第4話 駅のホーム

 研究会が終わると、どうやら参加者みんなで近くのお店に飲みに行くらしい。いわゆる「飲みにけーしょん」って奴だ。

「じゃあ、啓一君は京子さんをちゃんと送ってあげてね」


 啓一くんもいつもは参加しているらしいけど、今日は私がいるので途中まで送らざるを得ないらしく。なぜか機嫌が悪い。


「くっ。お前を連れてきて失敗した」という啓一くんに、

「折角、見直したんだけどなぁ」と言い返すと、チッと舌打ちして明後日の方を向いた。

 ほかの参加者の方々は苦笑いしながら、「いやあ、若いっていいね」なんてのんきに話している。


 ともあれ、私と啓一くんは二人連れだって、「また来てね」という声に見送られながら駅に向かって歩き出した。


 真っ暗な公園を通り過ぎ、住宅街の急な坂道を登っていると、前を歩く啓一くんが、

「今日は突然連れてきて悪かったな」

とぽつりと言ってくる。その声音からは私をからかっている雰囲気はない。


「ううん。今日は勉強になったわ。ありがとう」

 素直にそういうと、前から「ふふふ」と含み笑いが聞こえてくる。

 確かに突然で驚いたけれど、今日の研究会に参加して新しい世界が広がったのも事実。参加者のなかには東大史料編纂所の人もいれば、他の大学の准教授や講師の人もいたのだ。

 あんなにざっくばらんにヒントをもらえるなんて、すごいことだと思う。


 顔を上げると、啓一くんも振り向いたところで、

「で、『上杉本』の何をやる?」

「正直言ってまだ決めかねる。けど、いいヒントを沢山もらったわ」

「そうかそうか。じゃあ感謝しろよ。……俺に」

と言いながら少し下がって、私の隣を歩きだした。

 なんでこんなに偉そうなのかなと、ちょっとイラッとして、

「女性を突然連れて行くのは誘拐と思われても仕方ないよ? ……でもまあ今日は感謝してるわ」と言ってやったが、どうも聞いていないみたいだ。


 そのまま駅の改札口を通ったところで、啓一くんが、

「俺、こっちなんだ」と1番線の方を指でさす。

 残念、私は反対行きだ。

「私はこっちだから、ここまででいいよ」

と言いながら時計を見る。この時間だと家に帰ったらもう10時近くなっちゃうか。でも、駅から家までの帰り道で危険なところはないから大丈夫。


「あのさ。俺からのアドバイスだけどさ。……もう一度『上杉本』をよく見てみたらどうだ?」

「え? 普通に図録で見てるけど」

「そうじゃなくて、史料に耳を傾けろってことさ。なぜ描かれているのか。……いかに史料から情報を引き出すのか。それが歴史研究だろ?」


 くやしいけど、その通りなのよね。でもそうか、なぜ描かれているのか、か……。


 手にした図録の表紙を見ていると、啓一くんが私の肩をたたいた。

「な、なに?」

あわてて顔を上げると、真剣な表情の啓一くんがこっちを向いて、

「あのよ。今度は、都立中央図書館に連れてってやるよ」

とぶっきらぼうに言う。

 この人はまた何を言い出すかと思えば、相変わらずの上から目線ね。でもまあ、実の弟を見ているみたいで、なんだかほほ笑ましい。


「ちなみに聞くけど、なぜ?」

「行ったことないんだろ? だから教えてやるよ」

「ええっと、別にそこまでしてもらわなくても」

「いや、どこに何があるか知らないだろ? 俺も調べ物があるからついでだ。ついで!」

 なんだかしつこい気もするけど、……まあいいかな。今日のこともあるし、新しい発見があれば助かるから。


 その時、

「まもなく1番線に電車が参ります」

とアナウンスが鳴った。それを聞いた啓一くんが、

「悪いけど先に行くぜ。最近、不審者が出るって聞くから気をつけろよ」

と言ったところで、「まもなく3番線に電車が参ります」とアナウンスが鳴る。

「どうやら私も来たわ」


 ふいっと啓一くんが右手を差し出す。

「え?」と首をかしげる私に、「握手だよ。握手!」と小さい声で言う啓一くん。

 思わず笑いをこらえながら、啓一くんの手を握る。


 ごつごつとした手だけど、ものすごく暖かい。たくましい手に包まれて思わずドキンと心が脈打った。

 なんだか手を離しがたくって、顔を見上げると、啓一くんがちょっと照れたように、「じゃあな」と言って手を離し、そのまま向こうのエスカレーターを駆け上がっていく。


 私も急いでホームに上がって列車に乗り込んだ。目の前の窓から啓一くんの乗っている向かいの列車を見ると、

 ――あ、啓一くんもこっち見てるよ。

 ちょっとうれしくなって思わず小さく手を振ったら、向こうはさっと視線をそらした。

 その様子に思わず「素直じゃないなぁ」と苦笑する。


 やがてピィーっと鳴って、互いに遠ざかっていく列車。

 夜の町並みを眺めながらも、なんだか胸が一杯になっていた。


――――。

 その日の夜。お風呂から上がって、早速、キッコにメールした。

 ――無事に帰ってきたよん!


 すると次の瞬間にキッコから着信が入った。

「はい。もしもし」

「おいこら。京子。あんたね! ちょっと不用心じゃないの!」

 うわあぁぁぁ。突然の怒鳴り声に思わず受話器から耳を離す。


「聞いてんの! 本当に大丈夫だったんでしょうね!」

「あ、あはは。ちょっとキッコ。落ち着いて」と言うと、より大きな声で、

「ぶわかもん! 私がどんだけ心配したと思ってんのよぉ!」

と怒鳴り声が返ってきた。「み、耳がぁ……」


 しばらく怒鳴られて、思わず受話器の前で正座する私。

 ようやくキッコも落ち着いてきたみたいで、

「で、S公園まで何だったの?」

「えっとね。研究会に連れて行かれたのよ」と正直に言うと、

「はあ? 研究会。何の?」「日本史の――」


 それから今日の研究会の様子を話すと、急に静かに「ふむふむ」と聞いてくれている。

 すべて話し終わったところで、

「なるほど……。ふ~ん。そっか」とキッコがつぶやいた。

 それを聞いて思わず、

「いきなりでビックリしたけど、突然どうしたんだろうね?」

と言うと、受話器の向こうのキッコがため息をついた。

「京子って、案外天然だったのね」


 えっと、それってどういうことかな? と思いつつ、

「それでね。今度、都立中央図書館に連れてってやるって言われた」

と報告する。

「あ、そう。それは良かったわね」と、いやにあっさりと言うキッコに、

「どうしたの? なんかあった?」と聞き返すと、

「いい。なるべく相手を褒めるのよ。そうすれば上手くいくから。いや京子の場合はお菓子でも効果があるかも」

頓珍漢とんちんかんな返事がかえってきた。


 ちょっとキッコのアドバイスの意味が分からないけれど、機嫌が直ったみたいでほっと一安心した。


 うう。今日は色々ありすぎて、まだ興奮している。ちゃんと寝られるかなぁ。

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