S1-13「黒閃姫」

 ――ガキンッ! と、乾いた音が鳴った。そこには小さく、しかし鋭利な刃物を満面の笑みで振り切った空の姿があった。

「――? ――!!」

 しかし、その顔はすぐさま驚愕の表情へと変わる。乾いた音、それすなわち刃物が床と接触したことを告げる音。空の目の前にはあとはただ刈り取るだけのはずだった存在は既になかった。

「…………」

 顔を上げた先にはを手に、こちらを見つめる鈴江の姿があった。

「何デ……」

 自分が包丁を突き刺した床と、鈴江が立っている場所を交互に見て、空の体はわなわなとふるえだす。唇をかみしめ、乗っ取られていることを感じさせないほどの人間的感情、怒りが見て取れる。

 何故自分が刺し殺したはずの鈴江が自分の目の前に立っているのか、何故自分の突き刺したものがこの女の体ではなく固い床なのか、疑問をグルグルと巡らせるも、込み上げてくるのは獲物を逃がした事実に対する苛立ちだった。

「何デオ前ガそこニ居る!」

 空の体で叫びながら鈴江に切りかかる。後ろには依然敵本体を纏ったまま、再び同じように手数を武器に襲い掛かる。

「…………」

 再び襲い掛かる数の暴力を前に、鈴江はただの一言を発することもない。手に持つ小刀を敵へ構える。

 敵の攻撃が右から左から鈴江視界を覆い尽くさんばかりにくり出される。しかし、鈴江はその攻撃をすべて避ける、または小刀で受け流す。

「な、なンで……」

 ――コイツは脚を損傷しているはず、攻撃を受け止めることはおろか、避けることもできないはずだ。だというのに、現に鈴江は自分の攻撃を一発もくらうことなく、その表情には余裕すら見える。むしろ、余裕がなくなっているのは自分自身の方だ。

 敵の意識が怒りから焦りへと変わりつつあった。その心中を体現するように攻撃も徐々に乱雑なものになっていく。それが更なる焦りを生みだすこととも知らず。

「ナンで当らないンダァァァァァ!!」

 ――優位に立っているはずは自分のはずなのに、ひれ伏す獲物をただ狩るだけのはずなのに、何故自分がこれほどまでに心が乱されなければならないのか、いったいなぜなんだ!

 この時点で、敵本体には冷静な思考能力など残っておらず、鈴江がいったい何をしたのか、もとい、自分の身に何が起こっているのかなど分かるはずもなかった。

「…………」

 鈴江はこの時、何を考えるわけでもなく、ただ相手の攻撃を防ぎきることに集中していた。武器はそれ一本ではあまりにも心もとない小刀一本。手痛いダメージを受けた脚はふらつき、機動力はお世辞にもいいとは言えない。だが、鈴江の体に敵の攻撃が届くことは無かった。遅緩な動きしかできない鈴江以上に

 鈴江自身いったいどうしてこんなことが起こっているのか理解などしていなかった。それどころか、認識すらできていたかも怪しい。死に直面した結果、火事場の馬鹿力とでもいえるようなことが起こっているのだろうか、そんな程度にしか考えていなかった。しかし、彼女はその思考すらも既に手放しつつあった。余計な考えを極力そぎ落とし、ただ相手の攻撃を防ぎきることだけに集中するようになっていた。

「ウガァぁぁ! 死ね! シネ! しネェェぇェぇ!!」

 敵に操られる空の口から発せられる理性の欠片も見られない言葉。攻撃も空の体はただ闇雲に包丁を振り回すだけ、背後の本体もそれの手数が増えただけの、攻撃というよりは、もはやただ暴れ狂っているだけのような状態になっていた。

「…………」

 敵の攻撃は既に鋭さも正確さもなくなり、隙だらけの状態となっている、それでも鈴江は守りに徹するのみで一切攻撃に転じようとはしない。ただ黙って相手の攻撃を避け、受け流しているだけ。だが、決して彼女に反撃の意思がないわけではない。

「はぁ……ハぁ……」

 空の体に限界が来たのか、それとも敵本体自体の持久力に限界が来たのか、空の体は肩で息をしながら手を膝についたまま動かなくなった。

「何だ? もうガス欠か? 化け物の割に能力は人並み以下なんだな」

 先ほどまで黙っていた鈴江がここでようやく口を開く。そこから発せられるのは明らかな挑発の言葉、とってつけたような中身の薄い煽りでしかなかった。

「……なンダと……ナンダとコの……こノクズやロウガぁ!」

 だがしかし、敵はもはやそんな言葉、と笑っていられるような精神状態では無かった。

 今までただ一方的に迷い込んできた弱者を狩る側の存在だった。その自分に傷を負わせ、屈辱を味わわせた女に、殺してやると心に決めて死の一歩手前まで追い詰めた女に、ただの一撃も入れることもできずコケにされているのだ。こんなことがあっていいものか!

