第3話
翌朝。
直枝は自室のベッドでうつらうつらしていた。
ウィッチには個室が割り当てられていた。敷地が広い上に建物が余っているためだ。彼女たちは真っ先にネウロイと戦い損耗率も高いため、どこだろうとそれなりの贅沢が許されていた。これが激戦となり頻繁に移動すると、こうはいかなくなる。
ベッドからは木が湿気った匂いがする。直枝は寝ぼけまなこのまま、三枚重ねの毛布を首元まで引っ張り上げて寒さをしのごうとした。
と、なにやら気配がする。
室内でなにかがもぞもぞ動いている。直枝のベッドに近づいていた。
彼女は無視した。どうせキツネかなにかだろう。幼い頃扶桑の野山を駆けめぐり、ちょっと前までオラーシャで暴れた身にとっては、室内に動物が入ることくらい慣れたものである。なにしろ洗顔していたらクマが横切ったこともあるのだ。
いっそ簡易暖房器具としてベッドに引っ張り込んでやろうかなどと考えていると、毛布がもぞもぞした。
本当に入ってきたらしい。ずうずうしいキツネだ。そう思っていたらいきなり囁かれた。
「おはよう、直ちゃん」
人間の言葉を喋った。驚いて隣を見るとヴァルトルートの顔があった。
「うひゃあああ!」
直枝は思わず跳び起きる。
「なんだなんだ!?」
「昨晩は楽しかったよ」
ヴァルトルートはとろんとした眼で言う。つい自分の寝間着を確認する直枝。
当たり前だがなんともない。ほっとすると同時に怒鳴った。
「なに考えてやがる! お前、今入ってきたばっかじゃねえか!」
「いやあ、あんまり寝顔が可愛いもんだから、つい」
ヴァルトルートは悪びれていなかった。直枝は口を大きく開けた。
「黙れ。心臓が止まるかと思ったんだ」
「朝なのは本当だよ」
直枝は窓から外を見た。うっすらと明るい。それから枕元に置いた腕時計を見つめる。長針と短針は、寒さに負けず動いていた。
彼女は口をへの字にした。
「……まだ起床時間じゃねえぞ」
「知ってる。寝ているところを狙ったから」
「この野郎、失せろ!」
「別にいいけど、さっき僕たちの装備が届いたよ。
「それを早く言え」
直枝は急いで着替えると、自室を飛び出した。
ヴァルトルートと一緒に走る。明け方の空気は身を切るように寒い。それでも装備が届いたことによる高揚感が、直枝を包んでいた。
502JFW基地の大半は古い建物の再利用だが、
中に飛び込んだ。そこかしこに蓋が開けられたばかりの木箱が放置されており、整備兵が忙しげに動き回っている。そして中央には大きめの機械が据えられていた。
いっけん、手すりのついた階段にしか見えないが、内部にストライカーユニットと武器を収納した発進装置である。新品らしく、ぴかぴかだった。
直枝が手を叩く。
「よおし、さっそく慣し運転といこう」
ヴァルトルートが呆れる。
「直ちゃん、朝食は?」
「そんなのは後回しだ」
彼女は階段部分を駆け上がった。
整備兵に「早くしろ」とせっつく。機械音がして足元のシャッターが開いた。そこからストライカーユニットがせり出してきた。
直枝の顔が熱を帯びる。暗緑色に塗られたこのストライカーユニットこそが、宮菱重工業製零式艦上戦闘脚二二型甲だ。オラーシャの空を共に駆けめぐってきた愛機である。主人を待つように装着部を上に向けている。
発進装置の右側のボックスの扉も開いた。中には武器である九九式二号二型改機関銃が収められている。
直枝はストライカーユニットを装着した。ふわりとした感覚が心臓からせり上がり、全身を包んでいく。頭から垂れ耳が、腰からは尻尾が伸びる。ウィッチが魔力を発動した証明だ。
魔導エンジンを始動。放たれる魔力がプロペラとなって回転する。ストライカーユニットの足元に魔方陣が描かれた。
「出るぞ!」
