S1-8「保健室」

 静寂に包まれている室内、生物の気配もなく、一部の機械の音だけが微かに聞こえるかもしれない。

「う……うう……」

 その中に小さなうめき声が漏れ、空に散る。

「あ、起きた?」

「セ、イン? あ……!?」

 声が漏れた場所、もとい人のそばにいたセインが声をかけると同時に鈴江はガバッと飛び起きた。

「うわぉ、ビックリした!」

 鈴江の気がついたのを確認し顔を覗き込もうとしたセインは、突然起き上がった鈴江に頭をぶつけそうになるのを寸前で躱した。

「大丈夫?」

「え……えっと……」

 セインに声をかけられ意識がだんだんとはっきりしてくる。鼓動がいつもより速く息が上がっているのがまるで他人事のようにいやに冷静に判断できた。

「私は……っ!」

 自分の身にいったい何が起こったのかを思い出そうとすると、途端に後頭部に違和感を覚えた。それじわじわと広がっていき、脈を打つようにズキズキと痛む。反射的に触ると液体のようなものが手に触れた。水よりも粘度が高く、周囲が暗いせいでよくわからないが、おそらくそれは赤黒い色をしているのだろう。

「触っちゃだめよ、けっこう出血してるけど動けるかしら?」

「出血? あ……」

 鈴江はそこでようやく自分の身に起こったことを思い出した。

「セイン! あいつは!?」

「大丈夫よ、あいつはもういないわ」

 セインはあの後何があったかを鈴江に語りだす。




「鈴江!」

 鈴江が人体模型を破壊し、戦闘態勢を解いた鈴江に背後から一体の腕の化け物が襲いかかった。セインは突然現れた敵に鈴江がやられた事実に動揺し、その場に固まる。

 馬鹿な、さっきまであんなのは影も形もなかったはずなのに、いったいどこから湧いて出てきたのだ。

 腕はそんなセインの考えをよそに床に突っ伏している鈴江に追い打ちを仕掛けようとする。人体模型の破片を高らかと掲げる。

「――!! 鈴江!」

 動揺していたセインは動き出すのが一瞬遅れてしまった。このままでは鈴江が危ない。しかし、間に合わない。魔法はまだ使えない、つかえたとしても間に合わない。物理的にかばおうとも間に合う距離ではない。

 だが、その腕が振り下ろされることはなかった。振り下ろそうとした腕が突如、ボロボロと崩れ落ち、やがて光の屑となって消滅したのだ。敵は崩れた腕から零れ落ちた人体模型の一部を他の腕で慌てて拾おうとするが、それをつかもうとした他の腕も次々と崩れ落ちていく。やがてその中心部、大きな刀傷のようなものがある部分も、その傷から黒い霧のようなモヤのようなものを吹き出しながら、消滅した。

「消えた……! 鈴江!!」

 しばらく呆気にとられたセイン、しかし、すぐに慌てて鈴江の元に駆け寄る。

「出血が結構ひどいわね……もったいないけど……ヒール!」

 セインが鈴江の患部に手をかざし、唱えるととめどなく流れていた血の流れが収まっていく。

「とりあえず下手に動かすわけにもいかないわね……」

 そういうと鈴江の体を横たえて安静を確保する。声を発するもののいなくなった職員室は静寂に包まれた。




「……というわけよ」

「そうか、すまん、私が油断していたせいで……」

「いいわよ、それよりも立てる? 最低限の処置はしたけど、それじゃ不十分だから場所を変えてちゃんと治療した方がいいわ」

「……一応大丈夫だ、少しふらつくけど。けど治療なんてどこで……」

 疑問を口にすると、セインは白衣の側面についているポケットに手を入れ、タグのついた鍵を取り出した。

「さっきの奴が消えた場所に落ちてたのよ」

 そういって鈴江にその鍵を渡す。タグには『保健室』と書かれていた。

「どうせ他に行ける場所なんてないんだし、治療もできて一石二鳥じゃん。って思って」

 現在残っている鍵は『理科室』と『職員室』、『一階出入り口』。そのどれも既に行ったことのある場所。このまま当てもなく彷徨うよりは手に入れた鍵の示す場所に行くのがいいだろう。

(しかし……)

 何か、何かが引っかかる。しかし、それが何か思い当たらない。出血のせいで頭が回らない。

「ああ、わかった。行こう」

 結局他に案もなく、セインに従うことにした。




「保健室の場所はたしかこの館の一階だったはずだ」

 保健室へ向かうために廊下へと出た二人、学校内の構造をよく知らないセインに鈴江が保健室の場所を思い出すような口ぶりで教える。実は体が丈夫なうえに学校内で怪我をするようなこともなかった彼女は、入学して此の方一度も保健室の世話になったことはなかったため、知識の上でしか保健室の場所を覚えていなかった。それでもここの下にあることは確かなので、セインと共に中央の渡り廊下に面した階段へと歩を進める。

「大丈夫? おんぶしてあげようか~?」

「いや、いらん」

 前を歩くセインの提案を即答で拒否する。一応善意で言っているのだろうが、その顔が妙にニヤニヤしてるのを見逃さなかった。まるで小さな子供をからかう親戚のおばさんみたいな雰囲気を醸(かも)し出すその顔をみて、鈴江の中の妙なプライドがそれを拒んだ。それと共にこれ以上セインに負担をかけるわけにはいかないという感情がそれに拍車をかける。

 顔や雰囲気こそ緊張感の無いセインだが、なんだかんだ鈴江を守るために前を先導して歩いていてくれている。その上さらにその善意に甘えるようでは完全にただの足手まといにしかならない。それだけは避けたかったのだ。


