S2-3「警察署」
「アタシは無実よ! こんなの間違ってるわ!」
狭く殺風景な室内、その中で眼前の机を勢いよく叩きながら、女は声を荒げた。机を挟んだ向かい側にいる男は大きくため息を吐くと、目の前の女へ視線を移した。
「何も間違ってないし、そもそもあなたは現行犯だ」
男は呆れたと言った表情で女に言い放った。言った後、また大きなため息を吐くと、再び女から視線をそらした。女は依然何かを叫んでいるが男の意識はもうそこにはない。
「なんで僕がこんなことを……」
男は思わず呟いた。がなり立てる女の声にかき消され、幸か不幸か男の嘆きは誰にも聞こえることはなかった。
男は刑事だった。この春から刑事課に配属され、夢だった刑事になり、大いなる意気込みと共に自身の思い描いた刑事の道を歩もうとしていた。そんなある日、職場の上司に『現行犯で捕まえた犯人の取り調べやっといて』とだけ言われ仕事を押し付けられてしまったのだ。しかし男はその申し出を断る事はなかった。むしろ、取調べという刑事らしさのある仕事に男は上司からの申し出を快諾した。だが、その後しばらくして男はなぜ上司が自分にこの仕事を押し付けてきたのか理解することとなった。
「ねぇ! ちょっと聞いてる!?」
女の上げた声で男の意識が空虚な取り調べ室の中に戻ってくる。男は
「はいはい、聞いてますよ、ちゃんと。……それであなたは何処の誰で、なんであんなところで
男は半ば投げやり気味に目の前の叫ぶ女に言った。既に取調べ開始から今に至るまで三回は繰り返したであろうこの質問。しかし、一向に話が進展することはない。
「だから、アタシは無実だって! 勘違いよ!」
相手が聞く耳を持たぬから。
「――めんどくせぇ……」
男の口から三度目のため息が漏れた。
「公然わいせつ?」
公道の上を進む車、その車内で鈴江は怪訝な声で言った。その視線の先には締まりのない身なりで助手席に座った男、飯田がいた。
「そう、公園を素っ裸で練り歩いてたところを見つけて捕まえたんだけど、その人が一向に話聞く気配がないんだよね。それで、誰かあなたの身元を証明できる人がいませんかって聞いたら君の名前を出してきたわけよ」
間延びした声で飯田は鈴江と接触してきた経緯を説明した。
「でも、よく私たちがわかりましたね?」
運転席でハンドルを握りながら二人の会話を聞いていた鈴江の母が飯田に話しかけた。それを聞いた飯田は、ああ、と言って鏡で後部座席にいる鈴江をチラリと見やった。
「ホントは別件であの病院に行ってたんですがね、たまたま患者リストの中に貴方の娘さんの名前を見つけましてね、で聞いたら今まさに退院しようとしてるところだったので、一応声かけておこうかと思いましてね」
「……その捕まった人物が言う
鈴江は疑問の晴れぬ顔で尋ねた。鈴江はその飯田がいう人物にまったく心当たりがなかった。昔から彼女はあまり人となじむことを好まず、友人、少なくとも彼女本人がそうであると思っている人物は非常に少なかった。指を使って数えようものなら、二つ目の手を使うか否か、というレベルの話である。親友と呼べるような存在となると、それこそ
「――黒髪ロングでキリッとした顔立ち、そして170後半くらいの身長の女子高生。……犯人が言ってた君の見た目、これと名前が完全に一致するのはそうそういないと思ったんでね」
そんな鈴江の心中など知らぬ存ぜぬと言った風に飯田は淡々と鏡越しの鈴江を見て言った。
「特にその身長。この辺はあんまり背の高い女の人いないから、君はよく目立ってすぐに分かったよ」
「…………」
呆けたような顔でしれっと言う飯田。鈴江は自身の長身を特に何とも思っていないが、人によってはコンプレックスの元に成りえそうな事についての話を平然とするあたり、この飯田という男はデリカシーという物が欠けているのだろうかと鈴江は内心思った。
「あ、見えてきましたね。そこを曲がったらすぐそこに入り口があるんで」
そうこうしていると飯田が指し示す先に目的地である桜埼署が見えてきた。車は飯田に促されるままにその署の敷地内へと入っていった。
駐車場に車を止め、三人が署内へ入ると飯田は受付にいた女性署員に何かを話始めた。少し離れた位置にいた鈴江達は何を話しているのか良くわからなかったが、飯田の話を聞いた女性署員が何か悟ったような顔で『あー、例の……』と言ったところだけは何となく理解できた。
それからしばらくして、飯田が二人の元へと戻って来た。
「なんかまだワーワーやってるみたいだから、ちょっと取調べ室まで来てもらっていい?」
飯田は署内の奥へ通じる通路を親指で指し示しながら言った。
(飯田だ……)
(税金泥棒の飯田……)
(アイツさっき烏ノ元さんと出て行かなかったか?)
署内を歩いて目的の部屋まで行く際、鈴江は周りから妙な視線を浴びているように感じた。正確には自分達を先導しているこの男に対する視線であったが、それがいったい何の意味を持っているのか鈴江には到底わかるはずもなかった
「ついたついたここだ」
飯田に導かれてたどり着いた部屋の扉には『第二取調室』と書かれていた。扉の上部に小さな小窓があるが、それを覆うように薄い蓋のようなものがあるため、中の様子を見ることはできない。
「じゃあとりあえずここから中の様子見てもらって、それで君が大丈夫だってんなら一緒に入ってもらうことになるけど」
「分かりました」
結局ここに来るまでの間にこの中にいるのが誰なのか見当がつかなかった鈴江だが、それもこの中を見ればわかることだ、と飯田の申し出をためらうことなく受け入れた。
それを聞いた飯田は小窓を覆っている蓋の部分を取り払おうと手をかけた。その時、
「だぁ~~!! いいから早く
中から厚い鉄の扉を貫通して女の叫び声が聞こえた。
「…………」
鈴江はその声を聞いた瞬間、身体の全ての機能が静止したかのような錯覚を覚えた。理解するのを身体が拒んだ。と言った方がいいかもしれない。
「うっへぇ……まだやってるよ」
眉をひそめて言いながら、飯田は一瞬止めた手を再び動かした。飯田の手によって小窓のふたが開けられ、内と外の隔たりがなくなる。
中の様子を見て、鈴江は絶句した。もはや何も言うことはなく、只々ひきつった笑みをその顔に張り付けるのみである。
外の様子を見て、女は目を見開いた。そして、ようやく自分の元へ現れた救世主の名を満面の笑みで呼びかけた。
「えっと、で、どう? しってるひt……」
「しりませんね、あんな変態は」
鈴江は即答した。天下の旭日章の代紋の下で嘘をつくのは気が引けるものだが、それでも扉の向こうの存在を自分の知り合いだと認めたくなかった。
「鈴江~! I love you~!!」
そんな扉の向こうのやり取りをしらぬ女、
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