第3話 兄たり難く犬たり難し


「待ちな、犬ッコロ!」

『ぬおっ!?』


 日課である書店参りに向かおうと、意気揚々夏野の部屋を飛び出した俺に、いきなりメイドが襲い掛かって来た。

 何を言っているのか分からないと思うが、現実だからしょうがない。

 俺だって嫌だよ、こんな現実。


「ご命令とあれば、今すぐこの犬ッコロの首を落として見せますが、いかが致しますか?」


 臙脂色を基調としたエプロンドレスのスカートから伸びた足で、俺の身体を踏みつけているのは、ソルジャーメイドの森部佐茅。

 メイドは、柄の先に刃が生えた箒を俺の首に当てながら、世にも恐ろしいことをのたまっている。


『やめろ! いきなり襲い掛かって来て首を刈ろうとするなんて、お前はどこの侍だ! 戦国時代じゃないんだぞ今は!』

「何か叫んでいるようだけど、生憎私には何て言っているのか分からないねぇ」

『ああ、もう観念したから一思いに殺ってくれと言ってるんですよ。良い覚悟です、サクッとスパッと殺ってしまいましょう!』

『おい、そこのクソカラス、やんのかテメェ』


 踏みつけられたままの俺に対し、ふざけた言葉を飛ばしてくるのは、メイドの肩に停まっている1羽のカラス。

 一見して、ただのカラスにしか見えないそいつの正体は、色々と込み入った事情の末、カラスの肉体に人の魂を宿すことになった元人間。

 その名は、姫萩九郎。

 立場的には、犬の肉体に人の魂を宿した俺と同じ存在であり、多少なりとも仲間意識的なものを覚えなくもないのだけれど。


『おやおや、良くもそんな口が利けますね。春海君の命は今、僕の手の平の上なんですよ? 助けて欲しければ、地べたに這いつくばって「助けて下さい、素晴らしき姫萩九郎様」と懇願しなさい。もちろん助けませんけど。kill you shit!』


 これである。

 

 実際の俺達は、犬猿の仲どころか犬鳥の仲。

 一体どうすれば、こんなクソカラスと仲良くなれると言うのだろうか。

 俺は、本の中の登場人物のように聖人君子じゃないんだよ。


『第一、こんな平日の真っ昼間から悠々自適に外出なんて何を考えてるんですか。少しは世間の目というものを気にしましょうよ』

『平日の真っ昼間から襲い掛かって来る奴に言われたくねえよ! 俺は駅前の本田書店に行きたいだけなんだ。さっさとこのメイドをどかしやがれ!』

『そんなこと言って、君の考えは分かってるんですよ。そうやって世間の目を欺いておいて、我が家に忍び込むつもりなんでしょう!!』

『……はぁ?』


 突然何を言い出すんだ、このクソカラス。


『何を言っているんだ。俺は本田書店に行きたいだけだって……』

『ニセのアリバイを作ろうったってそうは行きませんよ!』

『アリバイ!?』

『ニセのアリバイを用意しておいて、マイぷりちーシスターの部屋に忍び込み、タンスの中にルパンダイブ! 下着の海へイントゥーザブルーするつもりなんでしょう! 分かってるんですよ。僕ならそうしますからね。下卑たド畜生である君がしない訳がありません! ああ、マイぷりちーシスターよ。お兄ちゃんが守ってあげるから安心するんだよ!!』

『お前と一緒にするなよ!!』


 本当に気持ちが悪いな、このクソカラス。

 こんな奴が近所に住んでいた日には、ご近所問題も大変だろうと思うが、どっこい、そのお隣さんはうちである。

 今度夏野に、引っ越しを打診した方が良いかも知れない。


『とにかく、僕の大事な妹に不用意に近付こうとするハレンチ犬は、早々に始末しなければいけません。佐茅さん、懲らしめてやりなさい!』


 叫び声と同時に、翼でハンドサインを作るクソカラス。

 それを見たソルジャーメイドはコクリと頷き、箒を一度、俺の首筋から離して。

 そのまま、大きく振り上げる。


「大丈夫。綺麗に清掃してあげるから、安心しな」

『安心出来ない! 絶対に安心出来ない!』


 箒が離れた隙に何とか逃げ出そうとするも、足で身体を押さえつけられているので逃げられない。

 オイオイオイ。死ぬわ俺。

 こんな、部屋から数歩のところで真っ2つ。

 春海和人の冒険は終わってしまうのか。


 振り上げられた刃に、廊下の明かりが当たって、鈍く光る。

 分かりやすく命を刈り取る形をしたその刃が、今にも振り下ろされようとした、その時。


「佐茅さん、春海和人さんを離して下さい」

「はいお嬢様」


 告げられたのは、神託の如き言葉。

 その言葉を聞いたメイドは、即座に俺を解放したかと思うと、踏みつけられて付いた汚れや、体毛の乱れなどを、ササッと直してくれる。

 一切急ぐことなく、優雅さすら感じられるその動きは、さすが優秀なメイドといったところか。

 いや、やられた方からしたら、堪ったものじゃないけども。


『いやいや、どうしてだい! こんなドスケベ犬、いつか必ず害を……いや、破廉恥なことをするに決まっているんだ! 今すぐに首を落とすか、もしくはバチンッと去勢してやるべきなんだよ! なんなら、僕のこのクチバシでドスッと』

