第40話




「きっかけは、この前霧絵のお母さんに会って来たときのことだ」

 霧絵ミルイの母親は一命をとりとめた。それが彼女の“物語”のおかげなのかどうかは今もって分からないけれど、目が覚めたとき、彼女の母親は娘の行方が分からないことに大きく動揺し、身体よりも精神的、心理的ケアのためにそのまま長らく入院していて、先月ようやく退院したのだった。

「おばさんの具合はどうだった?」

「思ったより元気そうだったよ」

「よかった。……ミルイがいなくなって、おばさんまでずっと寝込んだままじゃ、本当に救いがないもん」

 僕と小鳥遊さんは霧絵ミルイがいなくなってから、暇を見付けては彼女の母親の元へお見舞いに行っていた。最初は会ってももらえなかったけれど、根気よく通い詰めているうちに少しずつ心を開いてくれて、時おりは笑顔も見られるようになった。

 しかしふとした瞬間におばさんは沈鬱な表情になって、その度に、僕は霧絵ミルイの真実──物語を現実にするチカラを持っていたと、少なくとも彼女は信じていたということ──を話そうかといつも迷っていたのだった。

 だからあの日、退院したおばさんの元へ行ったのも、霧絵ミルイが何を想い、何を考え、そして何故自ら姿を消してしまったのかを全て伝えようと思ったからだった。

「おばさんとは色んな話をしたよ。霧絵のこと、これからのこと、僕の仕事のこと。

 ……でも結局、本当に話そうと思っていたことは言えなかった。どんな風に話を切り出せばいいのか分からなかったし、信じてもらえないかもしれないと思うと、どうしても躊躇してしまって」

 信じてもらえないこと、それ自体は問題じゃない。それでも霧絵ミルイの母親から、彼女のチカラを否定する言葉を万が一にも聞かされたくないと思ったのだ。自らの存在を消してでも守ろうとした母親自身から、「そんなバカな話がある訳がない」と、霧絵ミルイのアイデンティティそのものを否定するにも等しい言葉を。それが例えただの一言であっても。

「霧絵のことを伝えられないまま、けれどもそのまま帰る気にもなれず、おばさんとの間で中途半端に居心地の悪い空気が流れる中、僕はふと思い立って、霧絵の部屋に行ってみようと思ったんだ。このまま帰りたくないというか、少しでも彼女にかかわるものに触れたくてさ。

 だからおばさんの許可をもらって、僕は霧絵の部屋に入ってみた」

「いくらおばさんの許可をもらったと言っても、女の子の部屋に当人の許しを得ずに入るのは、よくないよ」

 いたずらをした子供をたしなめるような小鳥遊さんの口調はどこか軽口めいていて、その余裕はまったく崩れない。

「霧絵の部屋は以前入ったときとほとんど変わらなかった。大切にしまわれた童話や絵本。たったひとつ置かれたクマのぬいぐるみ。飾り気のない勉強机──。と、そこまで目を移したとき、前に来たときにはなかった物が机の上に置いてあることに気が付いたんだ。

 それは可愛らしい花柄の型紙で作られた宝石箱のような小箱で、これが霧絵の言っていた宝箱だってすぐに分かった。

 手にとって開いてみると、思ったとおり、おもちゃや綺麗な模様の千代紙に混じって、幼い字で書かれた“物語”のかけらがあったよ。小鳥遊さん、霧絵が君と一緒に創った“物語”さ」

 小鳥遊さんの瞳に初めてわずかな緊張の色がみえた。

「どうやら霧絵ミルイの“物語”が書かれたノートはもう一冊あったんだね。小鳥遊さんと創った“物語”は、いつも自分が書いているものとは違うノートに書かれていたみたいだよ。手帳くらいの大きさで、たくさんのシールやイラストでデコレーションされた小さなノート。

 多分、霧絵にとって特別な思い入れがあったんだろうね。覚えがある?」

「ええ、もちろん。……ミルイ、私との思い出を大切にしてくれてたんだ……。嬉しいな」

 彼女は懐かしさと感激をため息とともに表しているけれど、瞳だけは先ほどよりも警戒色が強く出ている。それでいい。

「最初は微笑ましく思っただけだった。けれどすぐに直感にも似た何か、例えるなら、バラバラではあるけれどピースの揃ったパズルのように、僕は手を離しかけたそれらの断片をもう一度見つめ直してみたんだ」

