3 譲れない想い

 ふざけあいの真っ最中にもかかわらず、「ちょっと休憩」と宣言すると、俺は砂浜にゴロンと横になった。

 俺のヤワな心臓は、果たしてどれくらいの運動まで耐えられるのか。

 ずっと激しい運動は避けてきたから、見当もつかないし、予想できない。

 こんな所で発作を起こして、真実さんに俺の病気を知られてしまうのも、彼女に迷惑をかけることになるのも、接絶対に嫌だった。

 

「砂がついちゃうよ」

 俺の心中など知るはずもなく、笑いながら忠告してくれる真実さんに、

「いいよ、それより疲れた」

 なるべく普通に聞こえるようにぶっきらぼうに返事して、俺は両腕を自分の顔の上で交差する。

 目のあたりに押し当てて、彼女に表情を見られないようにした。

 

 大きく息を吸って、吐いてをくり返しながら、すっかり速くなってしまった胸の鼓動と、あがってしまった呼吸を整える。

 

 ザザーッ、ザザーッと遠くから押し寄せてくる波の音は、こうして視界を遮っていると、尚更大きく聞こえた。

 こんなに間近で波の音を聞いたのは、そういえば初めてだった。

 

 子供の頃は、俺の体調を見ながら、父さんや母さんがよく海には連れてきてくれたが、海の中に入ったりこんなふうに暴れたりするのは、いつも兄貴だけ。

 俺はさっき荷物を置いたような波打ち際から遠く離れたあたりで、静かにそんな兄貴を眺めるばかりだった。

 せいぜい家から持ってきたスケッチブックに、刻々と形や色を変える海の様子を、写し取るぐらいだった。

 

(だけどそれがどうだ……今日はこうしてはしゃぎまわることだってできたぞ……!)

 誰にともなく、心の中で胸を張る。

 

 ふと、俺のすぐ近くに真実さんが腰をおろした気配がした。

 

「運動不足だぞ、若者」

 本当にすぐ近くから、笑い含みの声が聞こえてくる。

 

「本当に……」

 俺だって笑いながら返事をしたけれど、

(せっかくだったら、こんなふうに転がっているんじゃなくて、彼女の隣に座りたかったな……)

 と思わずにはいられなかった。

 だからいっそう、呼吸を整える作業に集中する。

 

「まだまだこんなもんじゃ、私には勝てないわよ」

 なぜだか自信満々に言い放つ真実さんの顔が、どうしても見てみたくなる。

 

 俺は自分の顔を隠していた腕をちょっぴりずらして、隣に座る人をそっと見上げた。

 白い頬をうっすらとピンク色に染めて、瞳をキラキラと輝かせた真実さんは、やっぱりとてつもなく可愛かった。

 

「真実さん、小さくて痩せっぽちのくせにパワフルなんだもんなあ……」

 照れ隠しを兼ねて、冗談ぽく呟いた言葉に、

「小さいは余計です……!」

 真実さんはイーッとしかめ面をしてみせる。

 

 そんな表情さえ可愛くて、一秒たりとも目を放せない。

 めまぐるしく変わる彼女の表情の全てを、ずっとずっと見ていたい。

 

 ふと笑うのをやめ、波打ち際へと視線を向けた真実さんは、

「私は港町で育ったから、海には慣れてるの。海風や海水って、思ったより体力消耗するんだよ」

 と呟いた。

 

 ようやく鼓動がた落ち着いてきた俺も、ゆっくりと砂浜から起き上がりながら、

「遠くから見てるだけじゃ、そこまで分かんなかったな」

 と呟く。

 彼女が見ている方向に、同じように視線を向けてみた。

 

 どこまでも続く水平線。

 青い空と白い雲。

 

 それらは確かに、これまでこんなに鮮やかな色彩を伴って、俺の目に飛びこんできたことはなかった。

 子供の頃に見たのと、この海は同じ海のはずなのに、なんとも不思議だ。

 

