S閑話-1「バレンタインデー」

「ふっふっふ~! ついにこの日が来ましたよ鈴江さーん!」

「……は?」

 まだまだ寒気の跋扈(ばっこ)する季節、学校へ向かう途中で空の発した言葉に、鈴江は間抜けな声を上げた。

「は? じゃないよ! 鈴江今日が何の日かわかんないの!?」

 鈴江のその一言に声を大にする空。斜め下から飛んできた爆音に鈴江は片耳を塞いだ。

「何の日? なにかあったか……ああ、か」

 そこに来て一つの答えにたどり着く。今日の日付は二月十四日。そうバレンタインデー。

 バレンタインデー。全国の男子たちがその日に限り恋い焦がれ夢を見ることを許される日。しかし、その実態は、得る者は得、そして得られぬ者は決して得られないことを約束された格差を象徴する日。現代日本において、やれ平等だ、やれ差別反対だのと綺麗ごとを述べる民衆たちだが、そんな者たちは皆進んでその格差・差別を可視化しようと躍起になる。バレンタインとは元の純愛を求めた紳士淑女を愚弄するチョコレート業界によって定められた悪魔の祭日なのだ。

「で? そのバレンタインがどうかしたのか? ……まさかとは思うが渡したい相手でもいるのか?」

 怪訝な顔で空を見つめる。空と関わるようになってからこれまで全くもってそういった色恋沙汰の話など聞いたことがなかった。故にどうして今年に限ってここまで熱を持って語るのかが理解できなかった。

「……まあね」

 フフフ、と柄にもなく含みを持たせた笑いを浮かべる空。鈴江は疑問符を頭に浮かべたまま学校までたどり着くこととなった。




 ――なあ、どうだった?

 ――だめだ、探してみたけどなかった。

 ――まー別にチョコなんざほしくねーけどなー(チラッチラッ)


 学校に着き、なるほど、と鈴江は思った。確かにこうしてよく観察してみると男子たちの様子が普段と少し異なることがわかる。チョコは欲しい、しかし大っぴらにそれを言うことができずジレンマに苦しむ者。チョコを欲しその気持ちを隠そうとせず、ある種堂々としている者。実際そこまで欲しいわけではないが、一度意識してしまうとどうしても普段通りに過ごすことができず、それが本人の感知し得ぬところで滑稽な様となってしまっている者など様々だ。

「…………」

 鈴江は空の方に目線を移す。果たして誰に渡すつもりなのだろうか、今朝のあの様子も気になる。

 そうこう思って空の様子を観察していた鈴江だったが、結局授業開始の時間まで空に動きはなく、授業は開始された。


 一限目終了後休み時間、動きなし。

 二限目、三限目終了後休み時間、これまた動きなし。

 四限目終了、昼休み。


「おーい、者どもー!! 注目ー!!」

 ついに動き出す。なんだなんだと空へと集まる視線。すると空は突然机の上へと登りあるものを掲げた。

 それは白い大きな袋だった。ざわざわと沸き起こる困惑の空気に空は声をはり上げる。

「下駄箱、机の中と連敗中の男子諸君! チョコ撒きの時間だー! さあ拾え拾えぇーい!」

 声と共に袋の中から小さく包装された一口大のチョコを空は周囲へばらまき始めた。

『うおぉぉぉぉぉ!!』

 すると辺りから野太い雄たけびが上がる。男子たちは空の行動を脳内で判断、処理するとそのまま流れるように行動に移した。

「ヒャッハー! チョコだ、チョコだー!」

「ありがてぇ、ありがてぇっ!!」

「ハフッハフッ!」

「これは俺のもんだァァァ!!」

「空ちゃんのチョコ……ペロペロペロペロ」

 愚かな愚民どもが我先にとチョコへと突っ込んでいく。そこだけ原始の時代にさかのぼったかのような力によるカロリーの塊の奪い合い。まさに弱肉強食。男子たちはその瞬間太古の人類から受け継がれ、封印されていた野生を取り戻したのだ。

「拾え拾えー!! ウハハハハハハ!!」

 足元で愚かに奪い合う下々の姿。それを見て笑う様はまさに王の戯れ。愚民どもは王の手のひらで踊らされていることも知らずにただ目先の利益へと飛びつくのみ。

(一体何のイベントなんだこれは……)


 女王、空のチョコ撒きはその後五分ほど続いたのだった。

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