第2話
対照的に彼女は腕組みをして、三人をじっと見つめていた。
静かに口を開く。
「……私はつい先ほどまで、スオムススキー駅まで迎えに行っていました」
自己紹介もせず、いきなり喋り出す。
「もちろん必要があったからです。迎える相手はあなたたち」
声には透明感があり、まるで鈴が鳴っているようだ。ただ心底困ったような口調で、三人に聞き惚れる余裕はなく、むしろ緊張した。
「それがいつまでたっても到着しません。怪訝に思っていると、どんどん陽は傾きひとけはなくなり、駅前にたった一人取り残されました。風は冷たい上に野良犬はエサをねだってくる始末」
「いやあ、さすがサーシャちゃん。犬にもモテるなんて」
軽口を叩こうとしたヴァルトルートに、サーシャと呼ばれた少女は少しだけ目線を走らせる。この二人、どうやら顔見知りらしい。
サーシャは再び口を開く。
「さすがに帰ろうかと思っていたら、ウィッチが三人も収監されていると聞きました。慌てて憲兵隊に話を通し、何枚もの書類にサインをし、賄賂代わりにリベリオン製チョコレートまで渡して、ようやくここに通されたのです」
彼女は三人を順に見渡した。そして直枝の前で止まる。
「しかも理由を聞いて驚きました。喧嘩? 私たちウィッチの相手はネウロイだというのに、陸軍兵士相手に喧嘩したのですか?」
直枝は思わずそっぽを向いた。背中に冷や汗が流れる。
サーシャは直枝をじっと見つめてから言った。
「よくやりました」
「……え?」
さすがに直枝はきょとんとする。サーシャは平然と言った。
「ここは泣く子も黙るオラーシャ方面。破廉恥な男性にやんわりとやり過ごすだけではすみません。さすが管野さん、粗暴な兵士への対処も心得ているのですね」
「え、いやあ……」
直枝は仕方なく照れ笑いを浮かべる。サーシャは続けた。
「ですが、こういうことはなるべくなくしてください。ネウロイの相手をする前に、味方同士で争ってもいいことはありませんから。いいですね」
「はい……」
直枝は素直にうなずいた。どうしてかこのウィッチが相手だと、反発することができなかった。
サーシャは三人に、「では、行きましょう」と告げた。
元警察署から外に出る。外はすっかり暗くなっていた。
星が数多く瞬いている。住民の多くが避難したペテルブルグに、電力は一部しか供給されていない。ほとんど灯火管制の状態だった。
そのため曇り空でもないかぎり星はよく見える。直枝はしばらく上空を仰いでいた。
「乗ってください」
サーシャに言われ、慌てて車に駆け寄る。
リベリオン製の
サーシャはジープをすぐに発進させる。警察署はあっという間に遠ざかった。
「自己紹介がまだでしたね」
彼女は前方を見据えながら言う。
「私はアレクサンドラ・イワーノヴナ・ポクルイーシキン大尉。皆はサーシャと呼びます。あなたたちの紹介は不要ですよ。知ってますから」
あらかじめ軍歴に目を通してきたのだろう。迎えによこされるだけのことはある。
ペテルブルグの市外へと向う。初冬、しかも夜なので空気は冷たく、ジープに屋根はない。直枝とヴァルトルートは吹きつける冷気に顔を強張らせていたが、ニパは平然としていた。
直枝は頬を両手で叩く。
「どこ行くんだ?」
「基地です」
サーシャが答える。
「ペテルブルグの川沿いに基地を設置しました。そこが部隊の根拠地となります。司令官はラル少佐」
「詳しく聞かされてないんだけど、なんて部隊なんだ」
「第502
サーシャははっきりと、よく通る声で言った。
「502はペテルブルグを根拠地に、ネウロイと戦います」
「502……」
直枝が口の中で何度も呟く。ヴァルトルートは寒さをしのごうと、手を擦り合わせながら言った。
「統合戦闘航空団ってのはあれだよね、各国のエースを集めて集中運用すれば戦果も挙がるだろうっての。なんか戦車部隊みたいなネーミングなんだよねえ」
「そうです。スオムスの独立義勇飛行中隊がテストケースとなり、ブリタニア方面の501で有効性が確認されました。501が多大な戦果を上げたため、部隊数を増やすことが決定したのです」
「503や504もあるんだ」
「506までは検討されているようです。もしかしたらもう少し」
「そういえば、イッルも501に転属したんだよねえ……」
ニパが誰ともなく呟いていた。
周囲からはあっという間にひとけがなくなる。道路は石畳となり、しかも補修されていないためところどころに穴が開いていた。
助手席のヴァルトルートが息を吐く。白い息は風のためすぐ霧散した。
「僕ら以外にウィッチはいないのかな?」
「他にもいます。まだ到着していませんが」
「西部戦線のウィッチは可愛い子が多いんだよねえ。ここは過酷な東部戦線なんだから、可愛い娘がもっといるといいなあ。目の保養がしたい」
「ブリタニア方面を西部、オラーシャ方面を東部とするのはカールスラント人の傲慢ですよ、クルピンスキーさん」
サーシャはジープのハンドルを右に切った。
リベリオンからオラーシャに
しばらく走る。ここまで来ると除雪もされていない。やがてライトの先に、ぼんやりとゲートが見えてきた。
道路は橋に続いていた。どうやら島と接続しているらしい。その先にゲートがある。やけに立派な建物がいくつも目に入った。