「ひょっとして、海に来たの初めてだった?」

 かなりびっくりした様子で聞いてくる真実さんに、思わず笑みがこぼれる。

「いいや、何度も来てるよ」

 でも今までの海と、今日の海はあまりにも違う。

 

 どこがどう違うかと尋ねられたら、返せる答えは、ただ一つだけ。

 ――隣に真実さんがいるか、いないかだ。

 

 けれど本人に向かってそんなことは言えないから、俺はもう一つ頭に浮かんだほうを口にする。

「ただ……俺が一番多く見ていた景色の中では、海は遠くにほんの少しだけ見えるものだったからさ……」

 

 それは、病室の窓から毎日眺めていた遠くの海だった。

 天気が悪い日には見えなくなってしまうくらい、遠い場所のものだから、ハッキリとした色もわからないし、どれぐらいの広さがあるのかもわからない。

 けれど、同じ構図で何枚も描いて、すっかり嫌になってしまった窓からの風景の中でも、あの海は俺の一番のお気に入りだった。

 

 俺の絵にはいつも、その『遠くの海』が必ず登場する。

 自分と同じ名前の『海』。

 好き。

 だけど嫌い。

 嫌い。

 だけど好き。

 複雑な感情が幾重にも絡みあって、なかなか簡単には説明ができない。

 

 考えあぐねて、ふと隣にいる真実さんに目を向ける。

 小さく首を傾げながら、俺の言葉の意味を考えてくれているらしい様子に、また自然と俺の頬はほころんだ。

 

(自分でもよくわからない。どうだっていいって思えるような感情にだって……この人は一生懸命に向きあってくれるんだよなあ……)

 どうにも嬉しくて、たまらない。

 

「ゴメン。要するに、こんなに楽しいのは初めてだってことだよ……」

 笑いながらそう告げると、真実さんはポッと頬を染めて俯いてしまった。

 

 そんな様子が、ますます俺を嬉しくさせる。

 舞い上がらせる。

 

「真実さんは、海のそばで育ったから海が好きなんだね」

 俺の言葉に、手につかんでいた砂をサラサラと風に流しながら、

「うん、大好き」

 と答えてくれた満面の笑顔が、もうたまらなかった。

 

 ウワーッ!と叫びながら、そのへんを転げまわりたいくらいの衝動を必死に抑えて、俺はせいいっぱいポーカーフェイスで問いかける。

「……何が?」

 

 俺の意地悪な誘導尋問であることにまったく気づかず、真実さんはまんまと、

「だから、海」

 と答えた。

 

 じーっと自分を見つめ続ける俺の意味深な顔をしばらく見つめ返し、それから火がついたかのように真っ赤になる。

「そうじゃなくて! ……いや……確かにそうなんだけどっ……!」

 首まで真っ赤になりながら、かわいそうなくらいに大慌てしている。

 

(俺ってホント……意地悪だなあ……)

 しみじみと自覚しながらも、あまりにも見事にひっかかってくれた真実さんの素直さと真面目さが、嬉しくてたまらない。

 笑わずにいられない。

 

「ハハハハッ」

 肩を揺すって笑い続ける俺の様子に、彼女は小さくため息を吐いて、

「あーあ、なんでこんな名前つけちゃったんだろう」

 なんて言い出した。

 

 今更「名前変更」になんかならないように、俺はすぐさま笑いを封じ込こる。

 真実さんが俺をこ『海(うみ)君』と呼んでくれたおかげで、自分の名前が改めて好きになったというのに、ここで違う呼び名になったらたまらない。

 

「光栄です」

 華奢な肩をポンと叩いて、砂浜から立ち上がり、俺は荷物が置いてあるほうへ歩きだした。

 

 彼女が今どんな表情をしているのか。

 何を考えているのか。

 それはあえて見なかったし、想像しないようにした。

 

 そうでないとまた笑い出してしまいそうだ。

 いつまでたってもこの場所から動きだせそうにもない。

 

「真実さん、お弁当食べようよ。俺、楽しみにしてたんだ」

 目的の場所に着いてからふり返って見てみると、彼女はまださっきの場所に座りこんでいた。

 海に向かって膝を抱え、その両膝の上に自分の頭を突っ伏すようにしている。

 ――その頼りなげな後ろ姿が、俺の胸を焼いた。

 

