第33話 母の死
またまた話は前後するが、美緒が新日本学園に入園してからも、ローン会社の取立ての電話は鳴り止むことを知らなかった。母は毎日その電話の対応に追われ、日に日に弱っていった。妹は蒸発してからというもの、一切の連絡をよこさず、また、自分名義の預金通帳と美緒の養育費が元旦那から振り込まれているであろう預金通帳などを全て持ち逃げしていたことで、ローン会社に支払うお金は母にはほとんど無かった。私は私で、石原急送の従業員の給料や事務所・軽自動車の維持費などで、仕事が増えていたとしても出費もその分多くなり、妹のローンを肩代わりする余裕は無かった。(もし払えていたとしても、妹の代わりにローンの立替などしたくは無かったが・・・)
そんな中、母は友達の誘いで、創価学会という集会に参加するようになっていた。すると、今までふさぎ込んでいた顔つきが一変にして明るくなり、楽しそうな日々を送るようになっていた。多分、創価学会のお祈りというよりは、同年代の年寄りたちとペチャクチャお喋りする事が楽しかったようだ。それを境に母は明るくなった。自分でデイサービスなんかも申込み、大正琴や折り紙で創作物を作ったりと、なんか楽しそうな毎日を送っていた。土曜日、美緒を学園から連れて帰ってくると、美緒を連れて、デイサービスに行ったりもしていた。多分、同年代の年寄りとおしゃべりし、冗談を言い合い、笑っている時は借金取りの事を忘れられていたんだと思う。
私も極力母をどっかに連れて行ってあげた。小学生から高校まであんなに一緒に歩くのが嫌だった母だが、大人になってからは嫌ではなくなっていた。美緒と三人でサンリオピューロランドに行ったり、ディズニーランドに行ったり、滋賀県に旅行に行ったこともあった。とにかく暇さえあればどこかに連れて行ってあげた。
今までの分を自分の中で精算するかのように・・・・
そんな日々を暮らしていた母だが、その日は突然やってきた。
平成17年7月24日、その日は忘れもしない日曜日・・・前日の土曜日に私は母に電話をかけて話していた。
「明日、そっち行くから何時頃行けばいい?」
「明日は友達と温泉に行く約束してるから、夕方6時頃には帰っているよ。」
「分かった。じゃー7時頃行くよ。」
「うん。じゃーまた明日。」
みたいな会話で、私は次の日の夜に母の家に行く約束をした。
次の日・・・私は夕方6時頃には帰宅しているという母の言葉で、6時半頃、帰っているかどうか確かめるため、母の家に電話をしてみた。誰も出ない・・・
(まだ、帰ってないのか・・・)私は不思議に思ったが、(友達との温泉に時間を忘れてお喋りしてんな。)と思い、帰ってきたら説教してやろうなんて軽い冗談なんかを考えていた。そして7時頃、また家に電話してみる。やっぱりでない・・・こんな帰りが遅くになった事は一度も無かった。私は嫌な胸騒ぎがし、母の家に向かった。ちなみに書くのを忘れていたが、母は私が石原急送を始めた次の年に市営住宅が当たり、川崎市の幸区に引っ越していた。だから私の家からは車で20分くらいかかる。私は、焦る気持ちを抑え、車を走らせていた。
母の家に着いた。合鍵を持っていたので、それで鍵を開け、家にあがる。部屋の中は真っ暗で、人が居る気配が無かった。ただ、扇風機だけが首を振りながら動いていた。(扇風機が動いている。帰ってきているのか?)私は恐る恐る部屋の電気を点けた。・・・
そこで、私が目にしたもの、それは信じられない光景だった。母がベッドと壁の隙間に落っこっていて、そのままうつ伏せで横たわっていたのだ。私はベッドから落ちたのかと思い、近寄って、「何ベッドから落ちてるんだよ。」といって母に触れると体が冷たかった。私はビックリして母の頬を2・3回叩いた。「起きろ!起きろ!」と言いながら・・・
母は目覚めなかった。私はすぐに119番に連絡し、救急車を要請した。しばらくすると、救急車が到着したのだが、救急隊員が母の状態を見て、「死後硬直が始まっているので蘇生は無理です。このまま警察へ連絡しますので、少しお待ちください。」と言われた。
しばらくすると警察官が数名やってきて、色々調べ始めた。部屋には入らないように言われ、「お母さんの衣服を脱がしますので、了承してください。」と言われた。聞けば、殴られた後がないか、怪我がないか、などを目視で確認するのだそうだ。それが終わると、今度は私が色々尋問された。昨日から今日まで遺体を発見するまでどこで何をやっていたのか細かく聞かれた。第一発見者は疑われ安いとテレビドラマなんかで見たことがあるが、正にその状態だった。結局、母が死んだというのに、悲しむ間もなく、色々尋問され、遺体は死因の特定をするとの理由で警察官に持って行かれ、遺体が帰ってきたのはその2日後だった。死因は、脳内出血・・過度のストレスや塩分の取りすぎ、高血圧が原因で起こる死因の一つなのだそうだ。享年七十歳。母こうして亡くなった。
私はこの時、もう塾を始めていたので、授業は休めなかったが、流石に母が亡くなって、それを無視して授業をするなんて非常識な事は誰も望んでいないと思い、この時ばかりは1週間だけ代打の先生に来てもらって授業をしてもらった。先にも後にも塾を休んだのはこの時だけだった。
母の遺体が返ってくると、すぐに葬儀の準備が始まった。生前母は、「豪勢な葬式はしなくていいから。」と言っていたが、親戚の目もあって、そうは言ってはいられず、それなりの葬式を上げることにした。ただ、助かったのは、創価学会の方たちが『友人葬』というのをやらせて欲しいと申し出てきてくれたことだった。友人葬とはお坊さんのお経ではなく、創価学会のメンバーが全員でお経を合唱し、故人を送り出してくれるというものだった。
