第1話


 一九四三年、初冬。オラーシャ帝国ペテルブルグ市。


 管野直枝は鉄格子を蹴飛ばした。

 地下に鈍い音が響き渡る。格子は頑丈なので傷一つつかなかったが、音だけは戦略爆撃機の飛行音並に賑やかだ。もし周囲で白河夜船を決め込んでいる人間がいたら、確実に跳び起きるだろう。彼女はブリタニアにまで届けとばかり、もう一度蹴った。


「おい、いるのは分かってんだよ! 返事ぐらいしろ」


 一階への階段脇に常駐しているはずの警備兵はのぞき込みもしない。乱闘で逮捕された人間の言うことなど聞く必要ないと思っているのか、はたまたウォトカで泥酔しているのか。


「こんな辛気くせえとこに閉じこめてねえで、さっさと出しやがれ!」


 直枝は腹立ち紛れに、今度は足を痛めない程度に加減しつつ鉄格子を蹴飛ばした。


「けっ」


 直枝は壁に設置されているベッドに腰を下ろす。


「久しぶりのペテルブルグだってのに、いきなり留置所とはついてねえぜ」


 悪態をつくと飛行服フライトジャケット脱ぎ、乱暴に丸めてから枕代わりにして横になった。

 元ペテルブルグ警察ボロヴァヤ署の留置所は、染みとひび割れだらけの天井で彼女を歓迎していた。


 管野直枝は十四歳。扶桑皇国海軍所属の立派なウィッチだ。身長は百四十九センチと小柄。ツリ目気味でいつも身体に生傷を作っており、少女というより少年のような面影をしていた。

 扶桑出身だが欧州で戦い続けてきたウィッチである。遣欧艦隊の一員として派遣され、一九四一年におこなわれた反撃作戦にも参加した。この小柄な扶桑人の姿はひと目を引き、しばしば報道写真の対象にもなっている。

 戦いののち扶桑本国に帰国していたが、短期間で欧州の地に呼び戻された。だがペテルブルグに降り立った途端、騒ぎに巻き込まれ、こうして留置所のお世話になっている。

 留置所の大きな房には直枝は一人しかいない。避難民が続出し人口が激減したペテルブルグは、ここのように使われなくなった建物が多く、いくつかは軍が借り上げている。そのためこのような使い方ができた。

 彼女は天井に向けて白い息を吐く。そろそろ冬の声が聞こえてくる季節だ。留置場備えつけのベッドはただ固いだけで、横幅の広い長椅子となんら変わりはない。眠ろうとしたが背中が痛くてそれどころではなく、彼女は何度も寝返りをうった。


 と、こんこんと音がする。

 気のせいかと思ったが、どうもそうではない。音は彼女の右側にある壁の向こう、隣の房から聞こえていた。鉄格子を叩いているようだ。

 呼んでいるのだろうか。直枝は面倒くさいので無視をする。放っておけばいずれ止むだろうと考えたのだ。だが音は延々鳴り続け、根負けした彼女は隣に向かって言った。


「なんだ、うるせえぞ」


「ようやく返事してくれた」


 綺麗な声が聞こえてきた。

 声の高さからいって女性だが、しっかりした芯があり、まるで声楽家のようだ。特に根拠はなかったが、直枝は「背が高いんだろうな」と思った。

 とりあえず言葉を返す。


「なんの用だ」


「退屈なんだ。相手をしてくれないかな」


「知るか。こっちはいらいらしてんだ」


 直枝としては話を続けるつもりがなかったのだが、相手はお構いなしに訊いてくる。


「どうしてこんなとこに入れられたんだい?」


「ほっとけ」


「それくらいいいじゃないか」


「喧嘩だよ。よくある話だ」


 彼女は寝転がりながら言った。


「ペテルブルグに着いたら陸の兵隊が、報道の女にちょっかい出してたんだよ。嫌がってたから止めに入ったら、あの歩兵バタども、こっちを舐めやがって。そのあとは……ま、いいじゃねえか」


「ああ、あれは君だったのか」


 隣の人物は笑い声を上げていた。


「通りで喧嘩がはじまったから見てたら、色んな人間がやってきてすぐ大掛かりになったよね。誰がはじめたのかって思ったんだ」


「いいじゃねえか。あんたは?」


「その喧嘩に巻き込まれた」


 直枝は口をつぐんだ。飛んできた憲兵が喧嘩に関係した人間を手当たり次第に捕まえたのだが、その中の一人らしい。直枝のせいと言えないこともない。


「悪かったな」


「いいよ、こういうところも久しぶりだ」


 隣の人物は答えた。留置場に入れられたのは今回がはじめてではないようだ。四角四面な性格ではないと見える。

 会話を終らせようとして、ふと直枝は考えた。自分がわざわざ使われていない警察署の留置所に送られたのはウィッチだからだ。一般の兵隊と一緒にならないよう配慮されたのである。だとすると、隣の女も同業者ではないか?