 俺が隣にいなくなった途端に、どうして真実さんはこんなにも、身にまとう雰囲気がガラリと変わってしまうのだろう。

 明るい太陽の下でついさっきまで元気に笑っていたのに、ちょっと気を緩めるとすぐに、彼女の背後には夜の雑踏の風景が浮かんでくる。

 そんなふうに感じるのはなぜなんだろう。

 

 真実さんが心配でたまらない。

 ずっと傍で見ていないと、ふいにどこかにいなくなってしまいそうで。

 そんな思いが俺を焦らせる。

 

「真実さん……!」

 もう一度呼びかけると、それに呼応して彼女はようやく顔を上げ、俺をふり返ってくれた。

 その仕草に、大袈裟じゃなく、心の底から安堵する。

 

 この焦燥感の正体はいったい何なのか。

 その答えをおそらく俺は知っているのに、気付かないフリをする。

 

(たのむよ。もう少し……もう少しだけでいいから、このままでいさせて。一緒にいさせて……!)

 正体のわからない何かに向かって、俺は言葉にはせずに気持ちだけで頭を下げた。

 心から下げ続けた。

 



 砂浜に小さなビニールシートを敷いて、まるでひな祭りの人形のように、二人で並んで座った。

 ビーチバレーをしている若者たちや、砂で山を作っている子供たちなんかには「何だ。こんなところで?」という視線を向けられたが、俺は全然気にならなかった。

 

「いいねー。これだよ! これ!」

 嬉しくてたまらなくて、必要以上にはしゃいでしまう。

 

 そんな俺に呆れた顔もせず、一緒になって笑ってくれる真実さんが嬉しい。

 憧れていた初めての『ピクニック』以上に、俺は彼女が隣にいてくれることが嬉しかった。

 

(ようやく来れたよピクニック……それも好きな人と……!)

 母さんへの報告を兼ねて、俺は空をふり仰いだ。

 

『ねえ……死んだらそのあとは、みんなどこに行くの?』

 

 子供らしくない落ち着いた調子で父さんにそう尋ねた俺は、あの頃から、遠からず自分がそこへ行くことを理解していた。

 

 黒い喪服を着た父さんは、黙ったまま空を指差す。

 

 たぶん母さんのお墓の前だったと思う。

 黒光りした御影石の前に供えられた二本の線香からは、細く長い煙が真っ直ぐに空に伸びていて、俺はその行き着く先を、必死に目を凝らして確認した。

 

 小さな俺はその時、『そうか、空か』と素直に納得した。

 暗い土の中に閉じこめられるのではなくてよかったと、そんなことを思った。

 

 死んだら人は空に昇る。

 ――だから俺は今でも母さんに話しかける時は、空を見上げることにしている。

 

 辛い時。

 悲しい時。

 嬉しい時。

 楽しい時。

 これまでは圧倒的によくない報告が多かったけれど、こうして幸せな報告もできてよかった。

 そう思った。

 

「夏の空っていいよね。気持ちよくってずーっと見ていたいくらいだ。でもこうして見てると、やっぱり泣きたくなってきちゃうんだよな……」

 

 母さんが亡くなったのは夏だった。

 だからやっぱり夏の空だけはちょっぴり苦手だ。

 

 本音を思わず口にしてしまってから、すぐ傍に真実さんが居たということを、俺はハタと思い出した。

 急に変なことを言いだした俺に、きっととまどっているに違いない。

 

(まいったな……変なこと言っちゃったな……)

 ちょっと気まずい思いで、隣の真実さんを見下ろす。

 

 彼女はただでさえ大きな瞳を更に見開いて、俺の顔を凝視していた。

 その表情は、驚きだけではないなにか大きな感情に満ちているように感じた。

 どうやら俺のセリフに思うところがあるらいい。

 

(……海君?)

 真実さんの瞳が、声にならない言葉で問いかけてくるから、俺も、

(何?)

