第2話 ブルーム
ホテルのバー・カウンターから歩み寄ってきたジョーが、少しアクセントはあるが、しっかりした日本語で言った。
「はじめまして。ジョー・ジョンソンです。JJと呼んでください」
「はじめまして田島俊彦です。トシと呼んでください」
日本語を流暢に話すオーストラリア人はシドニーにも数多くいるので、田島もていねいにあいさつした。
「田島さん。いやこれからはトシさんと呼びますね。驚かせてごめんなさい。実はジョー、JJとは僕が東日本大震災の取材で福島に行った時、偶然知り合ったんだ」
初対面の2人を椅子に腰掛けさせ、ディレクターの須藤が言った。
「えー! あの時、福島にいたんですか!?」
「はい。いわき市の中学校で英語の補助教員をしてました。地震はものすごく揺れたけど、住んでいたアパートは何とかダイジョブだった」
田島より少し背が低く、ブロンドの前髪が薄くなりかけてはいたが、ほぼ田島と同世代といった雰囲気のジョーが青い目を見開きながら言った。
「僕らもあの福島第1原発事故後、もちろん警戒区域内には入れなかったので、周辺のいわき市などで取材をしてたんだけど、その時ちょうど避難所にいたJJに声をかけたんです」
須藤は話しながらウエイターが運んできた2本目のピノ・ノワールをジョーのグラスに注いだ。
「原発事故の後、オーストラリア大使館からできれば日本を離れるか関西方面に避難するよう連絡があったけど、ワタスも日本で長年お世話になったス。何かみんなのヘルプすっべと思って、いわきに残ったよ」
ジョーの日本語には東北弁のような訛りがあった。
「JJはその後しばらくしてビザの関係もありオーストラリアに戻ったんだけど、今度の番組の企画で生きた化石の木ウォレマイ・パインを調べていて、もしかしたら彼が何か知ってるかと思い連絡したんだ。そしたらブルー・マウンテンズにオーストラリアの先住民アボリジニの聖地があって、そこに伝説の木があるっていう話を聞いたって…。ねえJJ」
「”ウォレマイ“とはアボリジニの言葉で、ウォッチアウト! 辺りを見回し、警戒しろ! という意味があるっス。ブルー・マウンテンズのアボリジニのセイクレッド・プレイスに伝説の木があると、知ってるアボリジニの友達から聞いたもんでナ」
ジョーは少し落ち着いた口調で言った。
「そりゃおもしろいと思って、早速そのセイクレッド・プレイス、つまり聖地の場所が分からないかってJJに聞いたんだ」
「でもね。セイチを荒らしてはいけないっスよ」
いかにも真面目な性格そうなジョーが、須藤を少し睨むように見て言った。
「分かっているよ。JJも聖地を荒らすと災いが起きるとアボリジニの友達から言われて、最初は二の足を踏んでいたんだけど、日本でいろいろお世話したじゃないかって何とか頼み込んで今回来てもらったわけなのよ」
「須藤さんには東京でうまいもんを食わせてもらったし、まあ東北人はギリガタイっからさぁ…」
「ハハハ。義理堅いなんて言葉をよく知ってますね」
◇
田島がテーブルの小皿のオリーブを1 粒つまんでジョーに尋ねた。
「それで、JJはシドニーの生まれ?」
「ノー、ブルーム」
「ブルームなの!」
「トシさんは行ったことある?」
ブルームは西オーストラリア州の州都パースの北約2000キロにある亜熱帯気候の町で、かつては真珠産業で栄え、和歌山県などから真珠貝を採取する日本人ダイバーも多く従事していたことから、町には約900基の墓石が立つ日本人墓地もある。
「ブルームはビーチも美しいし、僕も何度か仕事で行ったことがあります」
「ちょっと前にブルームの市議会が、日本の調査捕鯨に反対して日本の町との姉妹都市関係を破棄したっていうニュースをやってたよね」
「ブルームと日本の関係はすごく古くて、シンジュ・マツリという日本語の名前がついたフェスティバルが毎年ありマス。和歌山の太地町とのシスター・シティ関係も今では元通りになってるべ」
「そりゃよかった」
須藤がグラスに残ったワインを飲み干して言った。少し頬の赤みも増していた。
「ブルームには、日本人とアボリジニのハーフやその子孫も多いですよね」
「イエース! ブルー・マウンテンズのジュラシック・ツリーのことを教えてくれた友達も、お父さんが元シンジュ・ダイバーの日本人で、お母さんが地元のアボリジニ、ヤウル族の人なんスよ…」
「まあ今日のところはこのくらいにして、僕も少し眠くなってきたんで続きは明日やりましょう」
アルコールもまわり饒舌になってきたジョーをさえぎるように須藤が言った。
「あのー。僕は明日から何をすればいいんでしょう?」
何か自分の役割がよく見えない田島が須藤に尋ねた。
「トシさん、カメラは少しまわせるよね?」
須藤が半分目を閉じながら言った。
「はい、簡単なものなら…」
「じゃあ、明日はえーと朝9時出発で、それまでに各自で朝食はすませておいてね」
と須藤は言うと、さっさとエレベーター・ホールに消えていった。
「ワタスは車にちょっと忘れ物したんで取ってきまス。それじゃsee you!」
ジョーも外の駐車場へと出て行った。
◇
翌朝、田島はホテル1 階のレストランでビュッフェ形式の朝食を1 人でとった。オーストラリアではマンダリンと呼ぶ蜜柑にキウィフルーツやバナナが無造作に山積みにされていた。田島は、ホテルのシェフが目の前で焼いてくれるスモーク・サーモン入りのオムレツができ上がるのを待っていたが、ふと周りを見ると隣でシルバーの盛り皿からスクランブルエッグをすくう見覚えのある人物に気が付いた。
昨日の朝、ディレクターの須藤を待つシドニー国際空港の到着ロビーでバッタリ会ったドライバー・ガイドの平松康弘だった。
「ヤスさん! こんな所で会うなんてこれぞまさしくいつも言う共時性、シンクロニシティってやつじゃないですか!」
「あっ、まあそうだね…」
会うといつも陽気に声をかけてくる平松が、少しバツの悪そうな表情をしてレストラン隅のテーブルに座る2人に目をやった。ノーネクタイのシャツにグレーのジャケットを羽織った日本企業の幹部風の男と、長いダーク・ヘアに目鼻立ちのはっきりした美人外国人秘書風の女性が食事をとっていた。
「あっクライアントと一緒?」
「う、うん。じゃまた」
平松は取り皿にスクランブルエッグをのせただけで、そそくさと隅のテーブルの方へ戻って行った。真っ黒に日焼けした平松の顔にはいつもの似合わない八重歯をのぞかせる笑顔はなかった…。
(つづく)
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