S2-12「水影」

「先輩!」

「ん、来たか」

 放課後、校門の場所に一人立つ鈴江の元に高音が駆け寄ってきた。夕日に照らされる山桜の穏和な姿とは対照的に、その顔はある感情によりこわばっていた。

「ずいぶんと遅かったが、何かあったのか?」

 現在時刻は午後5時過ぎ、授業終了から約一時間以上鈴江はこの場で高音を待っていた。よもや昼間の生徒たちに再び絡まれているのではないかと鈴江は懸念していた。

 しかし、彼女が取り出した物は鈴江の予想とは全く違うものだった。

返しにもらいにいったらいろいろ小言言われちゃいまして」

 ばつが悪そうに言いながら高音が取り出したのは自身の携帯電話だった。

「……そうか。まあ特に問題がなければそれでいい。……ああ、そうだ」

「――?」

 そういいながら鈴江は制服の内ポケットから五センチ大の小さな紙切れを差し出した。

「私との連絡先だ。何かあったら連絡しろとの事だ」

「――! あ、ありがとうございます。……ところで、そのセインさんは?」

 高音はおずおずとそれを受けとると、あいつことセインがその場にいないことに気がついた。

「あいつは……」




 三十分ほど前のこと。

「鈴江ー。私ちょっとやっておきたいことあるから先いっといて~。あとコレ渡しとくから、あの子にも教えといて」

 放課後に高音と合流するために校門へ着いた際、藪から棒にセインが言い出した。彼女はその手に持った小さな紙切れを鈴江に押し付けるように渡した。

「――は? ちょっ……なんだこれは?」

「私のケータイの連絡先」

「お前ケータイなんて持ってたのか?」

「フフフン! 文明の利器の扱い方はアメリカで予習済みよ!」

 したり顔で言うセイン。その体はいつの間にか宙へと浮き、不透明度を欠いていた。

「何かあったら連絡して! んじゃまた後で!」

「あ! おい!」

 鈴江の制止を一切聞くことなくセインはうっすらと赤みがかった空へ姿を消していった。




「あいつがどこに何をしに行ったのかは私はしらん」

「えー……」

 話の中心にいる当の本人がいないとはどういうことだ、と早くもセインに対する信用を無くし始めた高音であった。

「……まあいい、桜埼公園だったな?」

「は、はい! 大体ここからだと三十分くらいで着くと思います」

「分かった。行くぞ」

 居ない存在はさて置くとして、二人は目指す場所へと向かった。




 出発から十五分ほど経って彼女、櫻笛高音は危機に瀕していた。

 現在彼女たちは学校から公園までの道のりをで移動中。というのも現在向かっている桜埼公園、絶妙に交通の便が悪い場所に位置しているのである。電車で行くにしても中途半端な距離、徒歩にしてもそうするにはやや遠い距離と何とも微妙な位置関係にあった。結果彼女たちは徒歩で向かうことになったのだが、これによって高音はある問題に直面していた。

「…………」

「…………」

 鈴江が前を歩き、高音はそれの斜め後ろ辺りをついてきている。一見したところ何の問題もない。歩幅の違いでおいて行かれぬよう高音がやや速足になっていることくらいである。では何が問題なのか。

「…………」

「…………」

(……沈黙が重い)

 会話が一切ないのである。彼女たちが出発してから早十五分、この間一切の会話が成されていなかった。

 鈴江は唯黙々と足を進めるのみ、高音は話しかけようにも何を話せばいいのかわからず、まごまごと結局黙って後ろをついていくだけになっていた。

 そもそもこの二人、今日を持ってある目的の下に賛同したという共通点こそあれど、鈴江は本人を割り出すための情報を調べただけ、高音は鈴江を校内の噂や遠目に姿を確認するだけという、ほぼ初対面同然なのである。

 あまり駄弁ることを好まない鈴江と人見知りかつ他人と話すことを苦手とする高音の組み合わせはある意味最悪と言ってもよかった。

(……でも、目的が一緒で協力してくれるんだから、ずっとこのままなのも……)

「……せ、先輩!」

「うん?」

「あ、えーと……その……」

 勇気を出してようやく話しかけたは良いが、その先何を話すかを全く決めていなかった。その結果、

「えっと、えー、夕日……きれいですね!」

「……ああ、そうだな」

「せ、先輩は桜崎公園に行ったことあるんですか?」

「つい先日行ってきたばかりだ」

「そ、そうですか……」

「…………」

「…………」

(か、会話が続かない……)

 この始末。せっかく絞り出した会話も鈴江がほぼイエス、ノー、に近い回答で済ましてしまうせいで全く続かない。

「その、えーと……」

「……櫻笛」

「――ひゃい!?」

 しどろもどろに口を動かそうとする高音に対し、鈴江は突然その歩みを止め、ゆっくりと振り返った。

「……私が怖いか?」

「え……」

 鈴江から出た言葉に思わず固まってしまう。

「多分、お前の周りで流れてる私の噂はロクなものじゃないんだろうな」

「…………」

 高音は何も言わなかった。しかし、それこそがその質問に対する肯定となってしまっていた。

 現に高音の周りで流れている鈴江の噂と言うものは、どれも眉唾物ではあるものの決していいものではなかった。彼女とその親友、加藤空が屋上で発見された時も、屋上で血みどろの喧嘩をしていただの、法に触れる危険な行為にてを染めていただのと、様々な憶測が流れていた。

