化石の木〜ジュラシック・ツリーを探せ!〜飯島浩樹著「奇跡の島〜木曜島物語〜」(沖縄教販刊)収録
@mchiroki
第1話 ジュラシック・ツリーを探せ
空港に向かう道はいつもより空いていた。
田島俊彦の住むシドニー北部のノース・ショアと呼ばれる地域からシドニー国際空港まで、渋滞などなければ25分ほどで到着する。
オーストラリアやニュージーランドで行われる日本のテレビ局の番組やコマーシャル撮影をサポートする撮影コーディネーターの仕事をかれこれ十数年続けてきた田島にとって、クライアントの到着を迎える空港までの道のりは、まさに自宅から会社に通勤するようなものだった。
「ちょっと前ならこの手の仕事でも現地カメラ・クルーぐらいは雇っていたのに…」
空港の到着ロビーで、日本から到着するテレビ番組のディレクターを待ちながら、田島はつぶやいた。すると誰かが田島の背中をポンと押した。振り返ると、ドライバー・ガイドの平松康弘が真っ黒に日焼けした顔に似合わない八重歯をのぞかせ微笑みながら立っていた。
「やあトシちゃん! 元気?」
「あっヤスさん」
「こんな所でバッタリ出くわすなんて、シンクロニシティだねえ! トシちゃん」
ひと昔前に流行った茶髪の髪を整えながら平松が言った。
「また共時性ってやつの話ですか。いつも空港で会ってるじゃないスか!」
「いやいや偉大な心理学者のユングをバカにしちゃいけないよ。集合的無意識ってのはね、本当に起こり得ることなんだよ…」
東京の有名私大の哲学科卒だという平松は、唐突に学術用語を持ち出して話すのが癖で、二流大学の経済学部出身の田島にとっては、相手にするのが少し面倒くさい相手だった。
(憎めない人なんだけど…ウザイ!)田島は心の中でつぶやいた。
日本発便の客が、ぞろぞろと到着ロビーに姿を現し始めた。
「お先に!」と、平松が到着した迎えの客とともに空港から去ってからほどなく、黒いポロシャツの襟を立てたいかにも業界人風の男が現れた。
「須藤さんですか?」
田島は駆け寄り、その浅黒く精悍な顔つきの男に声をかけた。
「あー田島さん? 須藤です。ウチの江尻がよろしくと言ってました」
江尻とは須藤の上司で、今回の仕事を田島に依頼したテレビ局のプロデューサーだった。以前、田島は別の撮影で江尻と面識があった。「今回はお1人なんですね?」。周りを見回すように田島は須藤に聞いた。「そうなんですよ。ご存知の通り最近はコスト削減ばかりでうるさくて、簡単に撮影クルーも手配できないんです」
空港1階の到着ロビーから外に出ると、田島は荷物をステーション・ワゴンの荷台に載せ、須藤は後部座席にどっかりと座った。空港からM4モーターウエーに入り、ほぼ一直線の道を田島は西に向かってワゴンを走らせた。
田島はバック・ミラーで須藤が眼を閉じたのを確認し、ハンドルを握り直した。前方には青く煙るブルー・マウンテンズの山々が見え始めていた。
シドニーの6月は冬、特に山間部の朝晩は結構冷え込む。
予算がないと言う割には、ブルー・マウンテンズのリゾート周辺でも少々値段の張るホテルを予約した。もちろんプロデューサーの江尻の指示だった。ホテルに到着すると、須藤は格安航空便の狭い座席と長時間フライトの疲れを取るために少し部屋で休むことにし、午後7時に1階のバー・レストランで田島と落ち合うことにした。
外は日がとっぷりと暮れ、立派なサンド・ストーンで囲まれた暖炉に火が灯された。6月の季節はずれのクリスマス・ツリーに取り付けられたデコレーション・ライトが、色とりどりに点滅を始めた。
「なかなか口当たりがよくて飲みやすいですね」
まずは乾杯のビールを飲み干した後、田島がオーダーしたニュージーランドのセントラル・オタゴ産のピノ・ノワール・ワインをひと口飲んだ須藤が言った。