彼女は機関銃を手に取る。ヴァルトルートが手でメガホンを作って口に当てた。
「直ちゃん、武器も持ってくの?」
「持たなきゃ慣しにならねえだろ!」
彼女はエンジン音に負けないよう大声を出した。
魔導エンジン全開。プロペラの回転が速くなり、直枝の身体が前に滑る。滑走路を進み、離陸速度に達する。
「管野一番、離陸する!」
滑走路から離れる。身体を持ち上げ、急上昇させた。
どんどん高度を上げる。ある程度に高さまで来てから身体を水平にして、旋回した。
上からだと第502基地の全貌がよく分かる。ペトロ・パウロ要塞はネヴァ川の河口にある島内に作られており、今は建物と滑走路が大半を占めている。要塞の外側は無人となった建築物と川だった。
基地上空を一周してから、高度を三千メートルに上げた。冬のオラーシャでしかも空の上は相当な寒さだが、魔法を発動しているウィッチにとっては、むしろ心地よいくらいだ。地上にいるときよりも気分はよかった。
南東に目をやる。ペテルブルグ市内だが、瓦礫の数がぐんと多くなる。ネウロイの攻撃を受けて破壊されたのだ。住民の多くは避難してしまったので修復されることなく、無残な姿を晒している。このような光景はペテルブルグだけではなく、欧州のあちこちで見られていた。
直枝は我知らず手を握りしめる。その向こうはモスクワ方面。雪の積もった鬱蒼とした針葉樹林が続いていた。
ペテルブルグからは道路も鉄道も延びているはずだが、木々に覆われて見えない。皮肉なことに、ネウロイの支配下に置かれて以降人間による開発がなくなったので、動植物は増加傾向にあるという。
ネウロイの姿はない。だが、ペテルブルグからモスクワ方面、そしてはるかウラルの地のどこかに存在しているのは確かだった。
と、下から声がした。
「おーい」
ヴァルトルートだった。メッサーシャルフ社製Bf109G6を装着している。塗り直したのか、ストライカーユニットの側面に書かれた黄色の5
直枝は露骨に嫌な顔をした。
「なんだよ」
「僕も慣らし運転をしておこうと思って」
ヴァルトルートは直枝の周りをくるくる回った。
「可愛い女の子を空で一人きりにしちゃ危ないじゃないか」
「オレは一人がいい」
「ニパ君も来るよ」
見ると、ニパが離陸して上昇してきた。
彼女のストライカーユニットもメッサーシャルフ社製で、ヴァルトルートのものよりやや旧式のBf109G2である。カールスラントからの供与品。
ニパは手をバタバタ振っていた。
「なんだって二人とも朝から飛んでるの。眠くない?」
「人のこと言えるのか?」
と直枝。
「眠けりゃ寝てろよ」
「なんか管野にお客さんが来てたみたいだけど」
ニパの台詞に、直枝はいかにも不審げな表情を作る。
「こんな明け方の最前線に客なんか来るかよ。別のメンバーだろ」
「民間人みたいだった」
「待たせときゃいい」
直枝はエンジンの回転数を上げると、南へ向って飛行した。
風に煽られて飛行服の裾がはためく。後方からはヴァルトルートとニパがついてきていた。
直枝は不機嫌さを隠さない。
「だから来んなよ!」
「そっち行ったら危ないじゃないか。すぐにネウロイの勢力圏内だ」
ヴァルトルートの言葉は嘘ではない。オラーシャ帝国西部はそのほとんどがネウロイのもので、人類はペテルブルグ一帯をかろうじて保持しているにすぎない。カレリア方面ならともかく、モスクワ方面は少数の防空監視哨しかなかった。
直枝はヴァルトルートをじろっと見る。
「そのへんくるくる回って着陸なんてつまんねえだろ」
「僕もつきあうよ」
「ワタシも」
「来んなっての!」
直枝は言うが、ヴァルトルートは引き返す素振りも見せない。ニパも同様だった。
三人は横に並んで飛行した。市街地はすぐに途切れ、枯れた草とうっすら積もった雪、木々が広がる大地となる。
