第5話
食事が終わり、直枝は食器をかたすと扉から出る。ラルとヴァルトルートはすでに食堂にいなかった。
廊下に出てすぐ、彼女は話しかけられた。
「君が管野直枝少尉?」
なんだと思いながら振り返ると、ブルネットの髪をした女性がいた。
セーター姿とスラックスは、一見して軍人ではないと分かる。どこか快活そうで、茶目っ気のありそうな瞳。直枝はリベリオン人だろうと見当をつけた。
彼女はもう一度「管野少尉?」と訊いた。
「そんなやつは知らねえ」
背を向けて歩こうとする。女性はあははと笑った。
「管野少尉だね。そういう返事をするってさっきのウィッチに言われた」
「誰だそりゃ」
「クルピンスキー中尉」
「あの野郎」
呟いてから、改めて女性に向き直った。
「あんた誰だ」
「あたしはシーモア。デビー・シーモアっていうんだ。カメラマンしている」
彼女は右手を指し出した。直枝は無視。
デビーは手を引っ込めた。
「リベリオンのグラフ誌と契約しててね。取材のためにオラーシャまで来たってわけ」
「これから寒くなるってのにご苦労なことだ」
デビーは首から一眼レフのカメラを提げていた。ポケットは膨らんでおり、ペンが刺さっている。恐らくメモ帳が入っているのだろう。他に紙袋を小脇に抱えていたが、中身がなにかは分からない。
食堂の扉が開いて、ニパが出てきた。彼女はデビーを見るなり言った。
「あ、その人。カンノを探していたお客さん」
「本当にオレの客なのか」
少し驚いてデビーを見る。
「なんでオレ? こう言っちゃなんだが、初対面だぞ」
「港であたしのことを助けてくれたでしょ。お礼を言いたくて」
直枝はようやく合点がいった。留置場に放り込まれた原因は、女性が兵士に絡まれているところを助けたからだったが、その当事者なのである。
「留置所に入れられてたって聞いたから身元引受人になりたかったんだけど、どこだか分からなかったんだ。あのときはありがとう」
改めて握手を求める。今度の直枝は応じた。
デビーはにこりとする。
「で、お礼ついでに取材がしたくて」
「誰を」
「管野少尉と他全員」
「勝手にやんな。あとこの部隊全員揃ってねえぞ」
「それは聞いたよ」
二人は会話をしながら、通行の邪魔にならないよう端に寄った。ニパはいつの間にか立ち去っていた。
直枝はデビーを見上げていた。デビーの背が高いためだが、恐らく平均的なリベリオン人よりは低いだろう。上を向いた姿勢のままで言う。
「オレだってここを知ってるわけじゃない。むしろ知らねえことばかりだ。食堂行くのだって迷った」
「さっきネウロイを撃墜してきたって聞いたけど?」
「耳が早いな」
「職業柄だよ」
正式な広報でもない限り、一般人が戦況を知る手段はまず存在しない。しかしデビーのような職業だと、どこからともなく情報を得ていた。
直枝は答えた。
「たいしたことじゃない。ただ久しぶりのオラーシャだから勘が鈍っていた」
「共同撃墜なんだって?」
「戦果認定に不備があんだよ」
「今までのオラーシャ方面に比べて変化は?」
この質問に、直枝は怪訝な顔をした。
「なんだそりゃ」
「管野少尉は今までもオラーシャで戦っていたじゃない。そのときと比べてネウロイに変化があるのかって思って」
少し首を傾げた。
「さあな。ネウロイはネウロイだ」
「じゃあ502が編制された意味について」
「知らねえっての」
面倒くさそうに直枝は答える。実際に深い事情は知らない。
「必要だからできたんだろ。ラル少佐に聞いてくれ」
いい加減な返答だったが、デビーはメモ帳を取り出し、律儀に書きこんでいた。
「じゃあ、この基地で仲のいいウィッチは?」
直枝は顔をしかめる。
「なんだって?」
「友達。いない?」
「あのなあ、オレはウィッチだぞ。オラーシャまで遊びに来てるわけじゃねえ」
「いない、と」
デビーがまた書きこむ。直枝は憮然とした。
「一人で戦う方が気楽だって付け加えてくれ。あ、いや」
直枝は言い直した。
「いつか
「なるほど」
彼女はメモ帳をポケットにしまった。
「ありがとう。当分ここにいるから、また取材させてもらうよ」
「一応最前線だぞ、命の保証はない。とんだ物好きだな」
「おかげで退屈しないよ」
デビーは手をひらひらさせながら、廊下の先へと歩いて行った。
直枝はなんとなく彼女の背中を見送っていた。
「終った?」
ニパがひょこり顔を出す。直枝は飛び上がりかけた。
「なんだ、いたのかよ」
「終っただろうと思って、戻ってきたんだ。知らない人だとワタシ緊張するから」
直枝は疑問に思った。人見知り自体はそれほど珍しくないが、今のニパからはそう感じない。自分と知り合いになって二日とたっていないはずだ。
「なんでオレとは話しできんだ?」
「なんでだろう。カンノとは平気なんだよねえ。あとクルピンスキーさん」
「褒め言葉だよな。道端の地蔵と同じで話しかけられるとかじゃなくて」
「地蔵?」
不思議そうになるニパ。直枝は手を振った。
「忘れてくれ。さっきのあいつはカメラマンだ。リベリオンから取材に来たとさ」
「へえ」
ニパも直枝と同じように、デビーが去った方向を見ていた。あっちは司令官室があるはずである。
「ワタシたちを取材して楽しいのかな」
