第41話




「ちょっといいかな」

 小鳥遊さんの声が無機質に響いた。さっきまでとは違う、その硬質な態度から発せられるであろう次の言葉を、僕は覚悟した。

「もし草壁君の言うことが本当だとしたら、ミルイが姿を消してしまったのは、結局草壁君のせいってことにならない?

 だってミルイは彼女の“物語”が──、自分の存在を消してしまうっていう“物語”が現実になったからでしょ? そしてその“物語”は、草壁君が願わない限り現実にはならない。だったら──、だったら草壁君、あなたはミルイが現実から消えてしまうことを望んだの? ……答えて」

 まるでハンマーで思いきり殴られたかのような鈍痛が、胸を中心として四肢まで広がっていった。

 小鳥遊さんの言葉は、僕が初めてその事実に気が付いたときと同じ鋭さで、僕の心を容赦なく穿うがち、えぐってゆく。

「……そうだね。小鳥遊さんの言うとおり、僕は霧絵が彼女の“物語”とともに消えることを望んでしまった。そういう終わり方が霧絵にはふさわしいと、心の奥底で無意識に思ってしまっていたんだ」

 残された者たちへ憧憬の想いだけを置き去りにして、彼女は去った。その姿は潔く、儚く、美しく、夕空のように僕の心を今も締め続け、このまま膝を折って何もかもを謝ってしまいたい衝動にかられてしまう。

 それでも今はまだ謝る訳にはいかない。他の誰のためでもなく、目の前にいる小鳥遊さんのために。

「……でもね、ひとつだけ僕の意志とは無関係に現実になった“物語”があるんだ。それは夕闇の奥から何者かが霧絵を襲うっていう“物語”で、僕を巻き込むことに罪悪感を抱いていた彼女は、自分ひとりだけで確実に現実になったと分かる“物語”を書こうと思ったらしい。

 当然、僕はそんな“物語”が現実になることなんて望んでいなかった。いくら自身の能力を試すためとはいえ、何が起こるか分からないし、あまりに危険過ぎるから。

 だけどここで重要なのは、僕がこの“物語”を彼女から聞かされたのは、だということなんだ。

 おかしいと思わない? 霧絵ミルイの“物語”が現実になるためには、僕もまた彼女の“物語”が現実になるよう望むことが必要なのに、僕の同意とは関係なく“物語”は現実になった。……最初は僕の考えが間違っているのかとも思ったよ。だけどそのときのことを思い出しているうちに、別の可能性が浮かんだんだ」

 そう。何故あのとき霧絵ミルイは頑なに警察への連絡を断ったのか。おそらく彼女は知っていたのだ。襲って来た相手を。

「──小鳥遊さん、あのとき襲って来たのは、君だったんだね」

 わずかな間、小鳥遊さんは落ち着き払った態度で無感情に僕を見返していたけれど、ふいに相好を崩して、再び挑むように微笑みかけてきた。

「え、何? ミルイを襲ったって、私が? そんなことする訳ないじゃない。ミルイはたったひとりの私の親友だよ?」

「君が狙ったのは霧絵じゃない。最初から僕を襲うつもりだったんだ。

 君は霧絵と僕の仲に嫉妬していた。あの場にいたのはおそらく偶然なんだろう。駅で僕たちを見付けて、後をつけてきたのかもしれない。

 しかし経緯はどうあれ、君は霧絵と二人きりで話をしている僕を見て、自分を抑えられなくなったんだ」

「ねえ、ちょっと待って。それって全部ただの憶測じゃない。それとも何か証拠でもあるの?」

「……確かに証拠はないよ。だけど君が霧絵と僕の仲に嫉妬していたのは事実だ」

「それも単なる憶測よ」

「じゃあどうしてあのペンダントを霧絵に渡したの?」

 淀みなく相対していた小鳥遊さんの反応から、初めて余裕が消えた。

「ずっと疑問だったんだ。どうして霧絵は突然、自身のチカラのことがすべて分かったのか。記憶の底に沈めていた過去を、何故今になって急に思い出したのか。

 これもきっと彼女の“物語”に関わることなんだろうとノートを調べてみたら、やはりそれらしい“物語”が書かれていた。だけどその“物語”が書かれたページは途中で破かれていて、なかなか真相までたどり着くことが出来なかった。正直、諦めかけていたよ。彼女の部屋で小箱を見付けるまでは」

