第18話 高校時代①ー1(分からない母の思い)


高校に入学した私は、軽音楽部に入り、バンドを組んで、平穏無事な生活を送っていた。

ただ、一つを除いては・・・


私は軽音楽部ということで、部活自体は週1回だけしかなく、残りの日にちはバンドで演奏する曲を自宅で自主練して来れば良かった。そんな訳で、私はバイトする時間がかなりできた。私は近くのスーパーで働くことにした。平日は、バンドの練習日を除く4日間を午後5時から10時まで働き、土日はバンドの練習や特別なことがない限り、朝8時から夜10時までみっちり働いた。その甲斐あって、私はバイト代をかなり稼ぐようになっていた。バイト代が入ると母に食事代として1万円渡し、残りは全部自分の通帳に入金した。気付くと通帳にはかなりの金額が入っていた。その当時私はナイトレンジャーというアメリカのロックバンドの熱狂的なファンになり、そのバンドのギターリストであるブラッドキルスが使っているギターと同じものが欲しくてたまらなかった。私は奮発してその当時10万で売っていたブラッドギルスモデルを購入した。それと同時期に、バンドの練習に電車移動だとお金がかかるので、原動機付自転車(原付)の免許を取り、原付も12万円で購入した。それからの私はどこかに行くとなると、全て原付に乗って出かけるようになった。


そんなある日の事、学校に遅刻しそうになった私は、いけないことと知りながら、原付で高校の近くの駅まで行き、そこから歩いて学校に行った。朝、原付で行くときはドキドキしていたが、帰りにはすっかりそのドキドキ感もなくなり、(原付で通学した方が交通費も安いし、楽だし、早いし、いいことばかりだ。)と思ってしまった。そして私は、それまでに購入していた定期券がきれると、そこからは定期券の更新をせず、原付バイクで通学するようになっていた。母も原付で学校に行っていることに気づいてはいたが、何も言うことはしなかった。その当時、まだ妹は小学生だったし、お金がいっぱいかかる時期だったので、交通費が安くなることは家計にとって助かることだったんだろうと思う。

私が、学校に原付で通いだして3か月くらい経った頃、原付で学校に行っているところを見かけた誰かが、学校に密告した。

私はすぐに生徒指導室に呼ばれた。


「君がバイクで通学してるところを見たっていう人から連絡が入ったんだけど、実際のところはどうなんだね?」

私は最初シラを切りとおす勢いで、

「何かの間違いではないですか?」と言い切っていた。

しかし、教頭先生と生徒指導の先生、担任の先生の3人に囲まれ、激しい追求を受けているうちに、私はとうとう根負けして、バイク通学の事実を認める供述を始めてしまったのだ。すると、すぐさま家に連絡をされ、母がすぐに学校へやってきた。

そして生徒指導室に入ってくるや否や母は開口一番、「すみませんでした。」と謝った。

私は、母の相変わらずの低姿勢に少し苛立ちを覚えていた。確かに校則を守らなかった私が100%悪いのであるが、それでも家計を助けたいという気持ちもあった事は事実で、そんな低姿勢で謝る必要はないだろうと思っていた。

生徒指導の先生が話し出した。

「お母さん。重雄君のした行いは、うちの学校始まって以来の不祥事ですよ。こんな生徒は創立以来一人もいません。・・・」

私の進学した高校はまだ出来たばっかりで、私は4期生だった。

「退学はさすがに厳しいですが、停学は免れないと思っていて下さい。・・・それと原付の免許証をしばらく学校に預けてもらうことにします。」

私はヤバイと思った。なぜなら、バイト先にもバンドの練習スタジオにも原付で通っていたので、免許を没取されては、これから色々なところにバスで通わないといけなくなってしまうと思ったからである。

