第19話 高校時代①ー2(夢をあきらめた時・・)


それからの私の高校生活は普通の高校生と同じように流れた。

バンドを組んでライブしたり、ライブ終わりにはファンの女の子から交際を申し込まれたり、バイト先で知り合った女の子とつきあったり、青春を桜花していた。貧乏だった私も、バイトをすることにより、いつしか普通の高校生になっていたのである。

そんな日々を過ごしていた私はあっという間に高校3年生になっていた。そろそろ大学受験について真剣に考えなければならない時期に来ていた。私は中学校の時に抱いていた夢である学校の先生になるため、大学に進学したかった。調べれば奨学金もたくさんあり、授業料の心配はしなくてすみそうだった。私は大学受験する事を母に伝えた。母もそれを快諾してくれたので、私は受験勉強一本に全神経を絞る事にした。


まず高1から続けていたバイト先の店長に辞める事を伝えた。私はこの時、バイトリーダーになっており、バイトのシフト管理から教育、さらには店長が休みの時などは金庫のカギを預かり、その日の売り上げの計算をしたりと、自分で言うのも変だが、かなり信頼されているポジションにいた。そんな訳で、かなり引き留められた。しかし、私が大学受験に専念したいと断固たる決意を見せると、店長は冗談交じりで、「大学落ちたらウチに就職しな。」と言ってくれて、私はバイト先を円満退社した。

そして、もう一つはこのバイト先で知り合った彼女との別れである。勉強するのに彼女の存在は重荷という意識があったからだ。今思えば、結局は自分自身の問題で、彼女の存在が重荷と言う事は無いのかもしれないが、当時の私は全てを清算して、勉強だけに集中したかったのである。私はその事を彼女に伝えた。最初はぐずっていた彼女だが、最後には理解してくれて、私たちは1年半続いた関係に終止符を打ったのである。


私は、その日から来る日も来る日も勉強に励んだ。友達はみな、予備校やら塾やらに通っていたが、私には通う事が出来ないので、独自学習で平日は6時間、休日は12時間以上は勉強した。起きている時間のほとんどを勉強に費やしたのである。

そして時間は流れ、受験シーズンになった。

私は、横浜国立大学を第一志望としていた。当時は共通一次試験といい、国立大学受験者は、共通一次試験の受験が必須だった。私は共通一次を受験し、自己採点してみる。得意の数学はなんと200点満点だったが、他の教科はそこそこの出来だった。横浜国大の合格基準は、1000点満点中750点前後だったと記憶しているが、私の自己採点はそれより少し足りないくらいだった。(2次試験で挽回すれば大丈夫。2次試験は得意の数学がメインだから充分に合格出来る。)そんなふうに自分を勇気づけ、2次試験までの期間も気を抜くことなく勉強に励んでいた。


そんな日々をすごしていたある日、私の夢が脆くも崩れ去る出来事がまた不意にやってきたのである。それは、母が働いている職場からの1本の電話から始まった。

「もしもし。石原です。」

「あっ。シゲちゃん?大変だよ。お母さんが倒れて病院に運ばれたよ。」

私はびっくりして、病院名を聞き、慌てて病院に行った。そこで、先生から驚きの話を聞かされた。

「お母さんは股関節脱臼という病気になっています。股関節が脱臼した状態で長年無理をして仕事をしていたので、股関節の骨が少しずつ削れていって、もうもとには戻らない状態になってしまっています。多分本人は相当前から激しい痛みを抱えていた事だろうと思いますが、ずっと我慢していたみたいですね。このまま放置していると、命に別状はありませんが、確実に歩けなくなります。手術をして人工骨を埋め込めば、杖をつきながらの歩行は可能になると思います。」


私は、母が長年私たちを育てるため、朝から晩まで働いていてきた結果がこの病気になったんだと聞かされ、ショックをを受けたのと同時に、命に別状はないと聞いて少し安心した。しかし、冷静さを取り戻してくると、(手術代はいくらかかるんだろうか?これからの生活費はどうなるんだろうか?)と金銭的な不安で頭が一杯になった。


母は鎮痛剤を打ってもらい、その日は家に帰宅した。

私は母に病院の先生から言われた事を話し、これからどうするか話し合うことにした。

まず母が稼いだお金と私のバイト代を出し合い、今、家に残っているお金の合計がいくらなのかを確認した。手術代くらいはあった。問題は生活費である。妹は小学生でまだまだお金がいっぱいかかる年齢である。母が手術をするという事は、もう杖なしでは歩けないということになり、いくら退院したからと言っても、その後、働かせてくれる会社があるはずも無かった。

必然的にのしかかってくるのは私への無言のプレッシャー。・・・母は、私に対して何も言わなかったが、(私が働くしかこの家族は食っていけない。)そう感じずにはいられなかった。

「俺、・・・大学受験止めるよ。どっか働き口みつけるよ。」

そう言うと母は、何も言わず泣いていていた。


次の日、私は担任の先生に事情を話し、大学受験を止め、就職する事を告げた。担任の先生は驚いていたが、納得してくれた。しかし、就職組はすでに面接も終了し、内定も貰っているので、いまさら学校として就職口を斡旋する事は出来ないと言われた。

私はこのまま、フリーターになってしまうんじゃないかと思っていた。

次の日、私は学校へは行かず、職業安定所(当時は職安と呼んでいた。)に行った。職安で色々な仕事を紹介してもらった。その中で私が気にいったのは、お酒の輸出入を行っている会社だった。(英語力が活かせ、また外国とのやり取りが出来るなんてなんかかっこいい。)そう思った。

すぐさま、職安から紹介され、面接の日程が告げられた。

1週間後だった。後から知ったことだが、なぜ、面接するのに1週間も時間が必要だったのか?それは、私が高校新卒なのに、学校の就職斡旋からではなく、職安の斡旋で連絡来たことへの不信感から、私の素性を一から調べ上げるためだったみたいだ。高校にも連絡が来たと担任の先生から聞かされた。警察のやっかいには何回かなっているが、どれも穏便に済ませてくれていたので、私に前科はない。私は、指定された日にどうどうと面接しに行った。

面接はわりと得意だったので、すぐ次の日には採用通知が届いた。私はこうして高校卒業後、大学には進学せず、「エイスクジャパン」という輸出入を行う会社に就職したのである。


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