第10話


 そうして対戦が始まった。最初は僕と杉原が対戦して、次に負けた僕に代わって半井が入り、杉原に勝った。そして僕と半井が戦い、僕が負けて再び杉原が入る。

 僕は格闘ゲームが得意ではないので負けてばかりだったけれど、驚いたのは

、明らかに初心者であるはずの杉原が半井と互角の戦いをしていることだ。「この飛び道具ってどうやって出すの?」とか「こいつは対空技持ってないの?」とか、僕や半井に聞いてばかりで、説明書も技表さえもろくに見ていないはずなのに、気が付けば杉原は半井と接戦を繰り広げ、僕はおまけのようにあっさりとやられて、そそくさと退くのだった。

「僕はちょっと休憩してるから、ふたりともやってていいよ」

 何となく気分が乗らなくなったので言ってみる。

「お、そうか。悪ぃな。よし半井、決着付けるぜ!」

「負けないよ~!」

 ふたりは僕を置いて、いよいよ戦いに熱中し始めた。

 飛び道具で相手を牽制しつつ対空技で迎え撃つという半井に対して、杉原はガードを固めながら接近して連続技を叩き込む戦法をとっている。どうやら一時間もしないうちにいくつかコンボを見つけたようだ。

 ノリのいい音楽と、威勢のいいキャラクター、ふたりのかけ声とも独り言ともいえない呟きで部屋の中は熱くなってゆく。時おりどちらかが難しい連続技や大ダメージを与えるのに成功したときなどは、歓声と悲鳴が混ざり合って、さらにテンションが上がる。

 そんな盛り上がりとは対照的に、僕は白熱するふたりの対戦をどこか冷めた頭でぼんやりと眺めていた。所在なく視線を動かすと、ふとラックに並べられた本の中に意外なものを見つけて、僕は立ち上がってそれを手にとった。

「ソフトウェア開発者、システムエンジニアを目指すキミのための学校選び……」

 マンガや攻略本の間に挟まれていたのは、電話帳くらいの厚みをもった理数系大学の情報誌だった。所々よれたり皺になったりしているのをみると、わりと頻繁に取り出されているらしい。

「なあ半井、これって……」

 僕が冊子を示すと、半井は「んー?」と一瞬だけ振り返って答えた。

「ああ。僕、理工系の大学に行こうかなって思ってるんだ」

 半井は視線をテレビから動かさず、未だ意識は杉原との対戦に集中したまま、もう行きたい学校は絞ってあるけどね、と軽く言い流す。

「どういう大学?」

 杉原が半井と同じように画面を見つめながら聞いた。操作している女性キャラクターが勇ましくも可憐な声で必殺技を叫ぶ。

「情報処理とかを主に教えてくれるところがいいかな」

「なんだっけ、それ。パソコン?」

「ん~……、ざっくり言ってしまえばね」

「まあ、お前にはピッタリかもな。で、親父さんの友達のところで働くの?」

「まだ分かんないけど、多分それはないと思う」

「何でよ。せっかくコネで入れるのに」

「僕はね、将来ゲームプログラマーになりたいんだ。お父さんの知り合いの人の会社は、ゲームとはまったく関係ない事務処理用のソフトウェアを開発してるところだから」

「ふーん。色々考えてるんだねぇ」

「あはは。そうでもない……よっ、と!」

 コンボを極めようとしていた杉原のキャラクターに、半井が操るキャラクターの超必殺技がカウンターで炸裂して、派手な音を鳴り響かせながら、半井は逆転KOを勝ち取った。

「うあ! やられたー!」

「ふっふっふっ。コンボがワンパターン過ぎるね」

「うーん……、もっとフェイントとか搦め手で攻めるべきか……」

 杉原は今さらに技表を見て考え込む。代わるか? とコントローラーを僕に差し出すけれど、僕は首を振って言った。

「いや、そろそろ帰ろう。暗くなってきたし、長居するのも悪いし」

 杉原が時計を見ながら「そうだな」と同意して、その日はお開きとなった。



 半井の家からの帰りは、来たときと同じように杉原の自転車に乗せてもらっていた。道すがら、杉原は時おり僕に振り向いては「なあ」とか「そう思わねえ?」とか色々話しかけてくるのだったが、風の音が強いうえに向こう/正面を向いて喋っているので、ほとんど何を言っているのか聞き取れない。どうやらさっきの格闘ゲームについての分析らしかったが、僕は適当に相づちをうってごまかしておいた。

 自転車が緩い下り坂に入る。振り落とされないように荷台をしっかりとつかみながら通りすぎる道脇の時計に目をやると、時刻はすでに六時半を過ぎていて、太陽は半分沈んでいた。

 一日のうちで最もきれいな時間を、男同士のふたり乗りではロマンチックの欠片もない。先日霧絵ミルイと過ごした一日と比べると、この差の激しさは何なんだろうと思う。もっとも、彼女とは恋人同士でもないし、むしろどうして僕がつきまとわれているのか不思議でたまらないわけであるけれど。

