Stage2「公園編」

S2-1「敏腕上司とインチキ刑事」

 S県警、桜埼署。警察、と呼ばれる組織に属するこの建物内で、一人の男が己のデスクに向かって突っ伏していた。

「ぐー……zzz」

「…………」

 その男の背後から机に向かって丸まった背中へ、極悪人にとどめを差す時のような冷たい視線を送る人物が一人。

「グー……zzz」

「……おい」

 その声だけで子犬くらいなら殺せるのではないか、と思えるほど低く、不可視の刃を伴った声が発せられるが、声をかけられた当人は呑気にいびきをかきながら突っ伏すのみである。

「おい、飯田……」

 丸まった背中に飯田、そう喋りかける男。それと共に周りに不穏な空気が漂う。まるでそこだけエアコンの設定を大いに間違えてしまったのではないかと言う局地的寒気に覆われる。近くにいた人々は誰が合図をしたわけでもなく、みな一様にそそくさとその場を離れていく。

「おい! 飯田! 起きろ馬鹿野郎!!」

 次の瞬間、寒気は男の噴火と共に消し飛ぶこととなった。周りはその男の怒気に気圧されるもの、またか、と呆れ顔で遠巻きに眺めるものなどさまざまである。そして、その怒りを直に向けられた本人は、

「……ん? ふぁ~あぁ~……よく寝た!」

 この始末。大きく伸びをして寝ぼけ顔であくびをしている。

「い~い~だ~?」

 背後から赤黒い溶岩が迫るとも知らずに。


「――何がよく寝ただぁ! この阿呆あほうがぁ!」

 溶岩に男は飲み込まれたのだった。


 S県警、桜埼署、刑事課。この二人の男が所属する部署である。

 男が飯田と呼んでいた男を引きずって部屋から出ていくと、止まっていた時計が動き出したかのように室内に音が戻ってくる。

「飯田さん、懲りませんねー」

 若い男が隣にいる壮年の男性に話しかける。口調や態度からおそらく上司であろう。

「税金泥棒の飯田。……だれが言い出したか知らんがそんな不名誉なあだ名まであるくらいだからな」

話しかけられた男性はため息交じりに言う。

「うっへぇ~、そりゃたまんないすね」

「問題はそれで全く改善する意思が見えんところだがな」

 男はまたいっそう大きな溜息を吐くと手元にある資料に目を通し始めた。すると横にいる若い男が不思議そうに覗き込む。

「何の資料ですか、それ?」

「あぁ、最近桜埼町近辺で多発してる行方不明事件の資料だ」

「そういえば刑事長が言ってましたね。最近妙に件数が増えてるって」

「そうだ、それで誘拐の線も有り得るってことでうちでも捜査することになったんだよ」

「へぇー、ちなみに誰が担当なんですか?」

 部下がそういうと上司の方は、あー……と一瞬口ごもった後、

「……さっきの二人だよ」

「……こんなこと言うとアレですけど、飯田さん大丈夫なんですか?」

「アイツはああ見えて頭は悪くないんだよ。あんな勤務態度でいつまでもこともなしにここにいるのがいい証拠だ」

 そういうと男は椅子の背もたれに背中を預けて、天井を仰ぎ見ながら一言、

「まあそのせいで上司としては余計にストレスがたまるんだけどな……」

 そう小さく呟いた。




「さて、飯田。何か言いたいことがあれば一応聞いてやらんでもないが?」

 桜埼署の屋上に二人の人影があった。それは先ほどの机に突っ伏していた男、飯田とその眼前に般若の面持ちで仁王立ちしている男だった。

「いやー……ねぇ、その、烏ノ元うのもとさん。最近、春真っ盛りじゃないですか……」

「ああ」

「春ってなると、ねぇ、その、眠くなるじゃないですか」

「ああ」

「でぇ、つい、その……本能には逆らえませんでしたと言いますか」

「こんの阿呆が!!」

「ブッフェ!」

 烏ノ元と呼ばれた男から放たれた鉄拳が飯田の脳天に落とされる。落とされた拳の少し下から間抜け声が上がる。

「~~~~っ!」

 両手で頭を抱えながら声にならない悲鳴を上げて悶える飯田。漫画であれば巨大なタンコブと共に煙でも噴き上げていそうな光景である。

「ったくお前がそんなんだと一緒に仕事する俺までとばっちりくらいかねねぇんだぞ」

 烏ノ元はそんな飯田を横目に文句を吐きながら、懐からあるものを取出し、それを飯田の目の前へと突き出す。

「っつ~……ん? なんですか、これ?」