「お坊さんへのお布施がかからないから、その分葬式代が安くて済むわよ。」と、母と同じくらいの年齢のおばちゃんにそう言われては、従わざるを得なかったが、むしろお金がかからないのでありがとうございます。って感じにも思っていた。なぜならお坊さんのお布施は何十万円もすると聞かされていたので・・・
これからお金がすごくかかる事は目に見えていたので、極力お金は大切に使いたかった。というのも、石原家にはお墓がなかったのである。父のお墓には、夜逃げ同然で出てきた事もあり、入れるはずはなかったし、かと言って田舎のお墓に入るには、本家・分家のしきたりが煩わしくて入る気は全くなかった。そう。私は、これから、お墓を建立しなければならなかったのだ。
だから、友人葬の申し出を快く、受け入れることにした。
そして私にはもう一つしなければならない事があった。それは、母のもう一人の息子への連絡である。つまり、私のお兄ちゃん。・・・母も私の父とは再婚だったのだが、前の旦那との間に一人息子がいた。離婚の時、本当は一緒に連れてきたかったのであるが、旦那の姑に強引に引き離され、連れては来れなかったと言っていた。名前を
だから、連絡先は知っていたので、利幸兄ちゃんに母が死んだことを伝えた。
利幸兄ちゃんの家族もすぐに、うちに飛んできてくれた。そして、葬儀の手伝いをいろいろとしてくれたのだった。
そしてお通夜・・・母の友達から、私の友達まで色々な方が参列し、焼香してくれた。夜中、母の棺桶の前で私は一人になった。すると途端に今まで堪えていた感情がフツフツと湧いて来て、私はワーンワーン大声を上げて泣いてしまった。私にこんな感情があるなんて自分でもビックリだった。私は以前から(母が死んでも多分泣くことはないだろう。)なんて思っていたからだ。しかし、母の亡骸を見ていると、嫌なこともあったが、楽しかった事もたくさんあり、その楽しかった部分だけが不思議とクローズアップされて、感情のコントロールが出来なくなってしまっていたのだ。それに感づいたのか、利幸兄ちゃんが祭壇の部屋に入ってきた。そして私が大声で泣いているのに気づき、近寄ってきた。私は利幸兄ちゃんに母に「こんなことやあんなこともしてやれば良かった。」とか「あの時、あんな口の利き方をしていまい後悔している。」とかこみ上げてくる感情のまま話していた。すると利幸兄ちゃんは、「俺は重雄が羨ましいよ。俺には重雄みたくお袋との思い出がほとんどないから。悲しいんだけど涙が出てこない。」と言ってきた。その言葉で、私はハッと我に戻った。(そうだ。俺も辛いけど、利幸兄ちゃんも辛いんじゃないか。なのに自分のことばかりで俺は・・・)そう思い、利幸兄ちゃんに「自分のことばかりでごめんなさい。」と謝った。利幸兄ちゃんは別に気にしてないと言っていたが、なんとなく、私の方が気まずい雰囲気になった。(しっかりしなくては・・・)そう心の中で呟き、私は、気持ちを整理させた。
そして次の日、私は何事も無かったように、告別式で喪主のあいさつを行い、火葬をし、骨になった母を家へと連れて帰ってきた。お墓が立つまで遺骨は家に置いておくことにした。
お墓は結局、川崎市のセントソフィアっていう無宗教の墓地に建立することにした。お墓はなんだかんだ、墓地と石碑で軽く数百万円になった。私は、石原急送で稼いだお金を全て葬式とお墓代につぎ込んだ。しかし、その後、母は生命保険に入っており、受取人が私になっていたことで、葬式代とお墓代くらいにはなったのですごく助かった。
余談だが、前述したように生命保険会社が妹の住所を教えてくれたことの理由は正にこれにある。母は生前、「春江にはビタ1文お金は残さない。」と言っていた割には、1つだけ、妹の名前で生命保険に加入していたらしい。しかし、妹が蒸発したので、その保険の受取人も私に変更する予定だったと保険会社の人から聞かされた。しかし、契約を変更する前に死んでしまったので、保険会社としては『蒸発していなくなり、美緒を置き去りにしているひどいバカ女』だと知っていても、受取人が妹である以上、妹に保険金を支払わなければならないという義務があるらしく、保険会社の独自のルートで、妹の住所を調べたと言っていた。だから、妹の住所も知っていたし、私に住所を教えてきたのである。
私は、保険会社の人に、「妹は受け取り拒否なんかはしませんでしたか?」と聞くと、
「喜んで受け取りのサインをしていました。」と聞かされ、益々腹が立ってきた。
結局あの女は直接的でないにしろ、間接的に母をローン地獄に追い込み、死に追いやっておきながら、保険金を何十万円か手にしている。そう考えると、再び、イライラが募ってくるばかりだった。
今冷静に考えると私にとって妹は結局なんだったのだろうか?悪魔なのか、美緒を与えてくれた天使なのか・・・答えはそう簡単に見つかりそうもない。その答えが出るときは、私が妹と再開し、美緒を交えて三人で会話が出来た時に始めて答えが出るような気がする。しかし、この先、私が妹と再開する確率は1%もないだろう。と、すると、その答えは永遠に見つからないのかもしれない。・・・
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