頑丈な作りになっている。 

 今、履いているドクターマーチン製のワークブーツは、駅近くの古着屋を覗いたときに見つけた。黒色で、サイズもちょうどだった。状態を丹念に見ていると、若い背の高い店員が話しかけてきた。それ、いいですよ。地味な感じだけども、俺のお勧めのひとつです。

ドクターマーチン製四ホールのスティールトゥのワークブーツ。つま先にスチールが入っていて、ドクターマーチンにしては珍しい本格的なやつですね。よく鉄板入りっていいますが、実は合金で、たしかに鉄が主なんですが、鉄の持つ性能、つまり強度とか靭性、あと耐熱性なんかを人工的に高めているんです。だから正確には、鋼です。ドクターマーチンも、二〇〇三年以降は、もう中国やタイ製になっているんですが、これは英国製なんで稀少ですよ。まぁ、ちょっと履き古してはいるんですけど、その辺、気にしないなら、手ごろな値段だし、お勧めです。ちなみに俺が今履いているブーツは、これです。

 店員は、靴をこちらへ見せた。つま先にユニオンジャックがデザインされていた。ドクターマーチンのユニオンジャック八ホールブーツです。これを履いていると、なんかイギリスに行きたくなるんですよね。単純なんだけど。これって、昔からロンドンの若い奴はもちろん、ミュージシャンたちにも気に入られていて。たとえば、六〇年代のビートルズ、ストーンズ、フー、七〇年代のクイーン、ポリス、 八〇から九〇年代だと……誰だっけ?スミスとかだっけな。音楽って興味あります? 

イギリスなら、フーとポリスが好きだ。そう言うと、店員はうれしそうに話を続けた。俺、だいたい六〇年代後半から七〇年代のイギリスが好きなんです。その頃が、本当にいい時代だったとは思いませんが、はじめてのことがたくさん生まれた時代じゃなかったかと思うんですよね。はじめてのことって、なんていうか無邪気に夢中になれる気がするんです。今って、コピーというか、何やっても何かの真似になっちゃうし、オリジナルと言ったって、結局、何かと何かを混ぜ合わせて新しく見せかけているだけのような気がして。

 はじめてのことってなかなか見つけられないでしょう。好きなことをやり続けて、それがはじめてのことだったら、最高に幸せなんだけど。新しいことをはじめるためには、終わらせることも必要だって誰の言葉だったかな? それはそれで、わかるんだけれど、なんか寂しくて。だって今は、終わりばっかりがあって、その先の新しいことなんて、見つからないし。夢中になれるものって、探せば見つかるものなんですかね。それとも、自然に涌いてくるものなのかな。ガキですね、考えが。まったく。まぁ、その前に、俺なんて何にもはじめちゃいないのと同じだから、ぐだぐだ、えらそうなこと言っても仕方ないんですけどね。そうだ、アメリカなら、どのバンドが好きですか? 

 店員の話を、上の空で聞きながら、このワークブーツが欲しい、必要だと思った。金を払い、履いていたスニーカーをその場で脱ぎ、ワークブーツに履き替えた。悪くはなかった。自分に馴染むものを見つけるのは、こんな偶然からかもしれない。スニーカーは店で捨ててもらうことにした。ドアを押して、外へ出るときに振り返った。バンドじゃないけど。えっ、と店員が聞き返した。好きなミュージシャンさ。ボブ・ディラン。店員は、息を吸うような口笛を短く吹いて、渋いですねと笑いかけた。


 風をよけて、ジッポーで煙草に火をつける。顔を上げたとき、陽はもう海の中に沈んだ後だった。そんなものか。砂が口の中に入ってくる。ジャリとした音が聞こえ、それをつばと一緒に吐き出した。突風。目を閉じる。瞼の裏には、ただオレンジ色が広がっていた。

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