S2-15「風」

「ミーツケタ!」

 公園という場所に相応しい快活な声がその場に響く。

「――っ!」

 見るとそこには、あの鬼面の少年が面の上からでもわかるほどの笑みを浮かべて立っていた。

 鈴江は少年に視線を向けたまま後ずさる。この少年一人の力がいくらの物か判らないが、対抗手段である桜花を失った状況では下手に抵抗するよりもとにかく逃げることが優先される。

「……ねえおねえちゃん、オニにつかまったひとってどうなるかわかる?」

 そんな鈴江の様子を見てか、そうでないのか、少年はその小さな両腕を広げ、まるでなぞなぞでも出しているかのように軽々とした口調で問う。

「…………」

 相手の意図が読めない。冷や汗が垂れる。

 鈴江は言葉を発することなくその場から逃げるための機会をうかがっていた。

「……それはねぇ」

 反応を見せぬ鈴江に痺れを切らしたのか、それとも最初からそうするつもりだったのか、いくらかの間をおいて自らその言葉を言う。

「――んだよ」

「――!?」

 瞬間、少年の両腕が襲いかかった。少年と鈴江との距離は約5メートルほど、どうあがいても届く距離ではない。

 しかし、は鈴江の顔面すれすれを掠め、後方の地面を大きく抉った。

「な、なんだこれは!!」

 驚愕を表情を浮かべる鈴江の視線の先には、大きく変化した少年の腕だったもの。半透明のまるで触手のような物体が少年の肩から伸び、宙でうねっている。

「あっはははー! まてまてー!」

 続けて二撃目、三撃目とまるで鞭のようにしなる触手腕が鈴江に襲いかかる。

 轟音を鳴らし地面を抉るそれを鈴江は紙一重でなんとか交わす。

「こ、こいつはマズイ! 想像以上に危険だ!」

 剛撃で抉られた地面を横目に鈴江は焦る。以前の腕の化け物とは比べ物にならない破壊力、それが次々と自分を目掛けて飛んでくる。このままではいずれやられるのも時間の問題。

「くっ!」

 故に鈴江は駆け出した、全速力で。

「あっにげたー!」

 自分から遠ざかる鈴江を見ながら言う少年。まるで本当に遊んでもらっているだけの、ただの子供のように楽しげな様子で後を追う。


「…………」

 嬉々とした様子で鈴江の後を少年が追い始め、やがてその場から姿を消すと、不自然に抉られた地面、そして我関せずと脇に引っ込んでいた少女だけがその場に残された。

「だいじょうぶかなー? あのおねえちゃん。」

 少女は誰に言うわけでもなくぽつりと呟いた。

「あのコとあそんでくれるかなー?」

 ニコニコと笑いながらそういうと、徐々に少女の姿が不定形のそれとなって溶けていき、やがてそのすべてが地面へと消えていくと辺りは元の静けさを取り戻した。




「――マテマテー!」

「はっ! はぁっ! っ!」

 鈴江の後方から聞こえる声、そして地面に物が叩きつけられる音、それらは先程から常に一定の距離を保ったままに聞こえてくる。

(今さらだが、やっぱりこいつは普通じゃない! さっきから全力で走っているのに全く距離が離れない!)

「そーれそーれ!」

 少年が触手腕を振るう。先程よりも近い位置で地面が穿たれる音。

(このままじゃマズイ! 何とかしないと!)

 焦る鈴江、このままでは体力の限界も近い。もしあの触手腕の攻撃を受けてしまえば助かることは絶望的だ。

(何か無いか、何か!)

 何か打開策を探しながら走るうち、鈴江は最初にいた広場とは別のもう一つの広場とはへと出た。

「――あれは!」

 そんな鈴江の目に飛び込んできたのは一つの遊具。

「あれを利用できれば!」

 鈴江はへ走り込む。そして突然立ち止まり、追いかけてくる少年の方を向く。

「ツカマーエタ!」

 鈴江が立ち止まったのを降参の意と取ったのか、少年はニタリと笑うと、先程までよりも大きく振りかぶり触手腕を豪快に叩きつけた。

「…………」

 しかし鈴江、それを躱す。鈴江がもといた場所から大量のが巻き上がる。

「よけるなよー! ――!?」

 外した触手腕を再び持ち上げようとした少年は、前方向に思い切り倒れこんだ。

「な、なにこれ! ー!」

 思わずそう叫ぶ少年の腕には大量の砂が付着、取り込まれていた。

の砂、水でできたお前の腕とはよく馴染むだろ」

 鈴江が逃げ込んだ場所、それは砂場。

 非常に細かい粒子が溜め込まれたその場所になんの躊躇いもなく突っ込んだ少年は、自身の腕に大量の砂を取り込んでしまい、バランスを崩したのだ。

「うげぇー! きもちわるいー!」

「今のうちに!」

 砂を排出しようともがいている少年を尻目に、鈴江は走り出した。

「何としてでも桜花を取り戻す! それさえできれば勝機はある!」

 鈴江は再び森の中へと駆けていった。




「それでは加藤さん、お気をつけて。またなにかあればお電話いたしますので」

「はいよ、でもアタシは先生の事信用してますから、煮るなり焼くなり好きにしてもらって構いませんよ?」

「さすがに煮たり焼いたりする治療法はうちにはありませんね」

「あはは! そりゃそうか!」

 病院のエントランスそこに居たのは一人の医師、そしてくうの母親だった。

「加藤さん、院内ではお静かに」

 医師がそっとたしなめる。現在時刻は十八時半頃。平日のこの時間、会社帰りなどの受診で以外と人が多い。そんな時にその声はした。

「か、加藤さーん! 加藤さぁーん!」

「んん?」

 院内に響き渡るような大声。何事かと思い見てみると、一人の若い看護婦が大慌てでこちらに走ってきていた。

「おい、君! どうしたんだそんなに声を荒らげて! 院内では静かに……」

「た、大変なんです! 娘さんが!」

「――!」

 医師の言葉をも振り切って言う看護婦の顔は、大慌てで走ってきたとは思えないほどに真っ青だった。


「こっちです!」

 二人は看護婦によってある場所に案内された。そこは紛れもない、空の病室だった。

「先生!」

 病室の前にはすでに、二人を案内してきたのとは別の看護婦が立っていた。

 空の母は医師と共にその中へと足を踏み入れる。


 最初に感じたのはだった。

 目に入ったのは大きく開かれた窓と夜風になびく白いカーテン、そしてそのそばにある一つのベッド。


 だった。

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