第2話 犬もアイドルも照らせば光る 後編
「……はあ。朝から無駄に動き回ったから疲れちゃったわ」
『お前、人一人あんな目に遭わせた後に言うことがそれだけなのか?』
リビングの真ん中で大きく伸びをするのは、黒い暴力こと夏野霧姫さん。
その足下には、真っ白に燃え尽きたアイドルこと秋月マキシが倒れている。
何故、こんなに真っ白になってしまっているのか。
その原因は前編に書いてあるので説明は省こう。
君は前編を読み返しても良いし、読み返さなくても良い。
「まあ。おかげで良い感じに身体も温まったことだし……」
夏野は伸びをして、倒れているマキシをつまらなそうに見下ろした後、今度は俺の方を見る。
その瞳が、何故か悪魔のように見えて。
『そうか! 準備運動も済んで、いよいよ執筆活動に入るんだな。それは素晴らしい。とても良いことだ! さあ、筆を取って、まだ見ぬ神作を書くんだ!!』
「クールダウンの為に、軽い運動をしておきましょうかね」
『書け! 書くんだ夏野!』
「あら、こんな所に適当な駄犬が」
『やめろ! やめて下さい!』
やっぱりか。そんな気はしていたんだよ!
じゃあ、どうして逃げないのかって?
しょうがないだろ。さっきからずっと尻尾を踏まれているんだから!
『つーか、さっきマキシをコテンパンにしたばかりだろうが。ちょっとは落ち着けよ。朝からそんなにハサミ振り回してたら身体に悪いぞ』
「大丈夫よ。駄犬は別刃だから」
『別腹みたいに言うんじゃねぇ!』
「どうせなら、万全で完璧な状態で執筆したいじゃない。あんな駄アイドル如きを喰らったぐらいじゃ、まだまだ足りないわ」
『何お前、人の生き血を吸って本を書くとかそういう系だったの?』
「犬の血で書いた本っていうのもアリかも知れないわね。試してみようかしら」
『干からびちゃう!?』
こいつの場合、冗談でなく血を抜いてきそうだしな。そういうのは、あのドMにやらせれば良いじゃないか。きっと、全身の毛穴から血を吹き出して喜ぶぞ。
まあ、秋山忍の本の完成の礎になれるのなら、読者として本望ではあるのだけれど、俺自身が読めなくなるのは絶対NOだ。
秋山忍の本を読む為に死の淵から蘇った俺だ。
命と引き替えに本が生み出されても、俺が読めなければ意味が無い。
読まずに死ねるか。
『つーか、マキシをそのままで放っておくなよ。これ大丈夫なのか? 死んでんじゃねえのか?』
「大丈夫よ。そこまではやっていないから」
『つっても、ピクリとも動かないぜ……?』
相変わらず、リビングの床に突っ伏して真っ白になっているマキシである。
世界中の若者や、一部若者じゃない人達にも夢を与える立場であるアイドルがそんな格好をしていたらマズいと思うんだけれど、それが妙に合ってもいるような気がするのも、マキシの美点だと思う。
いや美点じゃねえな。
そもそもアイドルは真っ白になって倒れたりしないし。
それは身体を張る若手芸人か、プロボクサーの仕事だし。
『そういやこいつ、どうやって部屋の中に入って来たんだ?』
「ええ、それも吐かせようとしたんだけどね。その前に意識を失ってしまったのよね」
『そりゃまあ、あんな目に遭わせられればな……』
「まあ、あの駄アイドルのことだから。どうせ大した方法じゃないでしょ。いつも力押しの人海戦術ばかりなんだし、あの黒服達を縦に積み上げて登って来たとかじゃないかしら」
『お前、万国びっくりショーじゃねえんだぞ。ここが何階だと思ってるんだ』
「じゃあ、マンション内にある火力発電所を爆発させて、その上昇気流に乗って登って来たとか?」
『だからそれも人間に出来……いや、マキシの化け物じみた身体能力なら、確かに出来そうではあるけれど……』
「そうね、他には」
「あ、あの」
『……ん?』
マキシの侵入経路について話していた俺の耳に届いた小さな声。
今にも消え入りそうなその声は、夏野のものでも、マキシのものでも、勿論俺のものでもなくて。
俺と夏野は、同時にその声のした方に顔を向ける。
「ごごごごめんなさい急に声なんか出しちゃってごめんなさい本当にちっぽけで声を出す資格すらない私でごめんなさいこのまま部屋の隅っこのホコリと一体化してそのまま朽ちますごめんなさいので許してごめんなさい」
「アナタ、何でここにいるの?」
『お前、どうしてここにいるんだ?』
夏野と俺の声が唱和する。
俺達の視線の先、リビングの隅にピッタリと収まるように縮こまっているのは、見覚えのあるメガネの少女。
俺の生前のクラスメートにして、夏野の後輩とも言える、女子高生作家。
大澤映見だった。
「映見? アナタ、そんなところで一体何をやっているの?」
「ひゃああああごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
『やめろよ。怯えているだろ』
「って、別に怯えさせるつもりはないんだけど?」