 半反射的にそれを受け取り、激痛に染まる頭部を抑えながらそれを見つめる飯田。

「今度俺とお前の二人で捜査することになった事件の資料だよ。ちゃんと目通しとけよ?」

 烏ノ元が渡したものは先ほど刑事課の上司が見ていた物と同じものだった。

「えー、烏ノ元さんと一緒なんですか」

「何か文句あるのか?」

「イイエ、ナニモ」

 烏ノ元の後ろに恐ろしい何かを感じた飯田は、四角い声で言いながら横に目をそらす。内心冷や汗をかきながら渡された資料に目を通す。

「……失踪事件ねぇ、そんなのよくあることだと思いますけどね」

 資料をざっくりとではあるが目を通した飯田がぽつりとこぼした。

「件数が異常なんだよ。ここ最近この近辺の限られた区間を中心に何件も相談が寄せられている。しかもそのどれもが、夜に少し出かけると言ったきり帰ってこなかっただの、朝出かけたまま夜遅くになっても帰ってこなかっただの、そんな理由ばかりだ」

 烏ノ元が言う失踪事件の詳細を聞いて、飯田はある考えがよぎった。

「……誘拐、ですか?」

 飯田が恐る恐る問う。烏ノ元は少し考えた後首を縦に振る。

「断定はできんが、可能性は大いにあるだろうな」

「…………」

 烏ノ元がそういうと飯田は手にしていた資料を再び、今度は注意深く読んでいく。

「まあ、真相は考えるより調べたほうが手っ取り早い。この後事件被害の多い場所周辺の聞き込みと、……これは一応だが、行方不明の連絡が入った後に見つかった人たちにいろいろ聞いて回る」

 そういって烏ノ元は資料の内の一つ、最近の失踪届が出された人物のリストを指さした。そのうちのいくつかに名前の部分に丸が書かれている。そのなかの一つにその名前はあった。


『加藤 空』




 微かな音のみが聞こえる暗闇の中に鈴江はいた。聞こえるのは無機質な機械の音だけ、人の気配を感じさせるものはない。

(……ここは……どこだ? 私はいったい……!)

 自分の状況がわからず記憶を掘り起こすうち、何があったのかを思い出す。

(そうだ、私は……空を探して……)

 一つ思い出せば芋ずる式に掘り起こされる記憶、鈴江は徐々にはっきりとしてくる意識の中でそれらを鮮明に思い出していた。

(セインが最後にあの黒いのを破壊して、そのまま……)

 あの後大きな揺れに耐えらえれなくなり、そのまま意識を失った鈴江。それから飛躍して今の状況に至る。

(私は……どうなったんだ? まさか、あのまま死んだのか? 一緒にいた空はどこに……ん?)

「(~~~~!)」

 機械音と自分の心の声しか聞こえない空間に、ほんの微かに誰かの声が聞こえた気がした。それはどこかで聞いたことのある声だった。

「(……す…え)」

(……この声)

「(……すずえ)」

(この声……て確か……)

「鈴江」

「――!!」

 次の瞬間鈴江の目の前には、先ほどとは対照的な白い光景が広がっていた。数回の瞬きを繰り返しながらその白をぼうっと眺める鈴江。時間が経つにつれ、より一層と意識がはっきりしてくる。鈴江は自分があおむけの状態になっていることをここで初めて理解した。

「鈴江!」

 さらに、自分のすぐそばで自分の名を叫んでいる人物がいることもここで初めて気が付いた。

「母さん……」

 そこにいたのは紛れも無い自分の母親だった。その目元にはクマが見え、今にも泣きそうな顔をしていた。

「良かったぁ! 目が覚めたのね! 今先生呼んで来るからね!」

 そういうとそそくさと部屋を飛び出していってしまった。

 いったい何がなんなのかと聞こうかと思っていたが、母親は言う前に姿を消してしまったため、何もわからぬまま部屋に残される鈴江。このままでは何もわからないので、とりあえず横たわる体をゆっくりと起こしていく。

 体を起こして周囲を見渡す。自分の周りによくわからない機械が設置されており、横の方を見ると自分が今寝ていた物と同じものであろうベッドが見える。それらは清潔感を感じさせる色をしていた。また、部屋からは自分の家とは違う、何か独特な臭いがした。鈴江はその臭いに覚えがあった。


「ここは……病院か……?」

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