S1-3「その女全裸」

「……ねぇ、聞いてる?」

 女は自分の言葉に反応を示さない鈴江に対して怪訝な表情で訪ねる。だが鈴江は聞こえてないと言わんばかりに呆然とただ突っ立っているだけ。

 女の顔が徐々に不機嫌の色を増してくる。

「もしもーし! 聞こえてる?」

 女がしびれを切らして大声を上げた。それと同時に、周囲で轟音が鳴り響いた。

「――はっ!?」

「んぇ? 何?」

 鈴江、ようやく我に帰る。そうだ、忘れていた。先程まで自分が如何に危機的状況に陥っていたのかを。

 先程まで校舎内から様子を伺っているだけだった腕たちが一斉に外へと飛び出した。ガラガラと音をたてて一階はもちろん、二階、三階にいた者も高さお構い無しに飛び出てくる。

 だがそんな状況など知りもしない女は周りの変化に対して間抜けな声をあげるだけ。

「……うわぉ」

 腕の塊の大群が一瞬にして逃げ道を塞ぎ、二人を取り囲む。

(油断していた! この女に気をとられていたせいで、こいつらのことを忘れていたっ!)

 時すでに遅し、 絶体絶命。

 退路は完全に塞がれており、所謂いわゆる『詰み』の状態。

 鈴江はもはやこれまで、と覚悟を決めた。

「……あーそういう系?」

 ふと、隣にいる全裸が呟いた。その声には恐れや戸惑いの色は一切ない。いたって平然とした口調だった。

「まさかよりによってに飛んで来ちゃうなんてね~……はぁ……」

 女はさもめんどくさそうな声でいい放つと、徐々に距離をつめてきている腕たちの数をおもむろに数えだした。

「えーと、……ざっと2・30ちょっと、てとこかしら? まあいけるかな?」

 鈴江は女の言っている意味が分からなかった。

 やがて距離を詰めていていた腕たちの動きが止まり、場は無音となる。女は依然その表情を変えない。鈴江はただ死を待つだけの状態と化していた。

「――くる!」

 女がそう叫んだ瞬間、腕たちが一斉に二人に飛びかかってきた。

 腕たちが狙ったのは女の方、約2・30の塊から伸びる数百の腕が濁流の如く襲い来る。が、

「ホーリーライト!」

 閃光。女が叫んだ瞬間、裸体を中心に宙から光の柱が降り注いだ。

「ぶわっ! ったぁ!!」

 鈴江、衝撃で数メートル先まで吹き飛ばされる。受け身が間に合わず、地面を転げ回る。

 勢いが止まり、慌てて顔を上げると、先程まで2・30塊は居た腕たちの数が僅か数塊にまで減っていた。 そのうちの一塊を見ると腕が火傷したようにただれており、シタバタとのたうち回ってもがいている。

「ヤバ……けっこう取り逃がしちった」

 女は小さくそう呟くと鈴江のいる方向へ一目散に走り出した。

 するとその後ろからさっきまでのたうち回っていたあの一塊が女を逃がすまいかと追ってきた。

「ま、まずい! 後ろ!」

 それに気づいた鈴江、女に危険を知らせようと叫ぶが女は一直線に鈴江の下へと走り続ける。

 腕が女の真後ろまで迫ってきていた。だが、腕が女の体に触れることはなかった。

 女の体に触れるまであと一歩というかところで腕の塊が光り、光の塵となって消滅した。

 呆気に取られたままの鈴江の下に女が走りよってくる。

「あんた一体何も……グェ!」

 女が何者か問いただそうとするが、女はいきなり鈴江の服の襟をひっ掴むとそのまま引っ張って走り出した。

「バカヤロウ、逃げるわよ! 話はその後!」

「ちょ、わかった! わかったから離せ! 首締まる!」

 女に解放してもらった後、女についていく形で鈴江はその場から逃走した。




「ふぃ~……逃げ切ったかしら」

「ゲホッ! ……何でこんな目に……」

 鈴江たちは職員用の駐車場の奥に逃げ込んでいた。もしかしたら空がどこかにいるかもしれないという期待から逃げる際に辺りに注意を払っていた鈴江だが、結局空の姿は影も形もなく、ここまで来てしまっていた。