「オラーシャ方面の戦いなんて、地味か悲惨かの二つだぜ。よくやるよ」
「逃げ出さなきゃいいけどねえ」
ニパが腕を組む。そのあたりは、直枝も同感であった。
* * *
司令官室でラルが書きものをしているときにデビーはやってきた。
「失礼しますよ」
「入ってくれ。字ばかり見ていてうんざりしてたんだ」
ラルは座ったまま、リベリオンのカメラマンを歓迎した。
一般に階級というものは上がれば上がるほど書類仕事が増えると相場が決まっている。ラルも今朝から「弾薬の納入」「敵機空襲時における避難手順」「冬期オラーシャにおけるストライカーユニットの塗装指定」にはじまり、「ストーブに一度に入れる薪の本数を一本から二本にすべき」や「迷いこんできた野良猫に階級をつけたい」などの些末なことまで、いちいち目を通す羽目に陥っていた。
例の三人に注意をし、朝食時間で一服することができたが、司令官室に戻ってきたらまた書類が増えている。全部に火を点けようかと真剣に考えていたところであった。
デビーは苦笑いをした。
「書類仕事はウィッチの天敵ですね」
「ネウロイは上層部に金を渡し、私を書類で溺死させようとしている。実に効果的だ」
彼女は「野良猫は大将にでもしとけ」と書きこむと、既決の箱に放り込んだ。
「この書類から逃れられるのなら、無駄話だろうとつきあうぞ」
「取材許可のお礼を持ってきました」
デビーは紙袋からリベリオン製ウィスキーの瓶を取り出した。
ラルは少し笑う。
「それはいいな。座ってくれ」
司令官室には立派なソファと木製テーブルがある。デビーに座るよううながした。
棚からショットグラスを取り出して並べる。デビーがウィスキーの封を切って二人分注いぐ。
軽くグラスを掲げて乾杯。もっともラルは口をつけなかった。
「オラーシャはどうだ?」
「はじめて来たんですけど、思ったより静かですね」
デビーは答えた。
「管野少尉には物好きって言われました」
「静かなのは今だけだろうからな。前は激戦区だった。多分、これからも激戦になる」
「派手に戦ってるのはブリタニアの501だと思っていたんですが」
「ブリタニアとオラーシャ、両方で戦えばネウロイの脅威を分散させられるだろうな」
「司令部はそのために、ペテルブルグに統合戦闘航空団を作ったんですか?」
「軍機に触れる」
と言ったものの、そのあたりは勘のいい人間ならすぐ分かることであった。腕利きのウィッチを遊ばせておくほど人類には余裕がない。
ラルはショットグラスを手にしたまま言った。
「ネウロイはオラーシャの大地に山ほどいて、こちらの物資は滞りがち。補給路はカレリヤ方面に頼りっきりだ。ネウロイもこの状況を利用しないほど間抜けではなかろう」
「リベリオンには、そのあたりを分かってくれる人が少なくて」
デビーはウィスキーをちびちび飲んでいた。
「やっぱりネウロイの脅威が身近にあるとないとじゃ、感覚が違いますからねえ。無邪気に戦いを肯定する人と頭から否定する人ばかりですよ。あとは興味ない人」
「平和で結構なことだ」
リベリオンや扶桑のようなネウロイの侵略を許していない地域と、無事なところがほとんど存在しない欧州とでは、人々のとらえ方に違いがあると言われている。「扶桑事変」でネウロイに遭遇した扶桑皇国はともかく、リベリオンは戦いに縁遠いため、「なにやら別世界で知らないことをやっている」としか考えていない人間も多いという。帰省や退役でリベリオンに帰ったウィッチが、あまりの空気の違いにショックを受けた事例もある。
デビーがグラスを傾ける。
「ペテルブルグに到着したとき、兵士に絡まれたんですけどね。リベリオン人め、呑気そうなツラしやがってみたいなことも言われましたよ」
「リベリオンは欧州からの移民も多いのだがな」
「分家がどこよりも大きくなってしまっては、本家もいい顔しないってのは理解で
きます」
「人間はなんとも複雑だ」
「欧州も口出しされたくないってのが本音でしょうよ」
「だが欧州はリベリオンからの支援がなければやっていけない」
ラルは言った。
「全欧州はリベリオンに大きな感謝をしてる。そのためならウィッチの生活くらいいくらでも切り売りするし、雑誌の表紙を飾って広告塔になってもらう。扶桑人やオラーシャ人ならミステリアスな雰囲気も出る」
「だからあたしの取材を許可したんですよね」
ラルは直接返事をせず、「写真は分かりやすいからな」とだけ言った。
デビーはグラスを空にすると立ち上がる。ふと気づいたように、言った。
「そういえば、502にニックネームはありますか?」
「なんだそれは」
「501の噂を聞いたんですけどね。あそこはストライクウィッチーズっていうらしいですよ」
「
ラルは感心した。自発的なのか上から与えられたのかは知らないが、なかなか士気の上がりそうな通り名だ。
デビーは質問を繰り返した。
「こっちにはないんですか?」
「そうだな……君が帰るまでには考えておこう」
それまでに書類仕事が終っていたらな。ラルは自分で呟いておきながら、気が重くなっていた。
ブレイブウィッチーズPrequel/著:築地 俊彦 角川スニーカー文庫 @sneaker
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