第24話 社会人③ー3(自己啓発セミナー)


私の1日は朝礼の挨拶から始まる。朝、始業のベルがなると、三課のメンバー全員が事務所前のホールに集まり、課長の挨拶が終わった後、私がその日の生産予定を話すというのがお決まりのパターンだった。最初は年齢が年上の人たちに偉そうに生産指示を出すことに抵抗があったが、みんな優しくていい人たちばかりだったので、私が遠慮がちに話していると、「もっと堂々と話していいんだよ。」って言ってくれたので、私は堂々と指示するようになっていた。


それが終わると、今度は午前の便で出荷しなければならない製品のチェックをし、コンピューターへの入力、そのあとは、午前の便(川口さんという新しい人が入社して担当していた。)に同乗して、東芝さんまで行き、生産会議に出席し、これからの生産予定などを東芝さんの工場長クラスの人たちと話し合うこともあった。

すごく充実していて、時間はあっという間に過ぎ去っていた。気が付けば、あれから4年の月日が流れていた。もちろんその間には楽しいことばかりでは無く、嫌なこともたくさんあった。納期までに製品が間に合わず、東芝さんに怒られに行った事やそれを部長が見て見ぬ振りをし、責任を全部私に負わされたことなど挙げたらキリがない。それでも、やっぱりこの仕事は楽しかったし、私は一生この仕事を続ける決意をしていた。あの日が来るまでは・・・


それは突然やってきた。社長に呼ばれ私は社長室に行くと、業務命令でその当時流行っていた自己啓発セミナーに参加するよう言われた。これは主任以上全役職を持っている人は参加しなければならないと説明された。もっと自分自身の目標を高く持って仕事に邁進してもらいたいというのが社長の考えだった。

私は参加することを承諾し、次の週の月曜日から水曜日まで、2泊3日で参加することにした。そう、このセミナーは泊まりがけだった。


1日目、セミナー会場に入ると、そこには異様な空気が流れていた。私は、このセミナーについて、何の下調べもせず参加していたので、どういったセミナーなのか全く知らなかった。しかし、講師の人が話し始めるとその異様な空気が何なのか、すぐに分かった。

「みなさん。ここではプライバシーは捨ててください。全て本心で話してください。会社への不平不満、プライベートな恋の悩み、性癖、はたまた日常への不満や社会への不満・・・全てを本音で話してください。自分を真裸にする事により、これから生きていく上で必要な自分の目標、仕事の目標、その他自分の生活の礎になるような物が一つでも見つかると思います。これを聞いて自分には自信がないという方は、どうぞ退出して下さい。受講料の返金にも応じます。」

講師の人の話は全てが異様だった。

しかし、そう言われても、私は業務命令で参加しているわけで、帰るわけにはいかなかった。周りをみても退出するような人は一人もいなかった。それからしばらくして、本格的にセミナーが始まった。

まず最初におこなったのはお互いを信頼するために、2人1組になり、お互い椅子を向き合い、お互いの目を見つめ合うというものだった。私は、たまたま隣の席に座っていた同い年位の男の子と椅子を向き合い、「用意、始め!」の掛け声と共に、その子の瞳をずっと見つめた。その子も私の瞳を見つめる。・・・たった今あったばかりの名前も年齢も知らないその子とお互いの目を見つめ合うその異様さは尋常ではなかった。私は最初この行為は1分くらいで終了するものだとばかり思っていたが、終了の掛け声が一向に聞こえてこない事に不安を感じ始めた。見つめ合っているその子もそう思っていたのかも知れない。だから、たまに目が泳いでしまうことがお互いあったのだが、そういう時は決まって講師の人から「目を泳がせないでじっと見つめる!」と怒られた。

(ちゃんと見ているんだ・・・すげー。)と私は心の中で思うのと同時に(いつまでやるんだよ?)という苛立ちと不安が極限まで募っていた。


どのくらい経っただろうか?

「やめ!」の掛け声がようやく聞こえてきた。あとから聞かされたのだが、実に30分もの間、お互い見つめ合っていたとのことだった。

講師の人から「どうでしたか?」と質問された人が「相手のことが好きになってしまいました。」と言い、会場は笑いに包まれた。

「そう。人生に於いて、これほど長い時間、他人の目を見つめる事はほとんどありません。愛している人でさえそんな長い時間、見つめ合ったりしません。みなさんは貴重な経験することにより、多かれ少なかれ相手のことが好きになったり尊敬したり信頼したり出来たはずです。ここではお互いに信頼することから全てが始まるのです。今日見つめ合った人はあなたの運命の人です。これから3日間のセミナーでのあなたのパートナーです。これから行う全てのロールプレイはその人とやってもらうことになりますので、自己紹介などを休憩時間にすませておいてください。」

そう言い残して、1時間目は終了した。

私は言われた通り、隣の人と名刺交換をした。・・・

(しかし・・・ごめんなさい。顔は覚えているんですが、名前を忘れちゃいました。仮に大野君としておきます。私の知り合いにソックリな人がいるので・・・)


その人は体系的には少しぽっちゃりで、髪は短髪、肌は白くて、なんか可愛らしい感じの人だった。私より2つ年下の当時22才だった。大学の就活中で自分のビジョンを見つけたいという思いで、このセミナーに参加したとの事だった。私たちはすぐに仲良くなり、このセミナーの間中、ずっと二人で過ごしていた。


セミナーは2時間目、3時間目と回を重ねていった。しかし、どんな事をやったのか断片的なことしか覚えていない。そんな中でも特によく覚えているのは、お互いのパートナーに過去のあやまちを告白するというものだった。あやまちを告白することにより、もうそのあやまちは精算され、新たな一歩を踏み出せるといった趣旨のものだった。

私たちはお互いに涙を流しながら、過去に犯したあやまちを告白し合った。(しかしここでは、相手方のプライバシーもあるので、書く事は控えたい。)

気が付けば、私も大野君もこのセミナーにハマっていた。いや、ここに参加している全員がハマっていたような気がする。客観的に見れば、集団催眠・・・そんな言葉が当てはまっているのかもしれない。とにかく参加している全員が泣き叫んだり大声を上げたりと、過去のあやまちを告白することにより、自分をさらけ出していった。


それからセミナーは全ての講習を滞りなく終了し、最終日の一番最後の講座で、自分のこれからのビジョン(目標)を参加者全員の前で発表するというものがあった。事前に通告されていたので、私は会社でのこれからの目標などを考えて発表しようと頭に思い描いていた。ところが、他の参加者の熱い思い、熱いビジョンを聞いているうちに、自分にも熱い思いが激ってきていることが分かった。私の順番になった。私は頭で考えていたのとは全然違う事を話し始めた。私は、大声で怒鳴るように話した。

「私は、本当は教育の仕事につきたかった!・・・家庭の事情で叶いませんでしたが、いつか絶対叶えて見せます! どんな形でもいいから、絶対教育関係の仕事をします!」

大きな拍手をもらい私のセミナーは終わった。解散する時に私たちはお互いを讃え合い、人生の成功者になろうとお互いに誓い合った。なかでも大野君と分かれるのがすごく残念だった。携帯など無い時代・・・

一応電話番号は教えてもらったが、家電いえでんなのでかける事はほとんどなかった。しかしこの時私は確かに、この大野君という人間を、人として好きになり、尊敬し、信頼するようになっていた。講師の先生が1日目に言った通りになっていたのである。でも、それはどれをとってみてもセミナーの間だけの話だったみたいだ。現に名前すら忘れてしまっているのだから・・・重ね重ねごめんなさい・・・

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る