S2-6「夢」

 少女は夢を見ていた。

 ――暗い、暗いどこかにて、少女は一人立ってる。

 少女は前へ手を伸ばす。無い物を求め手を伸ばす。ソレを求めて手を伸ばす。

 伸ばした先にあるものは、暗がりの先へ逃げて行く。届かぬ場所へと逃げて行く。

 待てよ待てよと叫べども、何故か声は届かない。想いは表へ出てこない。

 やがて彷徨い見つけたそれを、少女が探し求めたソレを、己が手中へ招いて覆う。

 やっとつかんで手にしたモノは、サラリピタリと濡れていた。赤く紅く濡れていた。

 気づいた時にはその手は零れ、少女は一人泣いていた。




「――はっ!」

 布団を音を立ててはねのけながら、少女は目を覚ました。

「はぁ……はぁ……」

 カーテンの隙間から漏れた光が少女の顔をほのかに照らす。外は鳥の軽やかな鳴き声に答えるかのような晴天、平和そのものであったが、少女の顔はまるで外界との調和を拒むように蒼白で冷や汗に濡れていた。

「また…………」

 荒れるような動機に震える手を当てながら、少女は弱々しくつぶやいた。

「……まだこんな時間」

 少女が枕元に置いてあった時計に目をやると、時間はおおよそ六時を指していた。少女が普段起きる時間よりも半刻ほど早い時間である。

「…………」

 しかし、再び床に就く気にはなれなかった。直前まで見ていた夢に、抽象的で、非現実的、しかし、いやに頭にのこるその夢に、眠気などと言うものは塗り消されてしまっていた。

「……起きよう……っ痛!」

 寝床から出て床に立った瞬間、少女の頭に激痛が走った。麻布でゆっくりと徐々に締められるような痛み、脳全体が鉛のように重く感じるそれに、少女は立っていることができなくなった。

「な……に……これ……!」

 頭を抱えて床に倒れこんだ。目の前の景色が白く濁っていき、やがて暗転した。


「……かねー、高音たかねー! いつまで寝てるのー!」

「ん……うぅ……?」

 部屋の外から聞こえる声で、少女は目を覚ました。目前には見慣れた部屋の床が広がっていた。

「あれ……?」

 重い頭を持ち上げて、時計を確認すると針は七時十五分を指していた。

(私……あのまま一時間も寝てて……)

「高音ー!!」

「わっ!」

 困惑の最中、外から聞こえた怒声ともとれる大声が少女の耳に届いた。

「起きなさいよ! 十五分よ! 学校遅刻するわよ!」

 その声を聞くと少女は思考を放棄して部屋から飛び出し、階段を駆け下りていった。その時にはもうあの頭痛は影も形もなかった。


「やっと起きてきたわね」

「……ごめんなさい」

「パン焼けてるから、さっさと食べなさい」

「……はーい」

 階段を下りて食卓にて少女、高音は母に促されるままに席に着いた。その顔は暗くさえなかった。

「まったく……中だるみってやつ? 二年生になって学校にも慣れてきたからって駄目よ、そんな体たらくじゃ」

「…………」

 高音は何も答えなかった。うつむいたまま、ただ黙々とパンを口へと運ぶのみ。

「……高音、最近元気ないけど大丈夫? 学校で何かあったりしたの?」

 言われた瞬間、高音の手が止まった。

「……別に、大丈夫」

 うつむいたまま高音はぼそっと呟いた。

「そう、ならいいけど……」

 母はそれ以上何も追求することはなかった。




「行ってきまーす……」

 家の玄関に立ってそういう高音の足取りはどこか重い。

「……学校にも慣れてきた……か」

 高音は先程母親に言われたことを思い返していた。

「慣れるわけないよ……」

 沈んだ顔で高音は空を見上げた。空はまるで絵に描いたような快晴だった。

「学校……いやだなぁ……」

 一人愁いの雨に打たれながら高音は学校へと向かっていった。




「――えーそれ故にここの公式は……」

 学校の授業。教師が淡々と授業を進め、聞く者はその一挙一動から必要なものをノートに記し、そうでない多くの者は駄弁惰眠に耽るその時間。高音もまたその時間、その場所で一人の生徒としてそこにいた。

 ――♪~~♪~~

 突如その場に似つかわしくない音の羅列が鳴り響いた。

「おい、いったい誰だ! 誰のケータイだ!」

 教師が授業を中断しその音の主を探すよう号を飛ばした。生徒たちは自分のものではない、そっちではないか、いやそっちではと言い合い、教室内は雑音にまみれていく。

(――あれ、これ私の……!)