「あんた、ウィッチか?」


「うん」


 隣はあっさりと認めた。


「君は扶桑の管野直枝だろう」


 直枝はベッドから半身を起こした。


「なんで知ってんだ」


「扶桑からの渡欧艦隊だけでも珍しいのに、東部戦線で戦ったウィッチで、しかも可愛い娘なんだ。そりゃ知ってる」


「可愛いってなんだよ」


「君のこと」


 隣の人物は楽しそうに言った。言い慣れた口調だ。


「扶桑の海軍航空隊所属の中でも協調性のかけらもない一匹狼って噂は本当?」


「それ言ったやつを教えろ。ぶっとばしてやる」


「やっぱり本当なんだ。でも腕は一級品だって聞いた。扶桑の誇るエースウィッチだって」


 誰が聞いても褒め言葉だったのが、直枝は面白くなさそうに、再び横になった。


「忘れてくれ」


「冷たいなあ」


「どんだけネウロイぶち落としても、後から後から湧いてきやがる。この前の作戦じゃ結局オラーシャ解放もできずに後戻りだ。役立たずに毛が生えたようなもんだ」


 軽く目をつむる。目蓋の裏には、どんよりとしたオラーシャ上空での、激戦がまざまざと甦っていた。

 次から次へと来襲する大型ネウロイと小型のネウロイ。空を埋め尽くさんばかりの異形の集団。敵も味方も片端から落ちていき、それでも決着はつかない。直枝たちはじりじりと押されていき、かろうじてペテルブルグだけを保持しているのだ。

 隣の女性が言う。


「僕たちが希望の星だって言ってる人は多いよ」


「希望の星とやらも落っこちそうだ。空飛ぶだけの能なしって言われたことあるぞ」


「そりゃすごいな」


「一部当たってるから始末に負えねえよ」


 一般的にウィッチは尊敬されているが、中には働きぶりを非難する人間も存在する。直枝はそれを無理もないと思っていた。

 人類はネウロイ撃退という点で一致しているものの、個人レベルでは様々な思いが渦巻いている。ネガティブな感情を抱いているものも当然おり、特に故郷を奪われた人間に顕著であった。

 隣の女性はしみじみと言った。


「長い戦争だからねえ」


「市民に文句言う権利はあるよ。ま、次ネウロイに出会ったら、一匹残らずぶっ潰してやるけどな」


 寝転がりながら拳を握りしめた。

 彼女は扶桑の兵学校を出て以来、一貫して「ネウロイを倒す」ことを心情にしている。これはなにがあってもぶれることはない。長く厳しい戦いの中で、士気を高く保っていられる理由であった。


「で、そっちのあんたは?」


「クルピンスキー。ヴァルトルート・クルピンスキー」


「士官っぽいな」


「階級は中尉」


「へえ。オレは少尉」


 ウィッチも軍人なので階級はあるが、彼女たちの中ではそれほど意識されていない。魔力を持ちかつ空を飛べる人間は少数ということもあって仲間意識が強く、ざっくばらんに会話することが多かった。