 荒い息を整えながら鈴江は女を見つめるが女はまるで何でもないように依然、その裸体を晒している。

「……あー、いろいろと聞きたいことがあるのかしらね?」

 女が視線に気づいたのか問いかけると鈴江は首を縦に振ったのち、息を整えて口を開いた。

「まず、あんたはいったい何者なのか」

「まー、まずはそこでしょうねー」

 それは女にとって予想していた内容のものだったが、何故か女はしばらく考えるような仕草をした後、落ち着いた口調で語りだした。

「私の名前はセイン。セイン・グローラム。私はあなたみたいな生きてる人間とは違う。私はこの世から一度消えた存在。幽霊よ」

 女が言った内容は本来なら突拍子もない内容だった。だが、

「――! ……そうか」

 鈴江は驚きこそしたものの動揺はなかった。元々想定していた内容だったのか、それとも短い時間とはいえこの空間にいたこととこの空間のなかで起こったことのせいで感覚が麻痺してしまったのかはわからないが。

「ずいぶんあっさり信じてくれるのね?」

「むしろあんたが普通の人間だ、と言ったらそっちの方が納得いかない」

「なるほど、それもそうかもしれないわね」

 セインは僅かに微笑んだ後、何か思い付いたように意地の悪い笑みを浮かべ、鈴江を見つめた。

「じゃーついでに私の素性をもうひとつ暴露してあげましょうかね」

 女はそういうとわざとらしく咳払いをし、仁王立ちの状態で鈴江に向かって声高らかにいい放った。

「私は昔、こことは違う異世界でブイブイ言わせてた女神様です!」

「寝言は寝て言え、この痴女が」

 見えてはまずい所を余すところなく晒け出して、ドヤ顔で言うセインの言葉をトリートメントバリバリの髪に手櫛を入れるかの如くさらっと受け流した鈴江は、完全に不審者を見る目でセインを見つめた。

「えー、さっきあんなに素直に信じてくれたのに」

「幽霊は分かる。異世界人も百歩、いや千歩譲ってまだ分かる。だけど『私は神様です』と言われてあっさり信じるほど私の精神は麻痺してない」

「んなこと言われても本当のことなんだけどなー……」

 セインは口を尖らせて不満そうに呟くが鈴江は全く相手をする気はないと言わんばかりに目を反らし、他のことを考えている。

「……そもそもなんであんた裸なんだ? 幽霊ってみんな裸だったりするのか?」

「そんなわけないでしょうが。幽霊でも最低限の衣類くらいは着てるわよ」

「ということははあんたの趣味か」

 鈴江はセインの豊満な裸体を指差していった。自分の恥ずかしい所を晒していて、なおかつ一切隠す気がないということはつまりそういうことなのだろう。

「違うわよ。これはちょっとしくじったのよ」

「しくじった?」

 セインはそれをはっきりと否定した。しかし、しくじったとはいったいどういうことなのだろうか。鈴江が聞き出す前にセインが自ずと語りだした。

「ワープして来るときにちょっと手元と言うか口というか、とにかく間違えて失敗しちゃったのよ」

「ワープ? ……ていうとさっきのあれか」

「そうそれ。なんとかたどり着くことはできたけどね。……服はどっか飛んでっちゃったけど」

「…………」

 不本意ならそれ相応に隠す努力はしないのか、とツッコミたくなった鈴江だが、その事を口に出すことはなかった。

 その代わり先程から気になっていたことを聞くことにした。

「一応聞いておくけどこの空間はあんたの仕業か?」

 さっき起こった事からもはやここが元いた場所とは似て非なるものであることは確実だろう。なおかつ、この空間が人為的に作られたならとても普通の人間ができる所業とは思えない。

 だとしたら今目の前にいる普通の人間ではない存在に容疑がかかる。

「私は無関係よ。私はさっき初めてここに来たのよ」

 だがセインは容疑を否認する。たしかに彼女が元凶ならわざわざ鈴江の前に姿を現すことも、腕の塊を破壊する必要もないだろう。

「そうか……」

「でも、ここからどうすれば出られるかは知ってるわよ」

「えっ! 本当か!」

「ええ、これが私の知っている現象と同じならね」

 そう言うとセインは自身の手を宙にかざした。するとそこから淡い光が漏れだし、そこだけ景色が歪んでいるように見えた。

「えーと? あ、これかしら? あっ違う。これ……でもない! あれ~、どこいったのかしら?」

 セインはその歪んだ部分に腕を突っ込むと、どこぞの国民的アニメのロボットのようなことを言いながら何かを探しだした。

 よく聞くと中からガチャガチャと耳障りな音が聞こえてくる。

「あった、これよ! ちょっと手だしてみて?」

「……?」

 セインに言われおずおずと手を出す鈴江。

「この空間から出る方法は単純よ」

 見るとセインの手に何かが握られている。

「ここから出たかったら、この空間を作ってる元凶をぶっ倒しゃーいいのよ」

 そういって渡されたのは、一つの小さなだった。

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