S2-7「交点」

 喧騒に包まれる休み時間、鈴江は一人校舎内を歩いていた。意味もなくふらつくそれとは違い、彼女の歩みには明確な意思が宿っていた。

 鈴江は南校舎側、の教室が並ぶエリアへと来ていた。

 彼女が歩くその道の途中には休憩時間を満喫する多くの生徒たちがいた。しかし、その誰もが彼女の姿を見た途端、波が割れるようにその道を譲っていた。

(おい、あれ……)

(ああ、原田先輩だよ。怖ぇ……)

(一体何しに来たのかな?)

(あれじゃない? 生意気な後輩シメに来たとか)

(えー、マジで? こわーい!)

(あの人噂じゃヤクザともタイマンきってやり合うとか聞いたぞ)

(俺むしろヤクザの娘だって聞いたぞ?)

道を譲った者の多くは畏怖の念を交えた視線をその背中へと浴びせ、嘘か真か確証もない噂を呟き合っていた。

(私がいったい何をしたって言うんだ……)

 本人はその視線と声に内心うんざりしながらも、その目的の場所へと足を急がせた。




 教室の中で二人の女子生徒が会話を弾ませていた。

「ねーねー、今頃どうなってるかなぁ~」

「なーにー? 気になんの? なら見てきたらいいじゃん」

「やーよ、変な菌移りそうじゃん」

「なにそれ、もう汚物じゃん!」

「あー、それなー! もう菌じゃなくて汚物だわ! てことは汚物らしく流されちゃったんじゃないの~?」

「ちょっ! 想像したら笑えて来たわ! ギャハハハハ!」

 淑やかさの欠片もない会話に二人が盛り上がっていると、突然大きな音を立てて二人のすぐ近くにあった扉が開かれた。


 その教室にいた誰もが静まり返り、その扉の方を向いていた。やがて、扉の向こうにいた存在がゆっくりと教室に足を踏み入れた。

「…………」

 教室に入ってきたのは鈴江だった。鈴江は教室の中、正確には中にいる生徒を端から順に射るような目線で見渡した。

「……誰が誰だかさっぱりだな」

 そう小さくつぶやくと、最も近くにいた生徒。先ほど会話で盛り上がっていた女子生徒の一人に目を留めた。

「おい、そこの出来損ないのキャバ嬢みたいな奴」

「……んな!?」

 鈴江に言われた生徒は声を上げそうになるも、己が目前まで迫ってきた鈴江の迫力に圧倒されて思わず声を引っ込めてしまった。


「――探してる奴がいる。ここのクラスのはずだ」

 静まり返った教室内に鈴江の声が行きわたった。




「――痛っ!」

 高音は複数の生徒によって壁にその身を打ち付けられた。

「あっははは! 痛い? でも残念、ここでいくら叫んでも誰も聞こえないよ? ま、どのみちそんな勇気ないだろうけどさ、あんたには」

 いじめグループのリーダー格の生徒が高音の頬を乱暴につかみながら言う。

「……何、するn」

 高音が言いかけた途端、リーダー格の生徒の手のひらが高音の頬を打ち付けた。

「ゴミの分際でいっちょ前に人間様の言葉喋ってんじゃねーよ! 私が何するか、知ったところでお前にどうこうする権利なんてないんだよ!」

『アッハハハ!』

 頬を抑えてうずくまる高音の頭上に女子たちの笑い声が降りかかる。

 高音たちは今、学校南校舎の最上階、生徒数の関係で現在使われていないエリアの女子トイレの中にいた。そこは教師の目の届かぬ場所として、非行の現場として最も適した場所であった。いじめグループの生徒たちは高音をほぼ拉致に近い形でそこへと連れてきたのだ。