 そう思ったのは高音だった。慌てて自身のケータイを取出してみるとそこには着信のランプと共に一通のメールが届いていた。

(来る時ちゃんと電源切っておいたのに……!)

「櫻笛(おうてき)! お前か!」

「あっ……!」

 怒号と共に授業をしていた教師は高音の携帯電話を奪い取った。

「授業中はケータイを切っておけといつも言っているだろう!」

「……すみません」

 男性教師に怒鳴られ、高音は成すがまま頭を垂れるほかなかった。

『クスクス……』

 その様子を遠巻きにさぞ関係なさそうな態度であざ笑う存在が複数存在した。

「高音ちゃんさ~、最近気ぃ緩んでんじゃなーい?」

 その中の一人の女子生徒が唐突に声を上げた。

「普段からボケーっとしてるのにそんなんじゃ、そのうちトラックにでもはねられて死ぬんじゃないの~」

「あー、ありそー!」

 続けざまに一人二人と高音を冷やかし始める。それを受けた教室は笑いに包まれる。そのうちに悪意を孕んだ物を交えながら。

「こら! 静かにしろ! とにかく、櫻笛! これは先生が預かっとく! 後で職員室に取りに来るように!」

 教師がそう言い、教壇へと戻ると次第に教室は元の空気へと戻っていった。

『クスクス……』

 一部の者たちを除いて。

「…………」

 高音はその存在に気付いていた。自分を遠巻きに嘲笑の眼差しで見つめている存在に。だが、高音は何も言うことなく、それらを見返すこともなかった。


 櫻笛おうてき 高音たかね。彼女は世間一般で言うところの『いじめられっこ』という存在だった。彼女は幼いころから内気で他人と話すことが苦手な性格であった。そのため友人という存在が少なく、クラス内でも孤立しがちな存在だった。高校に入って一年目に彼女の命運は尽きたといっても過言ではなかった。中学時代まで仲の良かった数少ない友人は皆、他の高校へと進学し、単身この学校へと進学した彼女は、まったくもってクラスに溶け込むことができなかった。出る釘は打たれる。打たれずともその身は数多の視線に晒されるのが世の常である。孤立するが故に出る釘となった彼女は、不運にも悪意の目に留まってしまったのである。

 先ほどの一連の事柄に対する内訳も、高音の隙をついてケータイの電源をオンにした、いじめっ子グループの誰かが携帯電話に否定的なことで校内で有名な教師の授業を狙って着信をかけたということである。

 しかし、こんなものは犯人達にとっては箸休め程度にもならない甘いものであった。

 最初は所持物の盗難、クラスメイトから無視をされるなどの軽い物から始まり、特定困難な場所、方法での誹謗中傷、教師や他の生徒に彼女の印象が悪くなるような工作。酷い時には石灰の粉を白粉(おしろい)などと言いながら振りかけ、ある時には階段の上から突き落とされることすらあった。

 このような状況下に置かれ続けた彼女は気力を失い、されるがままにその責め苦を受け入れるしかなかった。


 高音の携帯が奪われてからしばらくして、授業終了の時間を告げるチャイムが鳴り響いた。

「ん、ではここまで」

 教師がチョークをしまい、起立礼の動作が終わると共に教室内は休み時間特有の喧騒に包まれる。

 高音は何をするわけでもなく、その時間が過ぎるのを待っていた。すると横から不意に声がかけられた。

「高音ちゃ~ん! 今時間ある~? あるよねー、どうせいつも一人だし~」

『クスクス……』

 嫌味ったらしい猫撫で声で話しかけてきたのは、先ほど高音に嘲笑の視線を向けていた者達の内の一人、紛れもない、いじめっ子グループの主犯格の女生徒だった。

「…………」

 高音は視線だけを彼女の方へと移し、顔をうつむかせたままだった。

「どうせ暇なら今からちょっと来てくんない~?」

 そんな様子を気にも留めず、キャハハと品の無い笑い声を上げながら言った。

「――はい……」

 高音は力なく頷いた。

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