 と声には出さず表情だけで返事する。

 

 どんな言葉が返ってくるのか。

 内心楽しみに待っていたのだが、真実さんは長い時間待っても口を開くことなく、彼女の瞳もそれ以上は言葉を語らなかった。

 

 俺たちのこれまでより一歩近づいたコミュニケーションは、そこまでで中断される。

 まるで気持ちを切り替えようとでもするように、真実さんは静かに首を横に振りながら、持ってきたお弁当の包みをゴソゴソと開き始めた。

 

「どうぞ」

 内心小さな失望を感じていた俺だったのだが、二人分にしてはかなり大きなお弁当箱をさし出されて、すっかりテンションが上がってしまった。

 

「おおおっ」

 思わず叫んでしまう。

 食べ物で釣られるとはまさにこのことだ。

 

「すごいなぁ……!」

 色とりどりのお弁当は、見た目も豪華で、俺が昨夜ベッドの中でこっそり想像していたものの何倍も、ずっとずっと美味しそうだった。

 

 真実さんはニッコリと魅力的に笑いながら、

「心して食べなさい」

 ちょっと偉そうに俺に指令を出す。

 

 俺は恭しく頭を下げて、

「では……いただきますっ!」

 その豪華なお弁当に箸を伸ばした。

 

 煮物の中で見つけた花形のニンジンは、ほどよく柔らかくて甘かった。

 から揚げもしっかりと下味がついた俺好みの味。

 いろんな形のおにぎりには、ひとつひとつ違った具材が入っていた。

 

「美味しい! 美味しいよ……! 真実さんって天才!」

 あまりにもすごいところを見せつけられると、

 

(俺なんかが、こんなふうに手作り弁当を作ってもらっていいんだろうか?)

 なんて余計な思いが浮かんでしまう。

 

 けれど、満足そうに笑いながら、

「もっと食べなさい。もっと食べなさい」

 と彼女が今世話を焼いてくれているのは、他の誰でもない――俺なのだ。

 

 ハハハハッとまた声に出して笑いだしたい衝動を必死にこらえながら、俺は真美さんに勧められるままに、彼女の手作り弁当を食べ続けた。

「美味しいなぁ……!」

 今まで食べたどんな料理より、本当に美味しいと思った。

 



 食事というのは、人間の「生きていこう」という『意志』に、強く裏づけられた行為だと思う。

 食べなくては人は生きていけない。

 必ず死んでしまうのだから。

 

 長い入院生活の中で、俺はその『意志』を持ち続けることが困難になった時期があった。

 何を口にしても味がしなくて。

 美味しくも不味くもなくて。

 

 死ぬまでにあと何回、ただ栄養を取るだけの食事を、俺はこんなふうに病院でくり返すんだろうなんて思ったら、胃が何も受けつけなくなってしまった。

 

『馬鹿じゃないの! 何にすがりついてでも生きてみせなさいよ! こんなことでもし死んだりしたら……絶対に許さないんだから!』

 

 珍しく涙を見せて叫んだひとみちゃんの姿にショックを受け、無理をして日に何度も病院に足を運んでくれた兄貴に悪いと感じて、俺はどうにか「がんばろう」と思い立った。

 

『これ。お母さんが作ってくれたご飯……叔父さんや陸兄や、うちのお母さんのことを考えたら、海里は何だって食べれるようになるはずだわ……そうでしょ?』

 

 ひとみちゃんは俺のことをあまりにも買いかぶりすぎだと、その時は思った。

 

 けれど今実際に、弁当を食べる俺を見て、ニコニコと笑っている真実さんの顔を見ていると、

(確かに……「いらない」なんて……俺に言えるわけないよなあ……)

 ひとみちゃんの言葉の正しさを、再確認せずにはいられない。

 

 真実さんのこの笑顔を見るためならば、俺の胃袋の限界を遥かに超えた量だって、きっと笑って平らげられるだろう。

 自信があった。

 