『そのつもりはなくても、お前はただでさえ邪悪なオーラが全身から放出され続けているんだ。繊細な映見の相手をするにはより一層注意が必要なんだぞ』
「分かったわ。じゃあアナタの下の穴から邪悪なオーラを注入して、別の生き物に再構築してあげる」
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい』
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
部屋中に響く謝罪の声。
うん、どんなに軽く見積もっても地獄絵図だね。
俺に対して凄んでいる夏野を見て、映見は更に身体を小さくしてリビングの隅に縮こまってしまう。もう本当にリビングと一体化してしまいそうな勢いだである。
映見は昔から超ネガティブで、このマシンガン謝罪も何度も聞いてきた。
最近は周囲の奴らの影響もあって大分好転してきていると思っていたけれど、たまに、こんな風になってしまうこともあるらしい。
まあ、発作みたいなもんだ。
「ごめんなさいごめんなさいリビングの一部が声なんか出しちゃってごめんなさいこのまま先輩の部屋と一体化したまま一生を終えますごめんなさい」
「ちょっと、勝手に私の部屋にならないでくれるかしら。ほら、そんなところにいないで、こっちに来なさい」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい私なんかが先輩の部屋を名乗ろうとしちゃってごめんなさい私なんてこのフローリングの木目のホコリ以下なのに」
「あの、映見? だからね?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
流石の夏野といえど、この状態の映見の相手をするのは骨が折れるようで。縮こまったまま涙目になっている映見に対し、困り顔で喋りかけている。
いつも自信満々な夏野のそんな顔を見られるのはレアな光景なので、気分良く横顔を見ていたのだが。
(何とかしないと斬るわよ?)
(はい)
というアイコントの結果、俺も映見を復活させる為に行動することとする。
映見よ、人は部屋にはなれないんだぞ。
そうして。
結局、映見が立ち直るのには数分の説得を要した。
以前は、立ち直るまで数時間かかることもザラだったことから考えると、やはり映見もしっかり成長しているということだろう。
出来れば、説得が必要ないぐらい自信を持って欲しいところなんだけどな。
『でも、マキシに続いて映見も……どうして?』
そう。映見が現れたことによって新たな疑問が増えた。
マキシが突然部屋の中に現れただけでもおかしかったのに、その上、映見まで現れたとか、全く意味が分からない。
まさかこのリビングのどこかに、妙なゲートでも存在しているのか?
そのゲートを通って、作家達が続々と集結するっていうのか?
「ああ! そう言えば思い出したわ」
『何を?』
夏野は、何かを思い出したかのように手を叩く。
「映見を家にあげたのは私よ」
『……はぁ?』
「何だか朝早くに急に相談があるとかで訪ねて来たのよね。それでリビングに通しておいたんだけど、一度私の部屋に戻って、リビングに来たら、あの白いのが輝いていたの。映見の後ろにコソコソ隠れて来ていたんだわ。姑息よね」
「誰が姑息ですってえ!!」
瞬間、足下で真っ白に燃え尽きていたアイドルに、叫びと共に光を取り戻した。
超人気アイドル、秋月マキシの復活である。
「あたしの名前は秋月マキシ! 目の前にどんな困難が待ち構えていようとも、正面切って輝いて、自分の歩みを決して止めることはない! そう、あたしが進んだ足跡こそが、新たな道となるのだからッ! そんな、三千世界をあまねく照らす、太陽よりも輝くあたしを姑息ですって! お天道さんが許しても、この秋月マキシが許さないわよ!!!」
「事実でしょ? インターフォンも、映見を脅して喋らせたんだわ」
「だから! そんな輝かないこと、このシャイニング☆マキシ様がする訳ないでしょ。というか、インターフォンにはあたしだって出てたじゃない。一曲歌ってたじゃない!」
「そう言えば、なんか耳障りなノイズが混じっていたような気もするわね」
「ノイズですってえ!!!」
『いやそもそもインターフォンで歌うなよ。近所迷惑にも程があるだろうが』
復活したマキシは、またも夏野に食ってかかる。
本当、どんなに打たれてもすぐに立ち上がる、稲穂のようなアイドルである。
そんなお米系アイドル、秋月マキシは輝きを放ちながら叫び。
「あたしが! 戦乱渦巻くアイドル業界の中で、これからもトップオブトップアイドルであり続ける為にも! 神アイドルとして頂点で居続ける為にも! 宿敵であるあんたを倒さなければいけないのよ! 後輩である映見には、その立会人として来て貰ったんだから!」
「アナタ、どうでもいいけど映見を巻き込むのはやめなさいよね。どう考えても向いていないんだから」
