第3話 強制参加

 次の日、昨日の雨など嘘のように、からっと晴れた青空が広がっていた。

 今日の講義が終わって大学から出ようとする私の前に、横からさっと啓一くんが現れる。

 都合悪く、キッコはまだ自分の受ける講義があるので、今は私一人だけ。


 思わず警戒しながら、

「ええっと。何か私に用事?」

と尋ねると、啓一くんは私の目を見て、

「ちょっと付いてきてくれないか」と言う。


 え? 一体なにかしら?

 突然のお誘いに思わず拒否しようとすると、啓一くんはあわてたように、

「いや別に何かしようとかじゃなくってさ。ちょっと昨日のことで……」

と言葉少なに、言いわけをした。

 昨日のこと? もしかして演習の講義のことかな? それなら別に心配してもらう必要もないんだけど。

 考えこんだ私を見て、啓一くんはため息をついて、

「悪かったな。お前にだって予定あるよな……」と諦めたようにつぶやいた。


 その気まずそうな表情に、思わず、

「予定は空いてるよ。というか、空いていて悪かったわね」

と口から出てしまった。


 啓一くんは安心したように笑うと、

「じゃあ、いいな。ちょっと連れて行きたいところがあるんだ」

と言いながら、私より半歩前を駅に向かって歩く。

「ちょっとまって! どこへ行こうっていうの?」

「S公園」

「S公園? なんでまた」

「いいから、いいから」

 まあ、私のアパートは西武沿線だからいいけど……。でもここからだと、ちょっと距離があるわよね。

 なんか怪しい。とりあえずキッコにメールだけ入れておこうか。

 そう思って、電車に揺られながら、啓一くんに気づかれないようにキッコにメールした。

 ――今から啓一くんと一緒にS公園に行ってくるね。


 綺麗に整備されたS公園駅で電車を降りると、もう日没を向かえようという時間だった。

 啓一くんは公園の方へと歩いていくが、ふと商店街に入ろうというときに立ち止まった。

「うん? どうしたの?」

と尋ねると、振り返った啓一くんが、

「お腹空いたろ? 奢るから、ここにするぞ」

 そういって彼が親指をくいっとした方向にはケンタッキーのお店があった。……別に嫌いじゃないけどさ。なんかちょっと違うなぁ。


 ムードもへったくれもなく、二人でケンタッキーのお店に入りそれぞれ注文をして席に着いた。

 啓一くんはチキンのセットで、私はクリスピーのセットにきのこのポットパイ。


 こうして向かい合って見ると、啓一くんって眼鏡をしているけれどなかなかのイケメンに見える。

「な、なんだよ?」

 しげしげと顔を見ていると、啓一くんがさっと視線をそらしてぼそっと小さい声で言ってきた。

 何だかその様子が可愛らしくて、「ん~。別になんでも」と言いながら、クリスピーの包みを開けた。

 黙々とチキンにかぶりつく啓一くんを見ていると、妙に親しみを感じる。っとまた顔を見すぎていたみたいで、かぶりついたままで私を胡乱げに見ている。

 あわててポットパイの攻略に乗り出し、パイ生地を崩しながら中のシチューを口にする。

 温かいシチューの旨みが口の中に広がり、ふわっと幸せな気持ちになった。


「……お前。そんな表情かおもするんだな」

 突然、啓一くんがそんなことをのたもうた。じいっと見返すとやはり照れたように視線をそらす。

 なんなの?

 そう思った時、私のスマートフォンがメールの着信を知らせる。

 見てみるとキッコからの返信メールだった。

 啓一くんに見られないように確認すると、

 ――ちょっと! 大丈夫? 迎えに行こうか?


 うん。ものすごく心配しているね。突然あんなメール送ればそうなるよね。

 ちょっと軽率だったかなと反省しつつも、返信を打つ。

 ――今、駅前でケンタッキー食べてる。大丈夫そうだけど、また連絡するね。


「……なんだ彼氏いたのか」

 私がメールを打っているのを見て、啓一くんが無表情にそう言った。

「違います。彼氏なんていないわよ。友達よ」

と言うと、啓一くんは「ふ~ん」といいながら、なんだか落ち着かなげに体を揺らしていた。


 メールも打ち終わり、お腹も落ちついたころを見計らって、

「それでこんな所まで連れてきた目的は?」

「研究会さ。多分、必要だろうから」

「へ?」

 研究会? なんの?


「日本史のに決まってるだろ?」

 あ、はい。そうですよね……。


――――。

 ケンタッキーのお店を出て、再び啓一くんについて歩いて行く。十字路を左に曲がり、坂道を下っていくと右手に池を湛えたS公園の姿が見えてきた。

 もう薄暗くなっているにもかかわらず、池の周りをジョギングしている人や犬の散歩をしている人の姿が見える。

 9月になれば、さすがにこの時間だと昼間の熱気も和らいで心地よいくらいだ。

 公園の脇を歩くと、少し湿った木々の匂いがしてなんだかホッとする。


「ついたぞ」

という啓一くんが指さした先の建物には、窓に「日本史文献研究会」と張り紙がしてあった。

 こうして私は啓一くんに連れてこられて、人生初の「研究会」なるものに参加したのだった。


 さっそく中に入ると、研究会の代表らしい背の高い男の人が、

「ああ、N大の学生さん? 専門は?」

とたずねてきた。なんだか話しかけやすそうな人でちょっと安心する。

 少しずつ参加者がやってきて、その都度、初出席の私は挨拶回りをすることになった。

 眼鏡をかけた優しそうな女の人も来て、ホッと一安心した。またざっくばらんな話し方をする男の人もいて、話がすごく面白い。


 初めて参加する私が、

「卒論で『上杉本洛中洛外図屏風』を取り上げようと思っているけど、まだテーマが絞れてません」

と言うと、途端に色々なアドバイスがあふれ出した。


「あ~、あれはかなりの論文があるからねぇ」

「瀬田さんのは読んだ?」

「黒田日出男さんっていう人がいましてね。『謎解き洛中洛外図』っていう本が……、たしか岩波新書であるよ」

「あとあれだ。ほら。今谷さんのがあったな」


 う、うわぁ。メモするからちょっと待って!

 内心でそう叫びながら、色々なアドバイスをメモ帳に急いで書き込む。

 ちらっと見上げると、なぜか啓一くんが満足そうな表情でうなづいていた。


「で、京子さんは啓一君の彼女でいいのかな?」

と誰かが言った。

 その途端に、二人で、

「「いいえ。違います」」

と同時に言うと、「ああ、そう」と何だか微妙な空気になった。


 その日の研究会は確かにすごく勉強になって、ひそかに啓一くんに感謝した。

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