「佐茅さん」

「かしこまりました」

『グエー!!!』


 合図があったのと同時、メイドは肩に停まっているカラスを空中に放り投げて、箒の柄で叩き落とした。

 哀れ、クソカラスはベチンと潰されることになりました。

 正義は勝つ。


『お の れ 春 海 和 人 !!!』

『いや俺のせいにするなよ。完全に自業自得だったじゃねぇか』

『この恨み、死ぬまで忘れはしない……!!』

『既に死んでるだろ。俺もあんたも』


 俺の横、数十センチの場所で潰れながら、怨嗟の言葉を投げて来るカラス。

 しかし、それが最後の力だったのだろう、いよいよ力尽きた。

 まあ、しばらく日光にでも当てておけば復活するだろう。


「ようやく静かになりましたね。春海和人さん」

『うるさかったのは主にお前の兄だったんだけどな……』


 無表情で、湖面のように澄んだ瞳を向けて来る、車椅子の少女。

 その少女の名は姫萩紅葉。

 ソルジャーメイドの主人にして、変態カラスの妹。

 その正体は、世界中に名だたる大作家である。

 よくよく考えると、属性過多な気がしないでもないな、こいつ。


「ところで春海和人さん、今はお暇でしょうか」

『すまん。とんでもなく忙しい』

「それは良かったです。実は、教えてもらいたい言葉がありまして」

『忙しいって言ってるだろうが』


 ねえ、何でどいつもこいつも俺の意思を完全に無視して話を進めるの?

 実は、俺の言葉って誰にも伝わってなかったりするの?


 正直、このまま書店に向かう選択肢を選んでも良いのだけど、そうした場合、ほぼ確実にソルジャーメイんドに連れ戻されて、もう一度同じ選択肢を突き付けられることになるだろう。

 無限ループって怖い、改めてそう思った。

 

「教えて頂けますでしょうか、春海和人さん」

『まあ、いいか。それくらいなら』


 というか、ちゃんと頼まれたら話くらいは聞くし。いきなりメイドに襲わせないで欲しい。どれだけ狭量な犬だと思われているんだよ、俺は。

 まあ、どうせクソカラスが妙な入れ知恵をしやがったんだろうけど。

 ムカつくから首の辺りを強く踏んづけておいてやろう。


 とにかく、言葉を教えるぐらいなら時間はかからない。

 紅葉の真剣な頼みを断るのも何だし、さっさと終わらせて、ブックストアにジャーニーするとしよう。


『それで、分からないってのは、どんな言葉だ? 何しろ、国語辞書や百科事典までも愛読書とするほどの読書バカな俺だ。どんな難しい言葉だろうと、凄腕ジャーナリストばりの分かり易さで教えてやろうじゃないか!』

「シスコンとは、何ですか」

『…………』


 思わず、踏んでいるカラスを見下ろしてしまう。

 いや、だって……なあ?

 足下で伸びているカラスを指して『そいつのことです』と言ってしまえば、それで何もかも終わるような気がするのだけども。

 でも、そんなことを俺が突き付けるのはどうなんだろうか。

 だって、このカラスのシスコンっぷりは身内の恥……いや、姫萩一族の汚点とすら言える存在だろう。

 