「何言ってるの! このあたしが見出した逸材なのよ! 向いているに決まっているじゃない! このあたしが保証するわ!」
「じゃあ、アナタの目が腐ってるんでしょうね」
「何おうっ!?」
「だって、リビングの壁に向けて謝罪を繰り返している子が、アイドルに向いているって本当に思うの?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
いつの間にか、映見は元に戻っていた。
何をそんなに謝ることがあるというのか、ただ壁に向けて謝罪を続けるマシーンになっている。
「流石ね映見! 壁を相手に見立てた握手会の練習とはやるじゃない! 常在戦場の情熱こそ、アイドルにとって一番大切なことなんだから!!」
一方、先輩アイドルの方はこれである。
さっきの夏野の攻撃、どこか変なところにでも当たったのではないだろうか。いや、こいつは元々か。
無駄にネガティブと無駄にポジティブの不協和音だ。
「……まあ、映見は落ち着かせてから、家に帰しておくとして」
「何を言ってるの! 映見はまだアイドルとしての道を登り始めたばかり。これから、あたしと共にレッスンを重ね、いつしか頂点の座に手をかける距離まで辿り着くの! そしてその時、あたし達は頂点の座をかけて闘うの! 同じ釜のご飯を食べて育った先輩と後輩の闘い! これ以上に血湧き肉躍る展開があるかしら!」
「そう。そんなことを考えているのね」
「最高のストーリーだと思わない? そして私達は伝説へと昇華するのよ……って、何よそのハサミは」
「嫌ね、分かっている癖に」
夏野が笑顔で引き抜いたハサミを見て、マキシの身体は震え始める。
その闘志を感じ取ったのか、部屋の隅で映見がビクンビクン痙攣を始める。
「一応、映見の先輩としてはね。後輩にまとわりつく虫ケラは、片付けないといけないのよね」
「それはこっちの台詞よ。あたしだって先輩なんだから!」
「いいわ。お望み通り戦ってあげようじゃないの。今度は、さっきみたいに手加減はナシよ。今日は余計な黒服もいないことだし、大人しく私のハサミをその身で食らいなさい」
「ふん。そんな安い脅しなんて通用しないんだから。さっきので、既にあんたのハサミは見切ったんだから。あたしはアイドルとして、まだ見ぬ強敵達と闘っていかないといけないの! あたし達のシンデレラストーリーはまだまだこれからなのよ!!」
「シンデレラだったら、カカトを斬り落とさないといけないわよね?」
「それは意地悪な姉の方じゃない! シンデレラのカカトなんて斬り落としたら、話が変わって、ただの残酷物語じゃない!!」
「……そう言えばアナタ、妹と弟がいたわよね?」
「雛子と小太郎がどうかしたの?」
「それなら、姉ってことよね。ほらカカトを出しなさい。上手にスライスしてあげるから」
「あんた、頭おかしいんじゃないの?」
『はい』
マキシの言葉に、大きく頷いてしまう。
ついにマキシさんが真理に到達したようだ。
おめでとう、それが世界の理です。
まあ、俺はそれ、夏野と会った初日に分かっていましたけどね。
いきなり吊るされたりしたし。
いきなりハサミを突き付けられたりしたし。
そういうのって、初対面の犬にすることじゃないだろ。
いや、どんなに付き合いが長くてもダメだ。
親しい仲にも礼儀ありっていう名言を知らないのかよ、この妖怪貧乳バサミは。
「あらあら、こっちにも失礼なことを言う駄犬がいるじゃないの。どうしてやろうかしら。カボチャの馬車よろしく、内臓を全部くり抜いてあげようかしら」
『怖い! いや俺は何も言っていませんよね!?』
「心の声が聞こえて来たのよ。このアイドルを仕留めたら、次はアナタの番だから、首を洗って待っていなさい」
『やめて下さい。何でもしますから!』
「……あ、やっぱり首を洗わなくてもいいわ」
『おお、考え直してくれたか!!』
「どうせ落とす首なら、洗っても仕方がないものね」
『やっぱりこの人、頭おかしいよ!!』
マキシの方を向いていた夏野の視線が、こちらを見る。
その顔は実に楽しそうで。
「それじゃあ行くわよ、秋山忍!」
「ええ。かかって来なさい、秋月マキシ!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
こうして始まることとなった、超人気作家同士の闘い。
恐らく、歴史上まれに見る、意味の分からない争いだろう。
未来の読者が見たら呆れかえること請け合いだ。
そんな、意味の分からない闘いをリアルタイムで見ながら思うこと。
どうか、マキシさんが出来る限り粘ってくれますように。
その光景が映見にとってのトラウマになりませんように。
そして、何よりも。
俺が、今日も無事に読書が出来ますように、と。
そんな、叶わぬ願いを、窓の外に広がる青空に捧げたのであった。
おわり
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