第14話



 期末試験は科目の数もあって、休日をまたいで二週に渡って行われる。生徒たちはこの中休みを使って、テストに向けての勉強や今までの復習をするように先生から何度も言い渡されるが、ほとんどの生徒たちが渋々ながらもその言い付けに従う中、一部の生徒は反発心なのかやけくそなのか、ここぞとばかりに遊び尽くす輩もいる。現に今も。

「おう。明日の休みどっか遊び行こうぜ」

 今日のテストが終わり、帰る準備をしていると、杉原と半井が近付いてきて言った。

「悪い、明日はちょっと……」

 いつもであれば杉原の誘いに乗るところではあったが、明日は霧絵ミルイについて小鳥遊さんにそれとなく相談してみようと思っている。名目上は彼女から頼まれた話についての相談ということにしているけれど、正直にいえば、今の僕と霧絵ミルイの行き詰まった関係をどうにかしたいという思いの方が強かった。

「何だよ、遊ばねえの? まさか勉強するとか言うなよな」

「いや、そういう訳じゃないけど……」

 何と説明すればいいか分からなくて適当にお茶を濁していると、それまで黙っていた半井が、訳知った風な顔で杉原に何か耳打ちした。途端に二人はニヤニヤした顔を僕に向けてくる。

「わりぃ。野暮なこと聞いちまったな。俺たちのことは気にしなくていいから、そっちはそっちで楽しんできてくれ」

「……半井が何を言ったか知らないが、何度も言う通り、僕と霧絵ミルイはお前らが思うような仲じゃないからな」

 僕がそう言った後も二人はわざとらしく顔を見合わせて「別に~」と、したり顔で、校門を出るまでの間、ずっと僕はからかわれ続けるはめになった。



 待ち合わせの当日は朝からどんよりと曇っていた。時おりぱらぱらと小雨が落ち、しかし本降りになるほど強くはなく、アスファルトを黒く染める力もない。中途半端な天気だった。

 待ち合わせ場所は駅近くのファミレスで、僕が来たときには小鳥遊さんはすでに席に座って待っていた。

「ごめん。待たせたかな」

「いえ、私も今来たところなので」

 小鳥遊さんは、デフォルメされた花柄に小さな星やハートが入り組んだ、白い袖無しのワンピース――チュニックというのだろうか?――を着ていて、その下に細身のデニムパンツを履いていた。小振りな足には、鼻緒のところに水色の花のついたかわいらしいサンダルが控えめに彩っていて、そこまでを見れば、霧絵ミルイほどの華やかさはないにしても、控えめながら夏らしい、涼やかな格好であるのに、彼女は厚ぼったい紺色の――おそらくは父親のものと思われる――男物の傘を脇に持っていて、重たげな黒いおかっぱ頭に被さっている姿を想像すると、どうにもアンバランスというか垢抜けない感じがする。化粧っ気のない彼女の顔も余計にその印象に拍車をかけていた。

 もっとも、垢抜けなさでいうのなら僕も人のことはいえない。霧絵ミルイと出掛けた日以来、多少服装に気を使うようになったとはいえ、せいぜいがヨレヨレのシャツや着古したジーパンを外行きに来ていかないといった程度のものだ。

 やってきた店員にとりあえずドリンクバーを注文すると、小鳥遊さんは「私、注いできますね」と席を立つ。

「それなら僕が」

「いえ、私が行きますから座ってていいですよ。何がいいですか?」

 まだお互いに慣れていないせいもあって、つい気を使い合ってしまう。

 結局飲み物は小鳥遊さんに任せることにして、彼女がドリンクバーから戻ってくるまでの少しの間、僕は呼吸を整えて力を抜いた。

「テスト期間の最中なのに急に呼び出したりしてごめんね」

 小鳥遊さんが僕にコーラを渡して、向かい側に座る。彼女の分はアイスティーだった。

「気にしないで下さい。それよりミルイのことで聞きたいことって何でしょう?」

「そのことなんだけど、話をする前にまず最初に小鳥遊さんに謝らないといけない」

 僕は小鳥遊さんに頼まれた話が上手く進んでいないことを謝り、それから何が原因なのかまでは分からないけれど、霧絵ミルイが決して小鳥遊さんのことを嫌っている訳ではなく、どこか自嘲的な、自分を責めているような雰囲気が感じられたことを話した。

 話をしている間、小鳥遊さんはこちらを向いたまま、背筋を伸ばし、膝の上に乗せた両手を上品に組んで微動だにしなかった。無表情に、冷々とした人形のような顔を僕へ向けながら、視線だけは陰を含ませつつ僕を見つめ続け、時おり僕と目が合うとすぐに視線をそらす。

「……相変わらず大切なことは何も教えてくれないのね、ミルイは」

 ため息混じりに何気なく呟いたその一言は、普段のどこか幼い印象を持った小鳥遊さんとは思えないほど大人びていて、僕は後頭がぞわりと逆立ったような気がした。

「小鳥遊さんは知ってるの? 霧絵ミルイが……その、“特殊なチカラ”を持ってるってことを」

 言っていて何だか恥ずかしくなってくる。僕自身でさえあまり本気で信じていないというのに、こんなことを聞いて小鳥遊さんに変に思われないだろうか

と少し不安になった。

 ところが意外なことに、小鳥遊さんは「ええ。もちろん」と、ぱっと表情を変えて、いつもの少し子供っぽい笑顔を浮かべながら、密やかないたずらを喜ぶときのようにわずかに肩をすくめた。