「ねー、最近コイツアタシ等のにも慣れてきたみたいだしさ~、ここらで新しいやらせてもいいんじゃない~」

 他の生徒が笑う中、取り巻きの生徒の一人がおもむろに言った。

「あ、いいね~!」

「でも何やらせんの?」

 生徒たちが賛同するなか、リーダー格の女子が疑問を呈した。

「この前テレビで見たんだけどさ~、水の中に顔つけて何秒持つかとかやってたから、それとかどう~?」

「水~? そんなもんどこにあんのよ?」

「――あるじゃんそこに」

 水の在り処を聞かれた発案者の生徒が指を指したのは、トイレの個室の中、そこにあるもの、すなわち便器で会った。

「あ~! ほんとだあったわ!」

「ゴミにはぴったりじゃん!」

 耳に響く高い笑い声を上げながら高音を見下げて笑う女子たち。するとリーダーの生徒が高音の髪を荒々しく引っ掴んだ。

「痛っ! い、いや……!」

 抵抗するもリーダーの生徒以外の複数人からも取り押さえられ、高音は便器の寸前まで顔を近づけられた。するとリーダーの生徒がつかんでいた髪をその手から放した。

「ほら、自分でやってみなさいよ。何秒いけるか計っといてやるからさ」

 便器にたまった汚水を指さしながらそういった。高音は涙ながらに首を振った。

「……自分でやらないんだったら手伝ってやるわよ?」

 いつまでも拒み続ける高音に痺れを切らしたリーダーの生徒が再び高音の髪をつかんだ。

「いや! いや……!」

「ゴミに人権なんてないんだよ! バーk……」

 万事休すかと思われたその時、トイレの出入り口の扉が轟音を立てて開かれた。

「――っ!」

 何事かと生徒たちが入口の方を向く。


「――あだだだだだ! やめっ! はなして!」

「なるほど、やけに渋ると思ったらこういうことか……」

 そこには高音を取り囲んでいた生徒とは別の生徒の髪を引っ張りながら立つ鈴江がいた。

「…………」

 いじめグループの面々は高音の拘束を解き、鈴江と対峙するような形でその前に立ちはだかった。

「何か用ですか?」

 リーダーの生徒はにっこりと鈴江に笑いかけ、言った。

「ああ、そうだ。……正確にはそこにいる奴に用があってきた」

 鈴江は引っ掴んでいた女子生徒の髪を解放しながら、いまだ床に倒れたままの高音を見て言った。

「わざわざこんなところにですか?」

「それはお互い様だな。お前たちもわざわざこんなところで何をしていたんだ?」

 リーダーの女子は笑ったまま、鈴江は変わらぬ鋭い目で相手を見下ろしながら、言った。周りの取り巻き達はただならぬ雰囲気にそれぞれ顔を見合わせている。

「そこの子……高音ちゃんちょっと具合が悪いみたいで~、私たちで介抱してあげてたんですよ~」

 とってつけたような理由を述べるリーダー。その額にはうっすらと汗がにじんでいる。

「ほー……ならあとは私が変わってやろうか、後でそいつと話したいことがあるからな」

 鈴江はリーダーの女子を氷柱で刺すような視線で見下しながら言った。

「いや……それは結構ですよ! ほら! あとで気分がよくなったら先輩に連絡しますし、それにもうすぐ休み時間も終わりますし、あと……」

 そこまで言ったところでいきなり鈴江はリーダーの女子の胸倉をつかみかかった。

「優しく言っても理解できないような残念な頭してるみたいだからはっきり言ってやる。『邪魔だ、失せろ!』」

 鈴江の怒鳴り声がタイル模様の空間に反響する。突然の出来事にいじめグループの生徒たちは、目を見開く者、口をあんぐりと開ける者など様々ではあるが、皆一様に圧倒されその動きと停止させていた。いじめのリーダーも自身より二十センチほども身丈に差のある、学校内でも悪い意味でその名が知れている上級生に凄まれては、もはや何も言い返すことができなかった。

「……チッ!」

 あえてか、それとも無意識にか、周りに聞こえるほどの大きな舌打ちをして、リーダーの生徒は鈴江の腕を荒く払いのけると、その場所から去っていった。

「え、あ、ちょっと!」

 取り巻きの生徒たちも、やや遅れて我に返ると、それを慌てて追いかけていった。


「…………」

 女子生徒たちがいなくなった後、いまだ個室からはみ出る形で倒れている高音の前に立つ鈴江。高音はその姿を困惑の表情でゆっくりと見上げた。


「櫻笛(おうてき) 高音(たかね)だな? お前に話がある。来てもらおうか」

 やがて二人の視線はある一点で交わった。

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