 霧絵ミルイの部屋にあった小箱には、決して宝物や楽しい思い出だけが詰まっている訳ではなかった。幼い心には受け止められなかった残酷な真実を封印しておくための、開けてはならないパンドラの“物語”が、精いっぱいの努力で隠されていた。

「霧絵の小箱には小さな鍵が掛けられていた。そしてその鍵こそが、小鳥遊さん、君が霧絵に渡してくれと僕に頼んだ、あのペンダントだったんだ。

 小箱の底には破かれていた“物語”の後半が、小さく小さく何度も折り畳まれてしまわれていたよ。その上には新しい“物語”がたくさん積み重ねられていて、まるで呪われた遺物を地層深くに埋めてしまおうとしているみたいだった。きっと霧絵にとっては、目に入れるのも憚られる“物語”だったんだろう。それほどまでに、彼女はこの“物語”に書かれた真実を──、いや、この“物語”そのものを忘れてしまいたかったんだ」

 僕はポケットから一枚の紙を取り出して、小鳥遊さんに突き付けるように見せた。

「これはノートに残っていた前半と小箱にあった後半を繋げて僕が書き写したものだよ」


『あるところにひとりの少女がいた。

 少女の両親は仲が悪く、二人はいつもケンカばかりしていて、ある日、お父さんが何も言わずに突然家を出ていった。

 少女はいつもひとりぼっちで、来る日も来る日もお父さんを待ち続けた。どんなにさびしくてもがまんして、きっと帰ってくると信じていた。

 けれどある日、少女は知ってしまった。お父さんはもう戻って来ないということを。

 少女は泣いた。毎日毎日ずっと。少女はお父さんが誰よりも大好きだった。だからお母さんから教えられたことが信じられなかった。たえられなかった。

 少女は考えた。残酷な真実を、秘密の箱に鍵をかけて記憶から封印してしまおうと。

 少女は宝物にしていたきれいな小箱に、そっと真実をささやいた。 


 ──お父さんは、血のつながっていないお母さんに私を押しつけて、うわき相手とどこかへ行ってしまった。私は、お父さんに捨てられたんだ──


 少女は真実を閉じこめた箱の鍵をただひとりの親友に託すことにした。彼女が鍵を持っている限り、真実は誰にも、少女自身にも、決してもれることはない。彼女が望んでいてくれる限り、少女の秘密は永遠になる』


 僕が秘められた霧絵ミルイの“物語”を読み上げている間、小鳥遊さんは黙ったまま、僕から隠れるように視線を逸らしていた。

「君は、霧絵にあのペンダントを渡したら、彼女にどんな影響をおよぼすか分かっていたはずだ。分かっていて、僕に頼んだんだ。自分のところへ戻って来ないのならいっそ……ってね。そして君は──」

「だったら何!? そうよ。あなたの言うとおりよ。私は何度もミルイに聞いたわ。私の何がいけなかったのか教えて欲しいって。だけどミルイは一度も私の問いかけに答えてはくれなかった。

 ……それなのにあなたは、突然現れてミルイの心を奪っていった。私には話してくれないことも、あなたには話していた……! 私だけがミルイの親友で、私だけがミルイの理解者だったのに、ミルイは私を捨ててあなたを選んだ! どうしてあなたなの!? どうして私じゃだめなの!?」

 僕の言葉を遮った小鳥遊さんは、今や感情を隠すこともなく、肩をいからし、強く手を握り締め、僕を真っ直ぐ睨み付けてくる。身体は小さく震え、喰いしばった歯に負けないほど鋭い眼光からは、しかしこらえきれない悔しさが揺れていた。

「ミルイを消したのはあなたのくせに! どうしてなの!? かえしてよ! ミルイを私にかえしてよ!」

 声を掠れさせ、抑えていたこれまでの感情を爆発させた小鳥遊さんの慟哭は、真っ直ぐに僕の心を貫いた。

「……小鳥遊さんの言うとおり、僕には霧絵が消えてしまうことを望んだという罪がある。だけど、君も霧絵に対して負っている罪があるはずだ」


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