S1-10「本体」
「
室内が絶叫で満たされる。先程まで気配すら感じなかった敵が、たった一瞬でこれほどの数になって雪崩れ込んでくる。単なる偶然とは思えなかった。故に、こう思った。自分達は奴等の罠にまんまと嵌められたのだと。
思えばここまで来るのにやけにスムーズにことが運びすぎていた。あのときもう少し考えていれば良かった。何故あの人体模型は鍵を手にしたまま自分達の前に現れたのか。何故、保健室に鍵
だが、鈴江には一つ解せないことがあった。何故奴等はここに来て急にこんな統率のとれた動きをするようになったのか、まるで何者かの指示によって動いているとも思える行動を突然取り出したことに、疑念を抱かずにはいられなかった。
「まさか本体が近くにいるのか……!」
セインが言っていた『本体』という存在、そいつが何らかの方法で指示を出していたのなら! 鈴江が一つの考えに至ろうとした時だった。
――キシュルルル……
「――!?」
耳にしたのはまるで何かを擦り合わせるような、はたまた狭い口腔部から勢いよく空気が漏れるような、そんな音。鈴江は音の発信源のそいつを見やる。
「まさか、こいつが!?」
いや、正確には見ていた。もうすでに視界のど真ん中に
「近くにいるんじゃない! 目の前の……目の前のコイツが本体か!?」
「――シュリラララッ!」
御名答、まるでそういっているようだった。否、そういっているのだ。言葉にならずとも、敵から発せられる気が、仕草が、音が、すべてが鈴江に対する嘲笑の意を纏っている。
「こいつ……っ!」
相手の態度に憤る、しかし、動けない。手には戦闘態勢に入った桜花がしっかりと握られている。攻撃の準備はできているのだ。だが、動けない。
敵は先ほどから鈴江に対して明らか挑発と取れる行動をとっている。しかし、向こうから何かを仕掛けてくる様子は一切ない。明らかな罠だ。
相手はこのような待ち伏せを仕掛けられる程度の知能を持っている以上、他の腕塊のように一直線な攻撃を仕掛けるのは悪手にしかならない。
「――シキィィィ!」
「――!!」
鈴江が動く素振りを見せないことを悟ったのか、痺れを切らした本体が動きを見せる。
「――シュキィィィァア!」
「なっ!?」
思わず声を上げる。敵は奇声と共にいったいどこに隠していたのか、自身に生えている各腕で皿や包丁などをかまえた。すなわち武器を手に取ったのだ。
「これは……これはマズイ!!」
「キシィィィッ!」
鈴江に考の余地を与える間もなく本体の腕から包丁の弾幕が放たれる。 それは机を挟んだ向こう側にいる鈴江に一直線に飛んでいく。
「うぉあああ!!」
すかさずしゃがみこんでそれを躱す。包丁は鈴江のいた場所を飛越し、後ろの黒板に深々と突き刺さった。
「くっそぉ!」
「――シュバララララ……」
体制を立て直し、再び鈴江が本体を捉えた時にはもうすでに敵の手には包丁が補充されていた。ここは家庭科室、使い方を誤れば人一人くらい簡単に殺せる物は山ほどある。
(近づかなきゃ何もできない……だけど、近づいても圧倒的に不利なのはこっちだ。せいぜい相打ちにしかならない。何とかして奴の隙を作らないと!)
「何か無いか……こう、何か……!」
鈴江は自身の視界に入ったあるものを見つめた。
「食器棚……あれをどうにか出来れば!」
そういうと鈴江は
当然それを逃すわけもなく敵本体は鈴江に再び包丁を投げつける。
「――っ!」
そのうちの一本が鈴江の腕をかすめたが、滑り込む形で陰に隠れることに成功する。
(さあ、どう来る……包丁にだって限りがある、もうお前の手元にはそう本数は残ってないはずだ。なら、牽制には他を使うはず!)