「そういや最近、霧絵とはどうよ? デートだったんだろ」

 頭の中で霧絵ミルイの顔を思い浮かべていたまさにそのときに、杉原は半分にやけた顔を僕に向ける。ちょうど下り坂が終わって、交差点の信号を待っていたところだった。

「でも意外だよなぁ。お前、そういうことにメッチャ奥手そうだったのに。いったいどうやって仲良くなったんだ? 教えてくれよ」

 今は霧絵ミルイのことを冗談でもあれこれと聞かれたくないにもかかわらず、こんなときに限って杉原は鋭い。そもそもあれを仲が良いと言えるのだろうか。僕自身が彼女との関係をどう捉えていいのか迷っているというのに。

 とにかく、聞かれたくない話題はさっさと変えるに限る。

「彼女とはお前が思っているような関係じゃないよ」

 僕は軽い感じで前置きしてから、間を置かずに続けた。

「でも意外といえば、半井が自分の将来をきちんと考えていたことが僕には意外だったな」

「ああ、確かに。てっきりあいつも俺らと同じで、先のこととか何にも考えてないのかと思ってたけど」

「それはお前だけだろ。一緒にするな」

「え? お前、将来何になるとか考えてんの?」

「何になるかは分からないけれど、就職する」

「何になるか分からないけれど就職するってお前、それは何にも考えてないのと一緒じゃん」

 その何気ない一言に、僕はハッとして一瞬言葉を失った。

 わずかに空いた間の意味を自答するよりも先に、杉原がハハハと笑う。

 信号が青になって、自転車が動き出した。夕暮れの道を歩く人たちや仕事帰りの車の音に流されて、耳をすませてもほとんど聞こえないくらい小さく軋んだ音が、錆びたホイールから漏れ聴こえた。

「だから就職することを考えてるんだって」

 杉原の言葉を聞いた僕は何故か急に焦った気持ちになって、思わず大きな声で返してしまったけれど、雑踏を走り抜ける中にあっては、むしろ程よい大きさにしかならないようだった。

「そりゃあ、みんな結局は何かの仕事に就くだろうけどさ」

 僕の戸惑いなどおかまいなしに、杉原は軽い口調で苦笑いする。

「それじゃ、お前はどうなんだよ」

「俺? 俺は……」

 杉原は正面を向いて何か小さく呟いていたが、すぐに振り返ってきまり悪そうな苦笑いを浮かべた。

「何も考えてねぇな」

「お前だって考えてないじゃん!」

「あはははは。俺は最初に何にも考えてないって言ったもんね」

「ウザっ! 何も誇れるものがないくせに、その勝ち誇ったドヤ顔ウザっ!」

 自転車の前後ろで、お互いの声が聞こえたり聞こえなかったりする中、僕たちはゲームの話や好きなバンドの話をだらだらと続けて、気付けば杉原と別れる道まで来ていた。

「それじゃ、また学校でな」

「ああ。悪かったな。ずっと乗せてもらって」

「なあに。今度追試を受けるときに答えを写させてもらうさ」

「テスト受ける前から追試すること確定なのかよ」

「ははは。じゃな」

「おう」

 去って行く自転車に軽く手を振って、帰り道をひとり歩く。太陽は地平線に沈み、街灯がぽつぽつと夕闇の道を照らしている。

 杉原と他愛ない話題で盛り上がっているうちに、僕は杉原から「何になるか分からないけれど就職するってお前、それは何にも考えてないのと一緒じゃん」と言われたときの気持ちを忘れかけていた。

 一瞬の間でしかなかったけれど、僕はあのときどうして即答出来なかったのだろうか。そのあと何を感じていたのだったか。

 帰り道を歩きながら、僕は再び思い返そうとしてみたけれど、わずかな数瞬の、しかも無意識のうちに感じたことを思い起こすのは簡単ではなかった。そのうえ期末テストや家の仕事、宿題に夏休み、落ち着けない家の中、そして霧絵ミルイと、目の前にある雑事があまりにも多すぎて、知らず知らずのうちに意識の焦点がそれらへと次々と移り変わっては、より身近な問題へとスライドされてゆくのだった。

「とりあえず、今日の食事当番は僕じゃなかったよな……」

 母親の仕事の帰りが遅い日は、僕たち兄弟が交代で夕食を作ることになっている。とはいえ、そんなに凝った料理が作れるほどの腕はふたりともないので、肉じゃがだったり、玉子焼きと野菜炒めといった、簡単なメニューでしかないけれど。

「でもあいつ、ちゃんとやらないことが多いからな……」

 さしあたって、家に帰ったら食事を“きちんと”作ること。それから宿題を終わらせて、期末テストに向けた勉強もしなくてはならない。試験週間はしあさってには始まる。前回はかなり赤点に近い点数だったので、今回は少し真面目にやらなくてはならない。

「ていうか、そもそも僕は何を考えていたんだっけ」

 あれこれと思い悩んでいるうちに、結局僕は最初に何を考えていたのか分からなくなってきた。もやもやとしたはっきりしない感情から覗き込む心の内は、濃霧の向こう側の景色を眺めようとすることに似ていて、思い出そうとすることさえ億劫にさせた。

「……まあいいか。何にせよ訳の分からないことだ」

 昼間の暑さはアスファルトにいまだ残り、少しひんやりとした空気が僕の歩く道を通り過ぎてゆく。燈色の空が薄い藍色に変わろうとしていて、沈みかかった夕日が僕の影を長く伸ばしていた。


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