「殺ス殺す殺すゥゥゥ!! オ前ダケは絶対に殺しテヤる!!」

 そう叫び、敵本体は空の体を置き去りにしたまま、空の背後から勢いよく鈴江に飛びかかった。

 その顔に意味ありげな笑みを浮かべていることに気付かずに。

「――バインド!!」

 突然敵本体の足元が光ったかと思うと、次の瞬間その光の中から淡く輝く光を放つ縄状のものが展開された。それはみるみる内に本体に絡みつき、やがてその場から一歩も動けないというほど強固な拘束となった。

「――ギシィィリリィ! ……!?」

 驚いた敵から発せられたのは空の声ではなく、敵本来のいかにも化け物らしさのある奇声だった。

「きっれいに引っかかってくれたわねー。この子の体返してもらうわよ」

 背後から聞こえてきたのはセインの声だった。本体からは分からないがセインの腕の中には気絶した空が収まっている。

「最高の仕事だ、セイン」

 動揺する敵を挟んで鈴江が言う。その手には再び桜花が握られていた。

 鈴江は敵の攻撃をただ防いでいただけではなかった。彼女は待っていたのだ、本体が自分の方に意識が向いているうちにセインが雑魚を片付けるのを、敵に決定的な隙が生まれるのを。

「――シキィィィギィギァァァ!」

 気づいた時にはもう手遅れだった。まんまと敵の作戦に引っかかったと罠にかかった後に気付いてももう遅いのだ。

「詰みだ。もう諦めるんだな」

 桜花の剣先が敵へ向けられる。鋭い眼光が敵を刺す。

「でぇやぁぁぁ!!」

「キシィ……キシィィィ! シキラァァァァァ!!」

 桜花を振るう。

 敵はその内の恨みをすべて込めたであろう断末魔を上げると共に光の塵となって消えた。


「いやーご苦労さん。一時はどうなるかと思ったわよ」

 軽く手を振り、笑いながら言うセイン。その仕草は所謂オバちゃんと呼ばれるそれを彷彿とさせた。

「……私自身途中本当に死ぬと思ったけどな」

 もはや笑いかける気力も残っていないためか憔悴しきった顔でつぶやく。

「あー……あれってやっぱそうなのかしらね?」

「うん?」

「いや、今はいいわ。なんでもない」

 セインが何か思うことがあったのか小さくつぶやくが、本人がなんでもないという以上鈴江がそれ以上聞くことはなかった。

「……ところでだ」

 代わりに話を振ったのは鈴江だった。

「今本体を倒したわけだが、どうやったら帰れるんだ?」

「ん? あーそれね。見てみなさい」

 アレ、と言われて鈴江は後ろを振り向く。するとそこには先ほど敵が消滅したであろう場所に黒い塊のようなものが浮いていた。

「……なんだ、あれは?」

 思わず桜花をさやから引き抜く。セインは特にそれと言った反応を見せていないが、鈴江は何となくこの塊に一種の禍々まがまがしさのようなものを感じていた。

「あれが魔力の塊よ」

「魔力……あれがか?」

 またしても出てきた魔力という単語に怪訝な表情を浮かべる鈴江。そんなことは知らぬとばかりにセインは話を続ける。

「細かい説明はめんどくさいから省くけど、要はここの空間を維持してる力で、あれをぶっ壊したらここも消滅するってわけよ」

 そういいながら剣を手に魔力の塊の方へと歩いていくセイン。

「けっこう頑丈だから破壊するときは思いっきりやった方がいいわよ。こんな風に……ね!!」

 ズバァンという快音が鳴ると同時に魔力の塊は切られた断面から散り散りになっていった。それと共に空間が音を立てて崩れだした。

「なぁ!? お前そんないきなり!」

 大した説明も予告もなくいきなり魔力を破壊したセインに声を上げる鈴江。しかし、崩れる際の揺れが徐々に大きくなるにつれそんな余裕もなくなってきた。

「大丈夫大丈夫! 生身でもちゃんと戻れるわよ。……たぶん」

「たぶんって言ったかお前!?」

「いや、うん。大丈夫よ。私が保障する。うん」

 もはや抗議の声を上げることもなく唖然とする鈴江。そうこうしているうちにもう揺れが何かにつかまっていないと耐えられないほどになってきた。

「そんじゃ、また会いましょう鈴江」


 ニコニコと笑いながら手を振るセインの姿を最後に鈴江の視界は真っ暗になった。

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