第21話 社会人②(再就職そして2度目の辞表)


エイスクジャパン」を退職した私は翌週、その教材販売をする会社に入社した。

入社初日、指定された時間に会社へ行くと、異様な光景が私を待っていた。

それは、朝礼と題された、叱咤激励の会みたいなものだった。しかも電話をスピーカー状態にして、電話口の向こうにいる本部の偉い人に向けて、大声で自分の売上成果、今日の目標、それを達成するにはどうしたらいいかなどを叫ぶ物だった。私は「エイスクジャパン」の時とは違う朝礼方法に戸惑いながらも、世間というものを全く知らなかった私は、会社にも色々あるんだと妙に納得してしまった。

そして私の上司から、

「明日から、石原君にもやってもらう事になるから、今日のうちに目標を考えておいた方がいい。」

と言われた。そして朝礼が終わると、いよいよ仕事の説明が始まった。ところが仕事の説明が始まってから、ものの数分で私は「この会社やばい?」と思い始めた。ちなみに私が配属されたのは中学生を対象とした部署だった。


まず、最初に手渡されたのが、担当地域の生徒名簿と、アポイントを取るための台本だった。そしてその上司は平然と言った。

「まず、名簿の1番上から順番に電話をかけていき、台本通りの事を言ってアポをとること。とにかく手当たり次第電話をかけてアポが取れるまでは休みなく電話をかけ続けて!で、アポが取れたら、その次の事を説明するから。」

私は台本に目を通した。全部は覚えていないが、大体こんな事が書かれていた。

「○○さんのお宅ですか?今日お電話させて頂いてるのは、お宅の○○君が川崎市の診断テストで優秀な成績をとったからです。 (中略) 弊社の教材を使えば、今以上に学力が伸び、1ランクも2ランクも上の高校へ合格する事も夢じゃありません。とにかく1度お会いしてお話だけでも聞いてみませんか。」


私はビックリした。どこで手に入れたか分からない名簿、診断テストのデータがあるわけでもないのに平然と嘘をつき、さも診断テストの結果があるかのように振る舞い、親御さんの心をくすぐるような言い回しでその気にさせる台本・・・どれをとっても胡散臭いものばかりだった。(今でいう劇場型詐欺みたいなものだろうか・・・ただ、詐欺と違うのは、ちゃんと教材を届けるという点。ただその教材は破格の値段だったが・・・)


私は愕然とした。これは私が夢に描いた教育ではなかった。しかし、そう気づいた所で、もうすでに「エイスクジャパン」を退職してしまった訳で、食っていくためにはこの仕事にしがみつくしかなかった。

私は、必死に電話をかけ続けた。そして、電話をかけ始めてから、3時間くらい経った頃、やっと1件のアポを取る事が出来た。5日後の土曜日に会う約束をした。

上司にその事を告げると、営業テクニックと歩合関係の話をされた。

営業テクニックは色々と説明されたが、どれもこれもやっぱり胡散臭いものばかりで正直忘れてしまった。ただ、一つだけ覚えているのは、「相手が契約するまで帰るな。」というものだった。営業テクニックの説明が終わり、次に歩合の説明が始まった。やはり、お金が絡んでくるとみんなやる気を出すので、必ず営業に行く前に歩合の話を聞かせるのだと上司は言っていた。話を聞いた私は驚いた。固定給は面接の時に聞いていたが、歩合はかなり魅力的なものだった。教材が1セット(全5教科)で100万円の販売。その1割が歩合となり、固定給にプラスされる。というものだった。つまり、固定給が月40万円、教材を月3セット販売すれば歩合が30万円入り、合計70万円になるという計算だった。私は、その金額に正直舞い上がっていた。今自分が何をしようとしているのか見境いない状態に陥っていたのである。完全に私はこの時、お金の亡者になっていた。私は、それから、毎日電話をかけ続け、5件のアポを取る事が出来た。そして、入社して5日後、最初にアポをとった子の家に出かけて行った。ちなみに現地に行くための手段は自由だが、全部自腹だと聞かされた。私は自家用車で行く事にした。その子の家の近くに車を止め、その子の家に着いた。私を出迎えてくれたのは人のよさそうなお母さんと中3の女の子だった。

私は、リビングに通され、お母さんはお茶を持ってきてくれた。と、次の瞬間、私は我に返った。人のよさそうなこのお母さんとこの女の子に嘘の台本でアポをとった自分を恥じた。そして私は、教材を売る気が全く無くなってしまったのである。

私は、変に思われたらまずいので、一応一通りの説明はしたが、契約するまで帰るなという上司の言葉を完全に無視し、私はお母さんに、

「もしこの教材を使ってみたかったら、お電話下さい。」と言い残してきた。このセリフは一番ダメなパターンだと上司に教わっていた。こう言って帰ってきたら、まず電話はかかって来ないとの事だった。私は、それを逆手にとって電話がかかって来ない方へ、この家族を導いていたのだ。

私はその日は直帰した。そして、家に着いた私はしばらく茫然としていた。

(この仕事、俺には無理だ。人を騙してまで、金を稼ぎたくない。)

そう思うようになった。私は、次の日、会社に辞表を提出した。驚かれるかと思っていたが、そうでもなく、すぐに辞表は受理された。話を聞けば、人の出入りが激しく、長続きしない人も結構多いらしい。でも一番驚いたのは1週間しか働かなかったのに給料が日割り計算で10万近く振り込まれた事だ。しかも教材を1つも売っていないのに10万円ももらえるとは・・・ほんとビックリである。そしてもう一つビックリなのは、私はこの時点で無職になってしまった事である。明日からの生活どうしよう・・・ そう考えざるを得ない状況に私は追い込まれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る