「ところで、本当に”あの木“を撮影できるんでしょうか? 江尻さんが今回は須藤さんのアテンドだけでいいって言うんで、特にリサーチもしてないんですけど…」
「ええ、生きた化石の木、ウォレマイ・パインが発見された場所が、今でも極秘にされているのは十分承知しています」
ウォレマイ・パインとは、2億年ほど前の中生代ジュラ紀に繁殖していたという高さが35メートルにもなるナンヨウスギ科の巨木で、それまで化石でしかその姿が知られていなかったのが、1994年にシドニー北西のウォレマイ国立公園内の谷底で自生しているのが偶然発見されていた。
「”あの木“が、ここブルー・マウンテンズのある国立公園内の険しい崖の下に100本ほど寄り添うように自生していて、それを空から撮影したカメラマンも、その場所がバレないように現地に行くまでヘリの中で目隠しをされたらしくて、木が自生している場所が当局によって厳重に守られているっていう話は聞きました」
「そうなんです。特に周辺は世界遺産にも指定されていますから、僕らが変な行動をすれば、罰金どころか逮捕される危険性もあるんです」「ええ。分かってますよ」
須藤は空になった田島のグラスにピノ・ノワールを注ぎながら落ち着いた口調で言った。
「そのウォレマイ・パインですが、原木から採取した枝から、まあクローンというと大げさですが、シドニーの植物園が苗木を育て栽培、繁殖させることに成功し、鉢植えのジュラシック・ツリーとして日本へも売り出していることは、須藤さんもご存知ですよね」
「うん。大量にクローンを作って栽培すれば、それだけ希少価値がなくなって、わざわざ原木を盗みにくる意味もなくなる。原木の保護基金を稼げるだけでなく、盗掘を試みる不届き者から自生地を保護できるっていう、まさに一石二鳥の戦略だよね」(そこまで分かっていてなぜ俺を雇ったんだろう?)と、田島は心の中で思った。
「それに今回は、あまり無理して自生のウォレマイ・パインを撮らなくてもいいかなと…」「えっ何も撮らなくていいんですか?」
田島は少し呆気に取られたような表情で須藤に聞き返した。「いえいえ、もちろん何か見つけて撮らなければ日本に帰れないんだけど、実は今回、別のジュラシック・ツリーを探し当てることができればと思っているんです」
「別のジュラシック・ツリー?」
「うん、一応これは秘密情報なので、今まで田島さんにも内緒にしていたんだけど、ちょっと知り合いからウォレマイ・パイン自生地の近くに、別の種類の生きた化石の木があるという情報を入手したんです」
「ええっ? こちらのメディアではそんなニュースどこも報道してませんよ!」
日本人が興味を持ちそうなオーストラリア国内メディアの報道は、職業柄逐一チェックしているつもりだった田島は、少し興奮して声を張り上げた。
「まあまあ落ち着いて。本当の目的を伝えていなかったことは謝ります。ただ、これはまだ本当かどうか分からないですよ。もしかしたら眉つば情報かもしれないし…。ほら昔『ナントカ探検隊』っていう番組が流行ったでしょう? ああいう”ノリ“でいいんです」
「ああ、そういう”ノリ“なんですね…」(それならなぜ秘密にする必要があるのか?)と、田島は一瞬疑問に思ったが、とりあえず納得して答えた。
「でも、その場所の地図とか、何か”アタリ“とかあるんですか?」
「ええ、実は…。ヘイ、ジョー!」
須藤はちょっと照れくさそうに、バー・カウンターで1人で飲んでいた男に向かって英語で呼びかけた。
「彼がその”アタリ“なんです」
「はじめまして、ジョーです」
須藤に呼ばれた背のあまり高くない白人のオーストラリア人が、田島たちのテーブルに歩み寄り、流暢な日本語で挨拶をしてきた…。
(つづく)
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