「…………」

「…………」

「――私は」

 高音の沈黙を受け取った鈴江がポツリと口を開いた。

「私は、櫻笛。以上は、お前の味方でいるつもりだ」

「……!」

 そう言うと鈴江は踵を返し、再び目的地へと向かっていった。

 高音はその場に呆然と立ち止まり、鈴江の姿が遠くなっていくのを見てようやく我に帰り、彼女の背中を追い始めた。




 現在時刻六時過ぎ、二人は目的の公園へと到着した。

 暗さが濃くなっていく空の下、広場にペットの散歩目的の人影かちらほらといるだけで、公園内はその広さに対し閑散としていた。

「さて、その例の池はどこだったか?」

「えっと……確かこっちだったと思います」

 高音の案内で公園の小道を進んで行く。最初は小綺麗だった道も奥へ行くにつれて草木が生い茂るようになり、最終的には舗装されていない獣道のようになっていった。


「あ、あれです!」

 高音が指をさした先に見える、木々の中にぽっかりと空いただけのようなスペース、そこにそれはあった。

 付近にはこの池の周辺で遊ぶことを固く禁じる看板。そして、池の縁は人の身長よりも高いフェンスでぐるりと囲まれていた。明らかにという管理者たちの思惑がとって見える。

「この池を実際見たのは初めてだが……なるほど、たしかに子供が落ちたら溺れそうな見た目だな」

 池の直径は約15メートル弱。フェンスと水面の間の地面は傾斜が激しく、足を滑らせればそのまま真っ逆さまに池へと転落するであろう構造であり、かつ水面には水草が生い茂っている。万が一池に落ちた場合、冷静な対処を行うことができなければそれらに足を取られ、身動きができなくなってしまうであろうことが見て取れた。

「そ、そうですね……」

 鈴江の言葉に同意するも、高音の意識は眼下のそれよりも周りに向けられていた。

「……怖いのか?」

「だ、ダイジョウブデス……」

「…………」

 明らかに強がりであるその言葉を聞いて、鈴江は改めて周りの様子を窺った。

 妙に暗く感じた。時間の事、周囲が木々で囲まれていることを踏まえても、二人のいる場所はずいぶんとその他の場所に比べて暗いように感じられた。


 ――ぐしゃり。

 周囲を見渡していた鈴江の足元でそんな音がした。見下げてみると、そこには小さな水たまりがあった。真ん中に足を突っ込んでしまったために、彼女の靴は泥水で汚れていた

(……こんなところに水たまりなんてあったか?)

 ふと、何か疑念がよぎった。その時、

「ひぃやぁぁぁぁぁ!!」

 悲鳴、高音の方からである。

「――! どうした!?」

「いま、今何かそっちの方から変な音が!」

 高音は涙目で来た方向とは別の茂みを指さしていた。

 鈴江はそれを聞いて胸をなで下ろした。唯の物音であれば何の問題もない。雰囲気のせいもあって過敏に反応してしまっただけだろう。と特に急ぐこともなく高音の下へ歩いていく。

「どこがどうしたって?」

「そこです! そこで何か動いたんです!」

 指した指の方向へ鈴江はつかつかと鈴江は入り込んでいった。その手に高音の腕をつかんで。

「わ、私も行くんですか!?」

「……逆に聞くが、で一人で待ってる方がいいのか?」

 そこ、それすなわち、じめじめとして薄暗く、人気もなく、いまならなんといわくつきの池までついてくる。そんな場所。

「つ、ついていきます……」


「何もないし、居ないな。気のせいじゃないのか?」

「そ、そうですか。よかったです……」

「…………」

 人知れず鈴江はため息を吐いた。高音が協力者として加わるのは何も問題はないのだが、彼女自身が今の調子で大丈夫なのかと鈴江は内心不安になってきていた。

「まあとりあえず何があるわけでもなさそうだ。セインが来るまで広場で……」


 ――…………よ


「ん? どうした?」

 その時、鈴江は高音が何かを言っているように感じた。正確にはが何かを言ったように感じた。なぜ高音だと思ったのか、それは自分以外には彼女しかいなかったから。

「へ?」

 しかし、高音は予想外の言葉をかけられた、と間抜けた声を上げる。

「いや、今何か言わなかったか?」

「いえ、何も……」

 気のせいか、鈴江は踵を返そうとした。その時、


 ――な……て…ぶ?


「――っ!」

 聞こえた。何かが小さく、しかし明らかに近くで何かをささやく声が聞こえた。高音の物ではない。誰か別の存在の声だった。

「……先輩?」

 突如顔に険しさが増し、慌てて辺りを見渡し始めた鈴江の姿に何事だ、と彼女に近づこうと高音は足を踏み出した。すると、


 ――グヂャリ……


 足元で妙な水音。

 高音の足元には小さな、小さな水たまりがあった。高音がその音に思わず視線を下へ移した瞬間!

「きゃあぁぁぁぁ!!」

 突然水が高音の足を伝って重力と相反する動きをしだした! 徐々にその量は増し、明らかに元あった水量では補えない量の水が立体となって高音に襲い掛かろうとしていた!

「櫻笛!!」

 瞬間、鈴江は走り出した! そして今にも謎の水に襲われようとしている高音を力の限り突き飛ばした!

「――せ、先輩!」

 当然そうなれば水の標的は鈴江へと変わる! 水は既に、鈴江を丸々飲み込めるほどにその量を増していた!

「櫻笛! 今すぐここから離れろ!」

「――!!」

「とにかく逃げて、このことをセインに!」

 そこまで言った時点で、鈴江は形を変えた水塊に飲み込まれた!

「先輩ーーーっ!!」

 高音の叫びはもはや彼女にしか聞こえることはなかった。




 ――あそぼうよ

 ――なにしてあそぶ?

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