かつてはこのあたりも人の手が入っていた。だが今は無人の地だ。
ところどころ装甲車両の残骸が見え隠れしている。ペテルブルグ前面では幾度も激戦が繰り広げられており、その名残である。
直枝は視線を下から前方に戻す。雲量は多くなく、視界は良好だった。
「おっ?」
左前方に黒い点が見えた。それは急速に大きくなり、巨大な鳥のような姿となっていった。
「ネウロイだ!」
ニパが言う。
中型に分類されるネウロイだった。黒く横に長い姿は鳥のようでも無尾翼機のようでもあり、ところどころに昆虫の複眼みたいな赤い部分があった。
ネウロイは一定の速度で接近している。こちらを捕捉したかどうかは分からない。
「偵察かな……?」
「なんでもいい。攻撃するぞ!」
直枝は叫ぶ。ニパが驚いた。
「管野が?」
「ああ、あいつはオレだけでやる!」
直枝は魔導エンジンの回転数を上げた。
重々しい音と同時に、直枝は一気に加速した。身体が冷たいオラーシャの空気を裂き、魔導エンジンの熱が飛行機雲を残す。
武器の九九式二号二型改を構える。狙いをつけた。
甲高い音共に銃口から弾丸が吐き出され、薬莢が宙を舞う。曳光弾が光跡を引いた。
弾はネウロイの後方に流れていった。
「ちっ」
直枝は舌打ちする。相対速度を見誤った。久しぶりの実戦なので勘が戻ってない。
もっと近づかなくては駄目だ。彼女はさらに速度を上げた。
「直ちゃん、本当に一人でやる気?」
ヴァルトルートの声がインカムに流れる。直枝は言い返す。
「そこで見てろ!」
中型ネウロイに接近する。見れば見るほど不気味な外観だ。どれだけ落としても、ネウロイから生じる不快感は消えることがない。
外れようのない距離まで近づこうとした。
いきなり、ネウロイの赤いパネル部分が光った。
何条もの光線が放たれる。直枝に襲いかかった。
「おっと!」
直枝は足を振ってストライカーユニットを前方にし、制動をかけて上半身を反らす。ネウロイのビーム攻撃は明後日の方角へ飛んでいった。
そのままバック宙のように一回転。また突き進む。普通の航空機にはとてもできない芸当で、ウィッチの特技だ。
ネウロイの姿が視界いっぱいに広がる。引き金を引いた。
曳光徹甲弾が吸い込まれる。今度は命中。ネウロイの外板が剥がれる。
だが中型ネウロイはなにごともなかったかのように、飛行を続けていた。
「固ぇ野郎だ」
直枝は再び攻撃しようと機関銃を構え直す。と、横から発砲音がした。
「僕に任せてくれ」
ヴァルトルートが攻撃を仕掛けていた。思わず直枝は叫ぶ。
「あ。このやろ!」
急いでヴァルトルートの横に並んだ。
「人の得物を盗るんじゃねえよ!」
「直ちゃんの得物ってきまったわけじゃないよ」
「あれはオレが撃墜すんだ!」
直枝はもう一度引き金を引く。今度は急いだため、明後日の方角に銃弾が飛んでいった。
「邪魔したから外れたじゃねえか!」
「そうなの?」
ヴァルトルートはそう言いながらも、発砲を続けていた。彼女の射撃は正確で、ネウロイの中央部に当たっていく。
それでもネウロイの飛行に変化はなかった。
「もっと近づかなきゃ駄目だなあ」
ヴァルトルートは魔導エンジンの回転数を上げると、排気熱で空中に白い跡を残しながら、ネウロイに接近した。
「待てよ!」
叫ぶ直枝の隣を別の影が通過する。ニパであった。
「危ないよ。ワタシも手伝う!」
ニパはカールスラント製MG42を構えると弾をばらまいた。甲高い連続音が鳴り響く。
彼女はヴァルトルートの後に続いていた。直枝を泡を食った。
「ここにゃ泥棒しかいねえのか!」
魔導エンジンを全開。全力運転で二人を強引に追い抜いた。
「おとなしくしてろって!」
「いいじゃないか」
