第32話 美緒と私(親子の軌跡)


 妹が蒸発してから1ヶ月くらいたったある日、また母の家にローン会社から電話がかかってきた。妹は、蒸発とともに、借金までも置き土産で残していったのだ。正確な金額は分からないが、3社からそれぞれ代わる代わる電話がかかってきていたらしく、合計すると150万円以上はあったみたいだ。救いだったのは、ちゃんとしたローン会社ばかりでヤミ金みたいな類のものは一切なかったので、取立ては穏やかだったみたいだが、それでも3社から毎日のように代わる代わる電話が鳴り止まない状態に母は疲れ果てていた。

それでも母はローン会社から電話かかってくると、

「私は何も知りません。足を手術して身体障害者手帳も持っていて、働ける体でもないので私が返済することはできません。娘をそちらで探して、支払わせて下さい。」

と話をするらしい。するとローン会社もその場は電話を切ってくれるとのことだった。しかし、ローン会社も契約時に記入されていた電話にかけることしかできないのか、また別の日に同じように電話をかけてきていた。

こんな状態が続く中で母はだんだん精神的にも肉体的にも疲れてきたのだろう。

体がどんどん衰弱していってついに、「美緒を見ることができない。」

と言い出さだしたのである。私は私で、石原急送と大学の掛け持ちの中、時間を作っては美緒の面倒を見ていたが、流石に母の手助けなしでは一人で見ることは不可能に近かった。私と母は仕方なく児童相談所に相談することにした。何かいい案は無いか相談するためである。するとそこで新日本学園という施設を紹介された。その施設は24時間体制で子供を預かってくれる、児童養護施設みたいなところだった。そしてそこは、学園の行事等が無ければ、いつでも子供を外泊させてもいい所だと聞かされた。私と母は不安を胸に、そこを見学しに行ったのだが、子供たちの顔がイキイキとしていて、笑顔に溢れ、楽しそうにしているのを見てすごく安心した。私と母はすぐに入園をお願いした。

そして美緒は3歳になる少し前に、新日本学園に入園することになったのである。

 

 入園初日、私は美緒の手をつなぎ、学園に入っていったのだが、私が帰ろうとしたとき、美緒が私の手を握ったまま離さず、強引にその手を話すとワーンワーン泣いていたことを今でも思い出す。あの時は私も辛かった。しかし、子供の適応能力は凄まじく早く、次の日、心配になって様子を見に行くと、もう他のお友達と一緒に遊んでいたのが印象的だった。こうして美緒は2歳から、平日は新日本学園で暮らすようになった。


 このころから私は、美緒を自分の子供として、本人はもちろん周囲の人間にも認知されるようになるため、私に対する美緒の呼び方を考えていた。『お父さん』や『パパ』だと小っ恥ずかしい気もしたし、なにより新日本学園の先生方が私のことを『叔父さん』と呼んでいたので、美緒に不信感が募るといけないという思いから、別の呼び方を考えていた。(新日本学園には、最初に妹の子として名簿に記帳していたので、先生方はそう私を読んでいた。)

そこで私は、色々考えた挙句、その当時お昼の連ドラで『ぽかぽか』というドラマに主人公として登場していた4歳の女の子、明日香ちゃん(役名)がお父さんとお母さんを『チチ』『ハハ』と呼んでるのを思い出し、響きも可愛かったし、明日香ちゃん自身も可愛かったので私は美緒に私の事を『チチ』と呼ばせ始めた。美緒は、初め戸惑っていたが、すぐに私のことを『チチ』と呼ぶようになった。そしてそれは瞬く間に浸透し、新日本学園の先生方も私のことを『チチ』と呼ぶようになっていった。


そしてもう一つ私がした事は、会う人会う人に美緒は自分の子として紹介した事だった。それは将来、美緒の耳に、私が本当の父親ではないということが他人伝えに届くのを恐れたからである。将来的には私の口から話すつもりではいたが、私の知らない所で、勝手に美緒に知られるのは嫌だった。だから私は、仲のいい友達にさえ、「俺の子供だよ。」と紹介し、笑いながら、「昔付き合ってた彼女が突然現れて、あなたの子供だから引き取って。と言っていきなり置いていった。」と言ってごまかしていた。(嘘ついてごめんなさい。)

だから、この時点で、私と美緒が本当の親子ではないと知っていたのは、私と私の母、新日本学園の先生方、それと生命保険のセールスレディーの人だけだった。(私は生命保険に加入していたのだが、保険金の受取人欄に美緒の名前を書くとき、実際の続柄を書かないと無効になると聞かされ、本当のことを記入していた。)

これで、美緒を自分の子として扱う布石が全て揃った。

そしてそれから私たちは本当の親子として平穏な日々を過ごし、美緒は完全に私を本当の父親として認識していた。新日本学園の先生方もそれに合わせ、私を叔父さん扱いすることなく、父親として接してくれるようになっていった。