「――シュビィァ!」
身を隠し、敵が動くのを待っていた鈴江の頭上で、ガシャン! と何かが割れる音が聞こえた。それついさっきも聞いたばかりの音だった。
「っ! 痛って!」
頭上からばらばらと降り注ぐは割れた皿の破片、それが大なり小なり下にいた鈴江にダメージを与える。それに終わらず次々と皿が鈴江の頭上に投げ込まれる、刃物ほどではないにしろ着実に鈴江の体に傷を負わせていく。
しかし、傷を負ったことで鈴江の眼の光が衰えることはなかった。むしろより強く、闘志は燃えている。
「――シィィィァア!」
攻撃がやむと同時に敵本体の奇声が響く。その手にはもう一枚も皿は握られていなかった! すると敵は一目散に教室の後方へと走っていく。
「――シュルルルル……」
敵が向かった場所は部屋の後方部分に設置された食器棚、そこに収められた食器を乱雑に引き抜こうとした時、後方から飛んできた物体が轟音を鳴らして棚に突き刺さる。
後方から飛んできたもの、それは椅子。椅子によって破壊された棚部分から詰みこまれていた食器類がなだれのように敵に降り注ぐ。数と質量を持った陶器の塊が本体にダメージを与えていく。
「罠を仕掛ける知能がある割には残弾管理がずいぶんと雑だな」
「――ギギィィィァアアア!」
椅子が飛んできたであろう部屋の中央には鈴江が桜花を構え、ただ真っ直ぐに敵を見つめていた。腕はそれに気づくことができず、ただ奇声を発して降り注ぐ凶器に悶える。
「今がチャンス!」
本体に向かって突進する。この時、敵はようやく鈴江の存在と、己の危機を理解した。
「てぇぇぇ!!」
鈴江の声が響き渡る。刀が敵に一気に振り下ろされる。
が、その斬撃は敵に当たらなかった。そして、逆に鈴江の腹部には、深々と刺さる一本の包丁があった。
斬撃は敵を外したのではなかった。正確には鈴江が切りかかってくることを理解した敵が、恐るべき素早さでギリギリ躱したのだ。そしてそれと同時に敵は、持っていた包丁で鈴江を刺殺しにかかったのだ。
「――シキィィィラララシラララ!!」
――勝った! ざまあみろ!
おそらくそう言っているであろう奇声を上げながら本体は倒れ行く敗者を見てやろうとした。――そこでようやく敵は異変に気付く。
倒したはずの敵は腹部に深々と刃物を刺されながら、全くふらつくこともなく地を踏みしめていることを、手から零れ落ちるはずの刀が自分の真横側に水平に構えられていることに。そして、その刀がうっすらと
「でぇああああ!!」
気付いた時にはもうすでに刀は振られた後だった。刀は今度こそ敵に傷を負わせることに成功した。切られた部分から黒いモヤが噴出する。
「まな板仕込んどいてほんと正解だったな」
鈴江が包丁を引き抜くと――ガコン、という音と共に鈴江の服の中からまな板が落ちてきた! 板の表面には刃物が刺さった形跡がくっきりと見える。
「――ギジィィィァァァァアアアアア!!」
切られた本体はとてつもない絶叫と共にもはや瓦礫と化した食器類を巻き込みながら暴れ悶える。鈴江がすかさずとどめを刺そうとすると、敵は予想外の行動に出た。
「――シビィィィアアアアアア!!」
叫ぶと同時に廊下側とは反対の窓をぶち破り外へと出たかと思うと、そのまま壁に張り付き蜘蛛やゴキブリのごとき動きで壁をよじ登っていく。
「なっ! くそ! 待てぇ!」
あまりにも唐突な行動で判断が遅れてしまう鈴江。瀕死寸前のところまで追い込んだ敵を逃がしてしまう。
「上に行ったということは屋上か!」
敵の向かった場所を特定し、すぐに追いかけようとする。と、その時、
「宇宙の塵になれぇぇぇぇぇ!!」
「――!?」
突如廊下側から聞こえてくる叫び声、それは紛れもないセインの声だった。それと同時に廊下側からとてつもない光が室内に差し込んでくる。
「うわあぁぁぁ!!」
鈴江の視界は白一色で埋め尽くされた。
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