第3話 小学校時代①ー3(父の死)
父があと三ヶ月だと余命宣告を受けてから、ちょうど三ヶ月が過ぎようとしている6月のある日、私は、その日も学校帰り父の病院に来ていた。
あれから多少なりとも色々考えるところはあったが、それでも私は気持ちの整理を少しずつ自分の中でつけようとしていた。
その日も私は父といつも通り会話をしていた。会話と言っても、その当時の父はもうすでに、自分から話せる状態ではなく、一方的に私が話しかけている状態だった。学校での出来事や勉強の事、友達と遊んだ事、色々な話を私は父に聞かせていた。
父の体は、もう自力で立つ事もできる状態ではなく、痩せこけていて、誰かの支えなしでは用をたす事さえできない状態になっていた。それでも私は父に胃がんと悟られることがないよう、胃潰瘍だと押し通していた。だが、父も薄々感づいていたに違いない。日に日に弱っていく体、歩行困難、言語障害・・・どれをとっても胃潰瘍の症状ではなかった。しかし、母をはじめ兄弟全員が胃潰瘍と押し通しているその優しさを父は知っていたような気がする。今ではがんは治る病気で告知が一般的になっているが、三十数年前の医学発展途上の時代では、告知しない事が優しさだと信じこまれていたのである。口にはしなかったが、その事を父は知っていたような気がする。これは私の勝手な思い込みだが、父もまた、家族に心配かけまいと、自分は胃潰瘍と思い込んでたのかもしれない。・・・
その日、わすれもしない六月十日の午後三時三十分過ぎ・・・いつも通り私は韓国語の学校に行くために病院をあとにしようとしたその瞬間・・・突然父が苦しみだした。病室には私一人しかいなかった。私はあわてて、緊急ブザーを押した。
「どうしました?」
「お父さんが・・・・お父さんが・・・・急に苦しみ出しました・・・」
「すぐに行きます。」
私は、「お父さん。お父さん!」と何度も泣き叫んでいた。
しばらくして医者と看護師が数人がやってきて、色々と処置を始めた。そして医者が私に告げた。
「お家の人に連絡して、すぐにきてもらって!」
私はうなずくと、公衆電話に行き、母に電話した。
「お父さんが大変!すぐに来て!」
母は、私の声のトーンからして緊急事態だと察知したらしく、しばらくして家族全員を連れて、病院にやって来た。
父は家族全員が到着すると、安心したかの様に天国へ旅立っていった。
忘れもしない六月十日午後四時五十五分、父は永眠した。
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