 ヴァルトルートは続けた。


「ずっと東部戦線で戦ってた」


「知らねえ名前だ」


「うーん、自分では結構活躍しているつもりなんだけどなあ」


 少し残念そうになるヴァルトルート。


「カールスラント空軍、第52戦闘航空団ヤクトゲシュヴァーダーにいたんだ。伯爵グレーフィンって呼んでくれて構わない」


「伯爵ぅ?」


 直枝はいかにも胡散臭そうに言う。


「そんなアクセントの悪い貴族がいるか。貴族ってのはもっと歯切れよく、ぱしっと発音するもんだ」


「バレたか」


 ウァルトルートがちろっと舌を出したのが、見なくても分かった。


「みんなが勝手に呼んでるだけで、爵位はないよ。でもよく分かったなあ。わりとインテリだね」


「いいじゃねえか」


「直ちゃんって呼んでいいかい」


「断る」


「直ちゃん」


 ヴァルトルートはお構いなしにそう呼んだ。


「扶桑に戻ったって聞いていたけど、なんでまたペテルブルグに来たんだい」


 直枝は聞き返す。


「あんたは?」


「呼ばれたんだ。ペテルブルグで僕の力が必要らしくてね。転属扱いだから断れなかった」


「オレもそうだ。扶桑に戻って休暇を楽しもうとしたら、とんぼ返りだ。なんとかって少佐に呼ばれたよ。なんつったかな、確か……」


「ラル少佐」


 この声はヴァルトルートが発したものではなかった。

 今いる留置所には房が三つ並んでいる。直枝が収容されているところは中央で、ヴァルトルートが入っているのは右側。先ほどの声は左側から伝わってきたのだ。


「グンドュラ・ラル少佐だよ。カールスラントの誇るウルトラエース。撃墜数はなんと二百五十機以上。そのラル少佐が、新しい部隊編成のため、ワタシたちを呼んだってわけ」


 直枝は感心して声を上げた。


「二百五十。へー」


「驚いた?」


「数えた暇人がいるんだな」


「…………」


 左側からの声はしばらく無言だったが、やがて言った。


「と、とにかく、ペテルブルグを根拠地にして新しい部隊が結成されるんだよ。ワタシたちは第一陣」


「なんだ、あんたもお仲間か」


「ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン。みんなはニパって呼んでる。階級は曹長」


「その変わった名字と名前はスオムス人だな」


「扶桑人の方がよっぽど変わってると思うな」


 ニパは言う。直枝は起き上がると房の左側に移動した。


「なあ、どうしてぶち込まれたんだ」


「喧嘩に巻き込まれて」


 誰のせいなのかは聞かなくても分かったので、直枝は「悪かったよ」と言った。


「あんたの名前は聞いたことあるぞ。スオムスの飛行第24戦隊にいただろ。ウィンドとかユーティライネンとかマグヌッソンとかと一緒にネウロイをぶち落としたはずだ」


「よく知ってるね」


「ラジオで聞いた」


 右隣の房から「僕のことは知らなかったのに」との文句が伝わってくる。直枝は丁寧に無視。


「で、その少佐殿はなんだってオレたちを選んだんだ」


「それは直接聞いてみないと分からないと思う」


「どうやって聞きゃいいんだ。こっちは独房とお友達だぞ」


「普通は身元引受人が来るはずなんだけど」


「嫌われたか」


「嫌われるんだったら、僕らじゃなくて直ちゃんだと思うな」


 これは右隣にいるヴァルトルートの声である。直枝は這いながら右側に戻った。


「なんでオレが嫌われるんだよ」


「喧嘩の原因だから」


「なに言ってやがる」


 直枝は手をひらひらさせた。


「あの程度で嫌われてたら、オレが今までやってたことはどうなる。軍法会議で百回は実刑を喰らってるはずだぞ」


「扶桑で、気に入らない上官の上空すれすれを飛んで、テントを吹き飛ばしたって話は本当なのかい」


「馬鹿言え。本人も吹き飛ばしてやったぜ」


 その言葉にヴァルトルートは笑いだし、ニパは呆れたような声を漏らしていた。

 と、笑い声に混じって足音がする。

 誰かが房に近づいてくる。三人は会話を止めて鉄格子の向こうを見た。

 体格のいい監視兵が鍵束をぶら下げてやってきていた。その後ろには小柄な少女がいる。

 小柄と言っても直枝よりは大きい。彼女は監視兵にうなずく。房の鍵が開けられた。

 うながされたので、直枝は房から出た。両隣も開けられる

 直枝はここで初めてヴァルトルートとニパを見た。思った通りヴァルトルートは背が高く、ボーイッシュな顔立ちをしていた。カールスラント空軍の通常勤務服トゥーフロックを着崩している。堅苦しさからは遠いがだらしなさは感じず、むしろ伊達となっていた。いかにも洒落者だ。


 ニパは抜けるような白い肌と薄い金色の髪をしていた。スオムスカラーのセーターを着ており、右肩にスオムス空軍のワッペンを縫いつけている。ヴァルトルートよりは真面目そうな雰囲気だ。

 二人も直枝のことを見つめていた。なにも言っていないが、陸軍の兵士相手に大立ち回りした小柄な扶桑人のことを、興味深く思っているのはよく分かる。

 直枝は視線を正面に戻す。少女が監視兵に「あとは私が」と言っていた。

 監視兵が下がる。直枝たち三人と少女だけになった。

 少女はウェーブの利いた金髪にカチューシャをつけている。軍服の襟についた星のため、ひと目でオラーシャ空軍所属だと分かった。


 直枝は不思議な感覚で彼女を眺めていた。面識はないのだが、どこかで出会った気もする。


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