「それで? 何か分かった?」

「何かが分かりそうで分からなくて。まず僕はピースを整理することから始めた。ひとつひとつのヒントの意味を考え、順番に組み立てて、想像力で補うと、徐々に全体像の輪郭がはっきりと見えるようになり、そこに至ってようやく内部構造──つまり、彼女のチカラの論理構築ルールにたどり着くことが出来たんだ」

「……ちょっと話が抽象的過ぎない?」

 確かに、と、僕たちはお互い苦笑いする。まるで二人のボクサーがお互いに間合いを取り、仕切り直しをするみたいに。

 僕は小さく深呼吸して続けた。

「論理構築っていうのは、言い換えれば霧絵ミルイの“物語”が現実になるための原則のことだ。その原則は複数の条件が満たされることで効果をおよぼす」

「複数の条件?」

「そう。順番に説明するよ。

 まず第一の条件は、“物語”が霧絵を中心としたものであり、なおかつ実現可能な範囲であること。これは以前、彼女自身が言っていたことだから、小鳥遊さんも聞いたことがあるかもしれない」

「ええ。……ミルイと私がまだ仲良く笑い合えていたころにね」

「でも条件はこれだけじゃない。この二つだけじゃ、現実にならなかった“物語”の理由が説明つかないからだ。

 そこで僕はふと思った。霧絵の“物語”は創作フィクションではあるけれど、現実に起こりうるものばかりが書かれている。それなら彼女は何を基準に“物語”が現実になったと判断していたんだろうかと」

 それがただの偶然ではなく、彼女のチカラが及ぼした結果であると、彼女自身が結論した、その理由。

「霧絵は前に“自分ひとりじゃ判断つかない”と言っていた。自分ひとりでは──つまり他の誰かと一緒なら、さらにいえば、霧絵は自身の“物語”が現実になったと判断することが出来たんだと思う」

「つまり、ミルイは私や草壁君を“物語”に巻き込むことで、自分のチカラの確証を得ていたってこと?」

「そのとおり」

 霧絵ミルイはきっとそうした方法でしか、自身のチカラの証明をすることが出来なかったのだろう。例えそれが相手を利用し、迷惑をかける最低の手段だとわかっていても。そしてだからこそ、彼女はいつも憂いを秘めていたのだ。僕への罪悪感と自分への嫌悪感に挟まれて。

「でもそれって、結果論じゃない? 肝心の、ミルイの“物語”が現実になる条件としては当てはまらないよね」

「そうだね。今話したのは、二つめの条件のための前提だから。

 さっきも言ったけれど、霧絵は自分だけでは自身のチカラの効果について成否の判断が出来なかった。だから他人である僕たちを使って、自らの能力について検証実験をしていた。

 でもね、ここで注意深く思い出して欲しいのは、僕たちが霧絵ミルイと一緒にいるからといって、必ずしも“物語”が現実になるとは限らない、ということなんだ」

「確かにそうね。私と“物語”を創っていたときも、現実にならなかった“物語”はたくさんあった」

「そこで僕は考え方を逆にしてみた。“物語”が現実になるかどうかは、霧絵のチカラによるものではなく、って」

「私たちが?」

「そうさ。そこまで考えたらすぐに思い至ったよ。つまり、──これが、第二の条件なんだ。そして霧絵ミルイが“物語”を共に得たいと選んだ人物こそが、彼女の言う“運命の人”だったんだよ」

 霧絵ミルイと最初にデートをしたとき、彼女の“物語”は現実にならなかった。それは僕がまだ彼女のチカラを信じていなかったからだ。

 図書館前の路地で“物語”が現実になったのは、自身の能力に希望を失いかけ、僕から去っていこうとしていた彼女のために、そして彼女と別れたくない僕自身のために、霧絵ミルイの“物語”が現実になって欲しいと僕が願ったからだ。

 廃屋での“物語”もそうだ。自分たちを取り巻く煩わしい環境から逃れて、霧絵ミルイと二人だけで生きていけたらと、そんな未来を僕も彼女も“物語”に描いたのだ。

 そして──。

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