「ワタシも助けるってば」
三人はごちゃごちゃ固まりながら接近する。と、ネウロイが少し速度を落とした。
次の瞬間、彼女たちに向けて光線が放たれた。
「うわっ、危ねえ!」
ビームが直枝のすれすれを通過していく。いくらウィッチと言えど、直撃を受けたらただではすまない。敵の切っ先をかわし、当たりそうな攻撃は魔方陣によるシールドを展開して防ぐ。
その後もネウロイは攻撃を続ける。そのたびに三人は、一塊になったまま上へ下へと回避した。
直枝は機関銃を持った反対側の手を大きく振った。
「お前らもっと散れよ!」
「僕の回避方向に直ちゃんがいるんだよ」
「二人とも、もっと慎重になろうよ」
ネウロイの絶え間ない攻撃に、三人は射撃位置につくこともままならない。それどころか空中で幾度も衝突しそうになっていた。
直枝は苛立たしげに怒鳴る。
「オレがすぐに墜としてやる! そこでじっとしてろ!」
彼女はいったん高度を上げた。ネウロイからの攻撃が止む。
頭上に出ると、今度は逆落としの体制になった。
「うおりゃー!!」
機関銃を構えたまま降下した。
照星にネウロイの姿が重なり、どんどん大きくなる。また光線が放たれる。
直枝は発砲しない。もっと接近してから撃つのだ。遠くより近くから撃った方が当たりやすいという単純だが効果的な理屈。
視界いっぱいにネウロイが広がる。
「てえっ!」
引き金を引く。九九式二号二型改機関銃の銃口から、弾丸が飛び出していく。
ネウロイの真ん中に命中。弾が炸裂する。
外板がいくつも剥がれ、破片となる。大きな機体がぐらりとよろめいた。
だがまだ墜落しない。ネウロイにはコアと呼ばれる部分があり、そこを破壊しないと活動を停止しないのだ。
「コアは!?」
ニパが目を凝らしている。まだ発見できない。
ネウロイが上方に向けて光線を乱射した。三人はごちゃごちゃになりながらも離れた。
「多分あそこの奥だ」
直枝が指さした。
「オレが吹っ飛ばす」
「僕がやるって」
「ワタシも」
三人は言い合っていたが、決着つかないと察するや吾先にと魔導エンジンの回転数を上げた。
密集しながらネウロイに向って飛んでいく。
「邪魔だ離れろ!」
「直ちゃんこそ射線の前は危ないよ!」
「頭下げてー!」
接近するにつれて、外板の剥がれた奥に、薄く光る物体が見えてくる。あれこそがコアだ。
「墜ちろっ!!」
直枝が引き金を引く。ほぼ同時にヴァルトルートとニパも発砲した。
銃弾がコアに吸い込まれていく。直枝たちはそのままネウロイの真下に抜けた。
見上げると、ネウロイの飛行速度が一気に落ちた。ふらふらと、いかにも頼りないものとなる。そして急速に分解をはじめた。
直枝は胸を張る。
「どうだ! オレの弾が当たった」
「えー、僕のじゃないかなあ」
「二人とも外れたんじゃない?」
また言い合いがはじまる。おかげで蛇行するネウロイが自分たちの頭上に来たことに気づかない。
「なんだよオレのスコア盗る気か!?」
「直ちゃん、スコアじゃ腕前は計れないよ。僕は計るけど」
「なんで二人ともそうがつがつしてるの?」
ヴァルトルートが反論してニパがぼやく。その間にも、力を失ったネウロイは中央部から真っ二つになろうとしていた。
「ん……?」
不審な音を聞いて直枝が上を見る。ネウロイが破片を撒き散らしながら爆発するところであった。
「まずいっ!」
慌てて離脱しようとする。そして二人に激突する。
「馬鹿っ、どけ!」
「直ちゃんからぶつかってきたんじゃないか!」
「あーもう!」
ネウロイが爆発。火炎と共に破片が撒き散らされる。
「ぎゃーっ!!」
三人を破片が包んでいった。
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