私は無我夢中で抵抗した。

「法律で免許を取っていい年齢になっているのに、学校に免許を没収されるのはおかしくないですか?もちろん校則を守らなかった僕が悪いんですが、それでも学校は法律を無視して、校則重視で免許を没収するというなら、僕にも考えがあります。法律に詳しい知り合いに間に入ってもらって話し合い、それでも埒が明かなければ、法的手段に訴えます。」

完全なハッタリだった。正直そんな知り合いはいなかったし、法律がどうとかも全くと言っていいほど無知だった。それでも、免許を没収されると、どこへ行くのも交通費が必要になり、金銭的に大変だという思いから、自分のできる最大限の抵抗を見せた。

しかし、そのハッタリは先生たちに少し利いたみたいで、先生たちは一瞬言葉を詰まらせた。その様子を隣で黙って聞いていた母が初めて話し始めた。

「すみません。今回の件は私の責任なんです。重雄が学校にバイクで通っていた事は知っていましたが、ご存知の通りうちは母子家庭で、この下には小学生の妹がいて金銭的に大変だという思いから、バイクで通ってくれれば交通費も安くなるので、バイク通学している事を見て見ぬふりをしてしまいました。本当にすみませんでした。」

そう言うと一息飲んで、更に母は話を続けた。

「どうか今回はお許し願えないでしょうか。今後は二度とこのような事が無いようにしますので。」

「しかし、お母さん。校則違反した子に何もお咎めなしでは他の生徒に示しがつきません。」

それを聞いた母は、少し低い声で言った。

「もし、停学になさると言うなら、私にも考えがあります。先程、重雄が言っていた法律に詳しい人に、私からも学校と話しあってもらうようお願いするようにします。」

私は驚いた。母が私のハッタリに乗っかて来たのだ。

先生方はしばらく考えていたが、教頭先生が話し始めた。

「それでは、今回は母子家庭で金銭的に大変という事なので、停学はなしにしましょう。免許の没収もしません。ただし、何も罰が無いのでは他の生徒に示しがつかないので、石原君には向こう1ヶ月、学校中のトイレを掃除をしてもらうことにします。毎日放課残って、たくさんあるトイレを順番に掃除していって下さい。1日に2・3個所は出来ると思いますので、掃除が終わったら、担任の笹原先生に、どこを掃除したのか報告し、チェックしてもらって下さい。これでいいですか?・・・」

私は、放課後バイトがあったので、もう少し抵抗しようとも思ったのだが、ここらへんで譲歩しなければ、また話が振り出しに戻りそうで、私は仕方なく了承した。


しかし驚いたのは母の言動だった。それまでにも問題を多々おこしてきた私であるが、母が私を庇った事は一度も無かった。言われるがままに平謝りし、言われるがままの処分を受け入れてきた母がなぜ?という思いが頭の中をよぎっていた。私は家に帰ってから、母にその理由を聞いてみた。しかし、母は何も答えなかった。あの時の母が何を考えていたのかを知るすべはないが、初めて母が私の味方になってくれた事で、私は少し母を許せる気になったのである。


ちなみに、私はそれからもバイク通学を続けていた。やはり家計の手助けになるという事が一番の理由だが、それ以上に小回りが利いて楽に移動できるバイクには魅力が多すぎた。しかし、今度見つかると停学になるので、バイクで行くのは学校の最寄り駅から2駅前の駅までにし、そこからは歩いて学校に行った。私はこの先、高校を卒業するまでずっとバイク通学していたが、あれからは一度も見つかった事は無かった。(先生方。校則を守れず、すみませんでした。ただ、あの時は生活していくために必死だったので、許して欲しいとは言いませんが、理解して頂けるとうれしいという気持ちでいっぱいでした。)


でも今、その当時を振り返ってみると、自分勝手なわがままだったような気がする。自分は生活が大変なんだから、校則くらい守らなくてもいいだろう。みたいな安易な考えが私を軽率な行為に走らせていたのだと思う。実際、社会を生きていく上でルールはとても大切なので、今は反省の言葉しか出てこない。本当にごめんなさい。・・・

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