「ん? うげぇ……」

「どうした……ってこれは……」

 階段のある場所についたとき、前を先導していたセインからうっかり他人の情事でも見てしまったかのような声が上がった。何事かと思った鈴江、だがセインの見つめるものを見てすぐにその理由を察した。

 そこにあったのは鏡。しかし、それはもうすでに鏡としての機能を失っていた。なぜなら鈴江の全身を容易く映し出せるほどに大きかった鏡面全体を覆うようにべったりと赤黒い液体が付着していた。さらには鏡面や壁に納まりきらなかったものが勢い余って床をも浸食しようとしていた。

「こっちに来る時の手形の時点でだいぶアレだと思ってたけど、これじゃ鏡が泣くわよ」

「…………」

 セインの言葉に鈴江は何も返さない。最初この場に放り出された時のような得体の知れなさから来る恐怖がいくらか解消されたことにより、前ほど動揺をすることはなかったが、やはりこんなものを見て気分が良いわけはない。怪我のせいで頭痛がするような状況ならなおさらだ。

 二人はそれ以上何かをするわけでもなくその場を後にした。




「ここね、開けるわよ」

 言いながらセインがポケットから鍵を取出し鍵穴へと差し込んでいく。

 あの後、特に何が起こるわけでもなく二人は無事に保健室へとたどり着くことができた。職員室での一件のわずかな隙に鏡に変化があった。それすなわち敵に何かしらの動きがあったことを示している。そのため何かしら仕掛けてくるのではないかと思ったが、むしろ逆に敵の姿はおろか気配すら感じなくなっていた。

「……敵の……気配はなし」

 鍵を開け、先に顔だけを突っ込んで室内の様子を窺っていたセインが安全を告げてくる。そしてセインが入ったのを確認し、追って鈴江も保健室へと入っていた。


「えーと……外傷用の治療具……文字読めん……あ、これか」

 鈴江を椅子に座らせ、なにやらぶつぶつと言いながら棚を物色するセイン。しばらくして包帯やガーゼ等を持って鈴江の前にやってきた。

「そんじゃちょっと後ろ向いててくれる?」

 そう言うが否やテキパキと鈴江の患部に処置を施していく。

「よし、まーあらかじめ魔法で応急手当しておいたし、よほど無茶しなきゃこれで大丈夫でしょ! ……いいわよー動いて」

「ああ、ありがとう」

 治療が終わったのを確認し、セインに礼を行ってから立ち上がる。痛みがなくなったわけではないが、これならさっきよりは動けるだろう。

「さて、これからどうしようかしら?」

「……とりあえずここを出る前に一度この部屋を調べておいた方がいいだろう」

「おっけー、じゃあアタシこっちの机とか棚とか調べるから、そっちのベッドとか調べといて」

 そういうとセインは保険医用の机の引き出しを順番に調べだした。

「…………」

 鈴江の視界は一つの薄い膜によってさえぎられている。ベッドに寝ている人物を他者の視線から守るためのカーテンである。ご丁寧にキッチリ隙間なく閉められている。

(開けて大丈夫なのかコレ……?)

 セインが言うようにこの部屋の中に敵の気配は感じない。しかし、こういう状況下でこういう物を開けると大抵ろくでもないようなことになる、という印象を持っていた鈴江はなかなかそれを実行できないでいた。しかし、そのまま何もしないわけにはいかないので、渋々カーテンのふちに手をかけると勢いよくそれを開け放った。

「……ベッドだな……」

 そこには患者をとりあえず寝かせておくだけの寝心地があまり期待できなさそうな寝具があるだけだった。

「こっちも開けるか」

 今開けたカーテンのすぐ隣、もう一つのベッドのカーテンにも手を掛け、強く引き放つ。が、やはりそこには何の変哲もないベッドがあるだけだった。

「ベッドの下と、あと布団の中も調べてみるか」

 ベッドの下に何か無いか、と顔をのぞかせてみるが、何も見当たらない。暗くてよく見えないのもあるが、それを差し引いても何かが落ちているような様子はなかった。

 ならば、と患者を迎え入れるために綺麗に整えられた布団の間に手を入れ、まさぐってみる。

「――ん?」

 すると、シーツや布団とは違う固い感触を覚えた。取り出してみるとそれは鍵であることが分かった。タグには『家庭科室』と書かれていた。

「セイン」

「んはい?」

 呼ばれたことによってセインが作業を中断して歩み寄ってくる。

「鍵だ、家庭科室のらしい」

「カテイカシツ?」

 セインが首をかしげる。聞きなれない単語のようだ。

「料理を作ったり縫い物したりする場所だな。南館の一階か二階だったはずだ」

「へー、じゃあ一通りここを調べ終わったら行ってみようかしら」

「そうだな」

 そう言うとお互いまだ調べていない場所を調べるために持ち場へと戻った。

「カテイカシツねぇ……」

 鈴江に背を向けたセインの顔にはどことなく曇った表情が浮かんでいた。


「……結局見つかったのはこれだけか」

 あの後保健室内を探してみたものの、特に収穫と言えるものを得ることはできなかった。

「じゃあ他に選択肢もないし、ここに行きましょうか。なんだっけカテイカシツ?」

「そうだ。……どうした? さっきから変な顔して」

 セインの様子がさっきからおかしいことに気が付いた。なにやら小声でしきりに何かを呟いているのだ。

「カテイカシツ……カテイカ……カテイ……家庭……ああ!」

「――?」

「なるほど、の授業か! あーすっきりした!」

「…………まさかとは思うがそれがわからなくてさっきから妙な顔してたのか!?」

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