「創った物語が現実になるってやつですよね? ミルイが書いてきたお話が現実になるよう、ふたりでよくお祈りしたっけ……。懐かしいなぁ……」

「どんな物語?」

「他愛もないことです。秘密の場所でかくれんぼをして、見つからなければ願いが叶うとか、一緒に世話をしていたノラ猫に新しい飼い主が見つかって幸せになるとか。あ、そうそう“王様の耳はロバの耳”に題を取った物語もあって、これが私たち二人の――」

 まるで人が変わったように生き生きと話していた小鳥遊さんは、そこでハッとしたように「すみません。思い出していたら、何だか嬉しくなっちゃって」と、頬を朱に染める。

 どうやら小鳥遊さんが聞いた話も僕と同じような内容だったらしく、あまり突拍子もない“物語”は書かれていないようだった。

「それでどうだった? 彼女の“物語”は現実になった?」

 核心をついた問いをさりげなく投げ掛けてみると、小鳥遊さんは少し困った顔をして答えた。

「どう、でしょう。知っているかもしれませんが、ミルイの創る“物語”というのは本当にささやかで、ありふれた、小さな小さなお話なんです。だから現実になったといえばその通りかもしれませんが、ただの偶然という一言で片付けられてしまうのも事実だと思います。実際、現実にならなかった“物語”もありましたし」

 そう。まさしくそこが問題なのだ。仮に霧絵ミルイの創る物語が突拍子もないもので――例えば宇宙人が地球を侵略しに来るとか、タイムマシンが完成して時間旅行が可能になるとか――それらが全て現実になったというのなら、僕も彼女の“物語を現実にしてしまう”というチカラを信じざるを得なかっただろう。

 しかし彼女の物語はそうではない。小鳥遊さんも言っていたとおり、日常の端に転がっていそうなストーリーであったり、抽象的でいかようにもとれるようなものだったりと、僕たちの身の周りで似たようなことが起こっても不思議ではない。それらを偶然と捉えるか霧絵ミルイの特殊な能力と捉えるかは、結局のところ解釈の違いというだけの話なのだろうか。

 ただ、それではあの路地で見た子供たちはどう説明するのか。今なら確信を持って言えるが、あの男の子は間違いなく幼い頃の僕自身だった。そして女の子の方も霧絵ミルイ本人だという。

 そこまで考えて、僕は霧絵ミルイが言った言葉をふと思い出した。


 ――少年と少女というのは、言うまでもなくキミと私のこと――


「……んっ。……草壁君!」

「……え?」

「どうしたの? 難しい顔して黙り込んじゃって。大丈夫? 顔色悪いよ」

 心配そうな顔をした小鳥遊さんに呼ばれて、僕はようやく我に返った。

「……ああ、大丈夫。ちょっと考え込んでいただけだから」

 なおも気遣わしげに見つめてくる小鳥遊さんに、僕は「本当に大丈夫だから」と笑ってみせる。顔と背筋に一瞬走った鳥肌は、小雨が降る外の気温と店内の温度がいつもより低いせいだと自分に言い聞かせながら。

「小鳥遊さんは、霧絵の“チカラ”のことはいつ知ったの?」

 何となく暗い空気になりかけていたので、僕は話題を変えてやや明るめの声で聞いた。

「わりとすぐです。最初に出会ってから三、四回目くらいには。秘密を打ち明けるみたいな口ぶりで何を言うんだろうって思っていたら、いきなり“私は自分が書いた物語を現実にしてしまうみたいなんだ”ですからね。まいっちゃいました」

 小鳥遊さんは少し困ったように微笑みながら、それでもその口ぶりは穏やかで、その後も霧絵ミルイとの楽しかった想い出をいくつも懐かしそうに僕に語った。

「ミルイは今、私のことどう思っているのか分からないけど……、私はあのころからずっと変わらずに親友だと思っています。だから――」

 小鳥遊さんは続きを口には出さず、寂しそうに微笑う。言葉にしなくても彼女が何を言わんとしているかは明らかだった。そんな彼女の想いを棚上げにして、自分の都合を優先し、しかも表向きは小鳥遊さんの相談事についての話し合いという体をとっているということに、僕は恥ずかしさと自己嫌悪でいっぱいになってきた。

「何か、ごめん。僕、全然小鳥遊さんの力になれなくて。そのくせ自分のことばっかり考えてて……」

「そんな。謝るのは私の方です。本当なら私がミルイに直接聞きに行くべきなのに、何となく会いづらくて……。そんな私のわがままに協力してくれているのに、急かすようなことを言って……ごめんなさい」

 そう言って小鳥遊さんは深々と頭を下げる。「いや、そんな」とあわてて僕も頭を下げた。

 そうしてゆっくりと頭を上げながら上目使いに小鳥遊さんを窺うと、テーブルの向かい側で彼女も全く同じ動きをしていて、僕たちはお互いに小さく笑いあった。


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