月日が流れ、美緒が中2になったころ、新日本学園の先生から大切なお話がある、と呼び出された。私は指定された日時に学園に行くと、そこには児童相談所の人もいた。

私は何かあったのかと少しドキドキした。応接セットのソファーに私が腰掛けると、一息ついて先生が話し始めた。

「こんにちは。お忙しいところすみません。」

「いいえ・・・」

「実は、今日来て頂いたのは、美緒ちゃんの今後についてです。」

私は話がすぐに見えてきた。

「早いもので美緒ちゃんも、もう中2になりました。来年は高校受験ですね。」

「はい・・・」私は相槌を打った。

「この先、美緒ちゃんはどうされますか?このまま学園にいるのか、家に帰るのか・・・どうしたいですか?」

私は少し考えたがすぐに結論を出した。

「このまま学園において下さい。ご存知かと思いますが、私は塾をやっていまして、夜がメインの仕事をしています。このまま美緒を連れて帰ったとしても、朝は私が寝ている間に美緒は一人で学校へ行き、学校から帰ってくると、私はもう塾に行っていて、夜中まで帰ってこない・・・美緒は晩ご飯を自分で作って、必ず一人で食べないといけない状態になります。それではあまりにも可哀想すぎます。今まで大人数でご飯を食べていた子が、急に1人でご飯を食べる寂しさを考えたら、このままこちらでお世話になっている方が、美緒にとってはいいことだと思います。それに今から美緒を転校させるのも可哀想だと思いますし・・・。」

私は自分の気持ちを素直に伝えた。それを聞いた学園の先生は、

「わかりました。そのように致します。」といい、一息ついてさらに続けた。

「それともう一つお話があるのですが・・」そういうと少し言いづらそうに先生は続けた。

「そろそろ美緒ちゃんに本当のことを伝えた方がいいと思います。」

「本当の事といいますと?・・・」

「美緒ちゃんが妹さんの子だということです。来年、高校受験がある関係で、願書を提出するんですが、その際、美緒ちゃんは頭がいい子なので、もしかしたら何らかの形で気づくかもしれません。高校受験の前に本当のことを知り、精神的なダメージから高校受験を失敗しないためにも、中2の今、この段階で本当のことを伝えておいた方が、いいように思います。・・・」

「・・・・・」

ついにこの時が来たか。・・・私はそう思った。一生隠す気は1ミリも無かったが、それでも、早すぎる展開に私は戸惑いながらも、先生が言っている意味も十分に理解できた。

私は先生方に本当のことを美緒に伝えると約束した。


そして1週間後・・・

その日は朝起きた時からソワソワしていて、何も手につかなかった。・・・   

美緒にカミングアウトする日・・・何から話してどういう順番で話していこうか・・・

いくら考えても答えは出ず、学園の先生との約束の時間になってしまった。

私が学園に着くと、すぐに美緒が応接室に呼ばれた。私は一息ついて話し始めた。どんな順番でどのように話をしたのか、正直覚えていないが、本当の事を包み隠さず話して聞かせた。美緒は驚き、泣きながら聞いていた。私も胸が熱くなったが、先生方がいる手前、気持ちをグッと抑え、冷静を装い最後まで話し終えた。そして私は最後に一言だけ付け加えた。

「本当の親子じゃなくても、チチと美緒の関係は今までと何も変わらないから、そのことだけは覚えておいてな。」

美緒は泣きながら頷いていた。

そして、それから私はすぐに学園をあとにした。その方がいいと学園の先生に言われていたからである。1人になってゆっくり考える時間が美緒には必要だと言われていたのである。私はこの先どうなるのか不安でいっぱいだった。


次の週の土日、私は美緒に会いにいった。美緒に会うまではすごく不安だったのだが、そんな不安は取り越し苦労だった。美緒はいつも通りニコニコしながら家に帰ってきた。私は安心した。(いつも通りだ・・)

こうして私は美緒の本当の父親として、何の隠し事もなく生活するようになった。

そして月日は流れ、美緒も立派に成長し、高校を卒業するのと同時に学園も卒園した。

美緒はプロの先生方の指導で、ちょっと性格はキツイが真っ直ぐないい子に成長した。

今美緒は大学3年生・・・あとは就活でうまくいってくれることを切に望んでいる。



私は、妹が嫌いだ。殺意さえ覚えた時期もある。それでも妹に対して1つだけ良かった事がある。・・・それは美緒と出会わせてくれたことだ。

今は大学生になったので、バイトやサークル、学業など忙しい日々を送っているみたいで、ほとんど家には寄り付かないが、それでも小学生から高校生まで、美緒がいなかったら体験していなかったであろう事がたくさんあった。沖縄旅行でのスキューバダイビングや大阪のUSJ旅行などもそのうちの一つだと思う。美緒がいたから、色々なところに旅行にも行ったし、体験もできたと思う。そしてなにより、美緒と家族になれた事だけは妹に感謝せねばなるまい。

だからといって、妹を許す気にはなれない。

私は妹に美緒と会って欲しくなかったし、会わせたくも無かった。

しかし、美緒が大学生になる時、その考えは私の個人的なエゴではないかと思い始めた。そこで私は、妹に手紙を書く事にした。実は妹の居所は生命保険会社の人から教えてもらっていたのだ。なぜ生命保険会社の人が妹の住所を知っていたのかはあとで話すとして、保険会社の人は半ば強引に、後々必要になるからと無理やり妹の連絡先が書いてあるメモを渡された。そのときは「迷惑だ。」と真剣に思っていたが、今思えばありがたかったのかもしれない。妹は再婚していて上野という姓になっていた。

私は妹に『美緒が新日本学園というところを卒園し、大学生になるのだがお前はどうしたいんだ?このままでいいのか?お互いもういい大人なんだし、昔のことは俺も水に流すから、少しでも美緒に気持ちがあるなら、何か連絡をくれ。』みたいな事を書いて、最後に電話番号とメールアドレスを書いておいた。いきなり電話では話しづらいと思い、メアドも書いておいたのだ。ところが、1週間たっても2週間たっても何の返事も寄こさなかった。

結局、あのバカ女は最後の最後まで美緒を捨てたのである。私はやっぱりあのバカ女を一生許すことはできないと思う。

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