サーシャはゲートでいったんジープを停めると、歩哨に身分証を見せた。歩哨は敬礼してゲートを開ける。
島の全周を壁と建物が取り囲んでおり、中央からは滑走路が伸びている。夜間のため
「一八世紀に建築されたペトロ・パウロ要塞を利用しているのです」
サーシャはジープの速度を落としながら説明した。
「候補地は他にもあったのですが、ここが一番適当でした」
「立派なもんだ。オラーシャ方面でこんな宿舎で寝起きするなんか、思ってもみなかった」
直枝が感心する。ニパも言った。
「同感。スオムスの前線じゃ、テント暮らしがしょっちゅうだったよ」
直枝はちらりと彼女を見て、
「まだまだだな。オレがデミヤンスクから撤退したときなんざ、最後は塹壕で寝てたぞ。しかも冬だ冬」
「オラーシャの冬なんか、スオムスに比べれば過ごしやすいけどなあ」
「冬は万国共通で過ごしやすくねえよ」
二人のやりとりにヴァルトルートも加わった。
「僕は木にもたれかかって寝たことがあるなあ。最前線から二キロしか離れてなくてさ、滑走路なんか林道だよ。他になにもなかったから仕方なく」
さすがに直枝とニパは呆れた。
「なんだそりゃあ」
「補給でも切れたの?」
「地面が泥だらけだったんだ。二晩もそんな感じだった」
直枝は首を振り、「お前の勝ちでいいよ」と答えた。
ジープを停めたサーシャが手を叩いてうながす。
「自慢話はそこらへんにして、下りてください」
三人は彼女に連れられ、白塗りの建物に入った。
内部は広く、ひんやりとしている。天井は高く、裸天球がぶら下がっていた。ところどころ経年劣化しているのが、なかなか時代を感じさせる。床だけはモルタルで塗り直されていた。
廊下を歩いて行く。薄暗いが、これは電力制限のため。
サーシャは廊下の奥にある扉をノックしてから開けた。
「失礼します。管野直枝、ヴァルトルート・クルピンスキー、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンの三名を連れてきました」
机で書類の山に向っていた女性が顔を上げる。
「ご苦労」
彼女は立ち上がった。
「私が第502統合戦闘航空団司令のグンドュラ・ラルだ」
ラルはすらりとした肢体の持ち主で、紅茶色の髪をしていた。精悍な顔つきだがどこか サバサバしたところも見受けられる。制服の上からコルセットらしいものを着用していた。
彼女は皆の前に立った。
「深夜の着任とはご苦労だが、なにしろ早くここに到着して欲しかったんでね」
「ひょっとして、オレたちだけ?」
直枝の質問に、ラルはうなずく。
「今のところは、そうだ」
「他にもいるって聞いた」
「転属命令は出している」
「早く連れてくりゃいいのに」
これにはサーシャが答える。
「私はそうしたかったんですが、なにしろ警察署で夜明かししそうな人たちがいたので」
直枝、ヴァルトルート、ニパの三人は揃って首をすくめた。
「質問」
ニパが手を上げる。
「なんでワタシたちが先なんです?」
「君らの装備、荷物が明日来るからだ。ストライカーユニットだけあっても仕方ないだろう」
ラルが答えた。ニパはさらに訊く。
「ワタシたちは適当に選ばれたんでしょうか」
「いや。各部隊に私が頼み込んだ」
はっきりとしたラルの声。
「ここはオラーシャだ。戦いの過酷さは他を遙かにしのぐ。生半可な覚悟では務まらないのだから、それなりのウィッチが必要となる。君たちが適任だと判断した」
「過大評価なんじゃ……」
「ここで生き残ったウィッチだ。それだけで十分」
彼女の台詞は嘘でも冗談でもなかった。
オラーシャでの戦いは「魔女の大鍋」と呼ばれるほど酷烈である。広大な土地に無数のネウロイがうごめき、戦闘を仕掛けてくる。人員と装備は砂場に撒かれた水のように吸い込まれていき、次から次へと追加を要求してきた。リベリオンや扶桑からの援助がなければ、ペテルブルグはとっくに「かつて人間がいた街」のひとつとなっていたはずだ。
このような戦いはペテルブルグ方面だけではなく、ウラル地方やコーカサスでも繰り広げられている。オラーシャは広く、全てがネウロイの脅威にさらされているのだ。
バルバロッサ作戦をはじめとして、この地で発動された作戦は大小合わせて数多くある。その全てが激戦であり、戦果も損害も多い。これらをくぐり抜けてきたとなれば、ウィッチだろうと普通の兵士だろうと一目置かれていた。
直枝、ヴァルトルート、ニパの三人は以前からオラーシャで戦っていたので、第502統合戦闘航空団に転属してもすぐ戦力になると思われたのだろう。なにも知らない新米では瞬く間に大地の染みになるのがオチだ。
「君たち以外の人員はおいおい到着する」
と、ラル。
「恐らくネウロイはすぐに歓迎部隊を送ってくるはずだ。とりあえず今日は寝ておいて、明日以降に備えろ」
ふと直枝は訊いた。
「寝床、あるのか?」
「それくらいは用意してある。古い建物だが、塹壕よりましだと思って我慢するんだな」
経歴を詳しく把握しているらしい。直枝は驚きと共にばつの悪そうな表情を作った。
ラルの話は終った。三人は敬礼して退出すると、サーシャに案内されてそれぞれの部屋へと向った。
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