「真実さんも食べないと……なくなっちゃうよ?」

 笑いながら言った俺に頷いて、真実さんも箸を手に取った。

 俺が持つお弁当箱の中をのぞきこんで、その小動物にも似た可愛らしい動きが、ハタと止まる。

 

「ああっ! ……卵焼き全部食べちゃったの!?」

 恨みがましい目で俺を見上げた顔は、たまらなく可愛かった。

 

 俺は笑いながら、

「はい、じゃあ、これどうぞ」

 と自分が今まさに食べようとしていた卵焼きをさし出す。

 

 ちょっとバツが悪そうにしながらも、

「ありがとう」

 と恥ずかしげに受け取った真美さんの様子に、ついついさ悪戯心が湧いた。

 

 ニヤッと笑いながら、

「俺の食べかけだけどね……?」

 わざと一言つけ足す。

 

 途端、真実さんが予想以上に真っ赤になって、言葉もなく俯いてしまって、俺は最高に焦った。

(やだなあ……冗談だよ。冗談っ!)

 なんて軽く言ってしまえばいいのに、なぜかそれができない。

 ダメだ。

 恥ずかしい。

 このままじゃ俺まで真っ赤になってしまう――。

 

「ゴメン」

 慌ててそれだけを言うと、俺はそっぽを向いた。

 尚更気まずくなった空気が、あまりにも重い。

 このなんともいえない気分は、いったいなんなんだろう。

 

 確かに俺は、昨夜真実さんに一目惚れした。

 いてもたってもいられなくて、車を飛び下りて家まで送っていった。

 もう一度会いたいなんて、頭で考えるよりも先に、勝手に口が今日の約束までしていた。

 けれどそれは、彼女と恋人同士になりたいとか、彼女にも俺のことを好きになってほしいとか、そんな大それた思いから取った行動ではなかったはずだ。

 

『心を残さずにいられない存在なんて俺には必要ない』

 

 俺の信条はこれまで決して変わることはなかったし、実際今だって変わってはいない。

 何も望まない。

 何も夢見たくない。

 ――それは俺の現実だ。

 

 なのに、なぜだ。

 こんなふうに彼女とずっと一緒にいたいと、

 昨夜の重苦しい雰囲気の中に彼女が帰らないようにずっと隣で見守っていたいと、

 そんな強い想いが、いつの間にか俺の中に生まれようとしている。

 

「海君」

 真実さんが俺を呼ぶ声に、さっきまでのようになんでもない顔を作ってふり返ることなんて、もうできない。

 苦しい思いをひた隠しにしながらふり返ってみると、真実さんが真剣な顔で俺を見つめていた。

 黒目がちの大きな瞳が、何かの決意に揺れていた。

 

 このまま彼女の言葉の先を聞いてしまったら――今この瞬間を永遠に失ってしまうと俺の本能が嗅ぎとった。

 

(そんなの嫌だ!)

 

 瞬間的に芽生えた子供じみたわがままで、

「真実さん、明日も会いに行っていいかな?」

 俺は先に問いかけた。

 せいいっぱいの決意を秘めている彼女の目を見て、真剣に問いかけた。

 

 真実さんは怯んだように少しだけ俯いて、だけどすぐにでも首を横に振ってしまいそうなそぶりを見せる。

 

 俺はできる限りの本気を言葉にこめて、もう一度彼女より先に、

「俺は、真実さんに会いたい」

 と自分の思いを告げる。

 

 俯けていた顔を弾かれたように上げて、彼女は俺の顔を見た。

 一秒にも満たない沈黙の後、俺の目をしっかりと見つめながら、真実さんは、

「うん、私も海君に会いたい」

 と呟いた。

 

(よかった……)

 全身に張り巡らされていた緊張の糸がプッツリと切れて、その場に崩れ落ちてしまいそうな気分だった。

 

(自分の中の決めごと――決意――だって覆してしまうほどの『情』」。そんなものが本当にあるんだ! ……俺にだってあったんだ……!)

 

 寄せては返す波の音なのか、それとも自分自身の心音なのか。

 ドキドキと耳の奥で鳴り続ける音は、いつまでも止みそうにはなかった。

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