第27話 社会人④ー2(大学を卒業して)


私はT大学の教育学部へ入学したのだが、卒業までにやっておかなければならない事をレクチャーしてもらうために学生相談係の門を叩いた。そこで私は愕然した事実を聞かされることになった。私は元々学校の先生になることが1番の目標だったのだが、卒業するときに30才という年齢から考えて、教員採用試験に合格する事は極めて難しいだろうと言われた。それにその前にしておかなければならない教育実習をする学校も自分で探さないといけないのだが、年齢から考えて受け入れてくれる学校は多分ないだろうとも言われた。今でこそ「雇用における年齢制限の禁止」(平成19年10月から)というものが厚生労働省から発布されているが、その当時は年齢が28歳を超えると再就職が難しいと言われていた時代である。私はそのことに最初に気づくべきだったのである。


しかし、せっかく入学した大学・・・私は卒業するまでは辞めないと決めていた。 

私は、大学に通いながら営業も行い、小さいながらも着々と仕事と従業員を増やしていった。その頃の私は、もう見境なく仕事をとってきた。書店の配送から配送とは関係ない清掃関係の仕事、建設ビルのタイルの塩酸での洗い屋・・・配送業というよりは、ほとんど「なんでも屋」みたいな状態になっていた。それでも従業員と自分が食べていくためには何でもやるという覚悟を持ち、従業員の新規採用の面接でもそのことを話して理解してくれた人だけ採用するようにした。

そうこうしているうちに軽自動車も何台も増え、事務所も少しずつ大きくなり、私の中では一応成功したように思えた。


そんな日々を送りながら、4年の月日が流れた。

私が大学を卒業する年を迎えたのだ。

私の周りの学生は就活に追われていたが、既に仕事を持っていた私は就活などする必要もなく、今後の身の振り方を考えていた。大学に入ったのは学校の先生になるため・・・でもそれは叶わなかった。じゃーこの先俺は何をしたらいいんだろう?石原急送をこのままずっと続けていくか?もちろん苦しい時も辛い時もあったし、ミスして、もうダメかなって思った時も多々あった。それでも潰れずにこうしてやってこれたんだから、これからも石原急送にしがみついて行こうか・・・そう考えていた。


そんな時だった。私の目に1枚のチラシが飛び込んできた。事務所で新聞のチラシを何気なく見ている時だった。『塾経営オーナー募集!』と書かれたその紙は私の心を一瞬にして奪い去っていた。私は中学時代から塾に通った事は一度もなかったので、塾という発想は一ミリも頭になかった。(これなら、一応教育関係の仕事じゃないか・・・子供たちの成長を見届けられるかもしれない・・・)

私は早速その広告に載っていた電話番号に電話した。そして話を聞きに大和にあるというその本社まで訪ねて行った。名前を「オックスフォード学園」といい、その塾の社長の岩佐社長と面談した。背が低く白髪のその男性は口調が優しく、言葉遣いが丁寧で、なおかつ、どこか親しみやすいキャラクターだった。私は塾について話を聞いた。すると岩佐社長は意外なことを提案してきた。

「宮前区の菅生というところに一つ、うちが経営している塾があって、もう生徒も数名いるんですけど、その塾を買い取るというのはどうでしょうか?一から塾を開くのは、場所決めから生徒募集、机や黒板、備品の搬入とすごく大変ですから、もう塾の体をなしているその塾を買い取った方が楽だと思いますよ。」

確かに、一から事務所を立ち上げるのは薄衣電解工業の時と石原急送の時で経験済みなので、その大変さは十分に理解していた。私は買取金額を訪ねた。

すると岩佐社長は2つの提案をしてきた。

「150万と300万のどちらかでどうでしょうか? 但し、150万円の場合は、毎月のロイヤリティーを10%頂きます。そして300万円の場合は毎月のロイヤリティーを5%にします。単純計算で生徒が20人いて1人2科目ずつ受講した場合、最初に設定したロイヤリティーは永遠に変わりませんから、5年以上続ければ300万円の方がお得という計算になります。」

私は彼が言わんとすることがすぐに分かった。私はしばらく考えた挙句、返事した。

「今、自分で仕事をやっていますので、その仕事をどうするのかを含めて、改めてご連絡させていただきます。」

「分かりました。ただ、あまり待てませんよ。やりたいという方がいらしたらそちらの方とすぐに契約してしまいますので・・・」

「わかりました。近日中に再度ご連絡させて頂きます。」

私はそう言い残してその場を後にした。

私の気持ちはもう決まっていた。しかし、今いる従業員に何て話していいか分からなかった。・・・私は途方にくれていた。でも、昔からの夢が手の届く位置にまできている。このチャンスを逃したらもう、おしまいかもしれない。そう思うと居てもたってもいられなくなって私は会社に行き、従業員を全員集めると、運送業を廃業したいとみんなに素直に話した。自分の幼い頃からの夢、挫折、そして大学へ行った理由など、全てを偽ることなく話した。そして最後に全員の再就職口を絶対見つけると約束した。みんな理解してくれたみたいだった。次の日から私は取引先に取引停止のお願いと同時に、うちで働いている従業員を雇ってくれないだろうかというお願いをしてまわった。最初はびっくりしている所もあったが、事情を説明すると快く従業員を引き取ってくれる会社も結構あった。そして私は、石原急送の全員の再就職先を見つけ、石原急送を廃業した。

話は前後するが、私は岩佐社長と面談した次の日に、宮前区の塾を購入する旨の連絡をした。買取金額は300万円・・私はこうして塾経営に乗り出したのである。


私はこの先、人生で一番の地獄を見るとも知らずに、期待を胸いっぱいに膨らませていた。

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