「……シスコンとは、不快な言葉なのでしょうか」

『いや別にそういう訳じゃあ……って、何で不快って思うんだ?』

「春海和人さんが、まるで汚物を見るような目をされていたので」

『…………うーん』


 思わず表情に出てしまったらしい。

 どうしよう、やはりここはきちんと、ありのまま伝えるべきなのだろうか。

 何しろ、九郎さんが紅葉の兄であり、そして恐らく、世界で類を見ないほどのシスコンであるというのは純然たる事実なのだから。

 ついでに、普段の痴態から何から暴露してやろうか。いつもの仕返しだ。

 身内の犯行を聞いて、紅葉は悲しむかもしれないがしょうがない。

 大人になるって悲しいことなのだから。


『あのな紅葉、シスコンっていうのは……』

「はい、シスコンとは……」

「…………」

『ヒイッ!?』


 続けようとした言葉が、全身に突き刺さる殺意に止められる。

 まるで全身を槍で串刺しにされたかのような殺意の主は、言うまでもなく、紅葉の後ろに控えているソルジャーメイド、森部佐茅によるもの。

 恐らく『下手なことを言ってお嬢様を悲しませたら殺す』とか思っているに違いない。いや『現在進行形でお嬢様を怖がらせているから殺そう』かもしれない。

 どうしよう、変なことを言ったら死ぬぞ、俺が。


「どうしました、春海和人さん」

『あー……あー、シスコンっていうのはだなー……』

「はい」

『シスコンというのは……』

「はい」

『ズバリ、家族愛だ!』


 こうなったら、口先の魔術師と呼ばれたかも知れない本領を発揮するしかない。

 俺は、紅葉を真っ直ぐに見て言い放つ。


『俺には、妹がいるんだ。円香って名前なんだけどな』

「そうなのですか」

『俺にはあまり似てなくて、可愛い妹なんだ。時々、ちょっとおかしな言動が見え隠れするんだけど可愛いんだ。本当に、たまに、ちょっとおかしな言動とか、ちょっとおかしな包丁とか、ちょっとおかしなカレーとか……ほんのちょっとだけ』

「それは最早、ちょっとではないのでは」

『い、良いんだよ、そんなことは! とにかく、今は円香とは少し離れて暮らしてるんだけどな、でも、いつだって俺の心は円香と共にあるんだ。何でだと思う?』

「何故でしょうか」

『決まっている。家族だからだ!』

「家族、ですか……」


 そう呟いた紅葉の視線は、背後に控えるメイドの方を向き、次いで、俺に踏みつけられているクソカラスへと移る。

 それが、姫萩紅葉にとっての家族と、そういうことなのだろう。


『家族を大切に思う気持ち! 自分の妹を愛しく思う、当たり前のその精神性! 誰に恥じることもない、誰もが胸の中に秘めている想い! それこそが、シスコンと呼ばれるものなのだ!!』

「……成程」


 静かに頷く紅葉を見て、俺も心の中で頷く。

 よし、本来のシスコンの意味を上手いこと回避して、何とか良い話風にまとめられたぞ。これで、妙な知識を植え付けたといってメイドから襲われることはない。

 むしろ、何かしらの褒美を与えられても良いぐらいだ。

 褒美はもちろん本で頼む。

 

「そうですか。シスコンとは、そういう意味だったのですね」

『ああ、そうだ!』


 紅葉は、相変わらずの無表情のままで、足下にいる俺を抱え上げる。


「ありがとうございます。何だか、事前に兄さんから聞いていたのとは少し違うような気がしますが、勉強になりました」

『って、九郎さんから聞いてたのかよ!? じゃあ俺に聞く必要ないだろうが』

「念の為ということで。ですが、春海和人さんにも聞くことが出来て良かったです。どちらが正しいのか、私には判断が付きませんが」

『……ちなみに、九郎さんはなんて言っていたんだ?』

「はい。『兄と妹が特別に仲良くすることを定めた法律で。一緒にご飯を食べたり、一緒にお風呂に入ったり、一緒の布団で寝ること。これを破ったら死ぬ』とのことでした」

『死んじまえ、あのカラス』


 自分の妹に対して、何を吹き込んでやがるんだ。

 というか、俺が気を使ってやった説明が全て無に帰してるじゃないかよ。そりゃ、メイドも神経質になるわ。

 悪いのは全部、あのカラスだ。


「さて、それでは参りましょうか」

『へ、どこへ?』


 紅葉はメイドに車椅子を押させて、俺を抱えたまま、移動しようとする。

 

「『シスコン』に対して、春海和人さんと兄さんの意見が異なりました。これは、どちらが正しいのか、他の方の意見もお聞きせねばなりません」

『ちょっと待てよ。俺はこれから書店に行かなきゃいけないんだぞ。そんなのに付き合っている暇は……』

「…………」

『……と思ったけど、よく考えてみれば書店は夜までやってるもんなー。少しぐらいなら付き合ってやってもよいかもなー』


 再び、メイドの視線に射貫かれ、自由意思を完全に剥奪している俺である。

 NOと言える犬になりたいところだが、命あっての物種だ。

 廊下に叩き潰され『むにゃむにゃ クソ犬 殺す』とうわごとを言っているカラスを見ると、そう思う。

 こいつ、実は起きてるんじゃないだろうな。


『でも、他の方の意見って、一体誰に聞きに行くんだ?』

「はい。まずはお隣さんに聞きに行きましょう」

『お隣さん……って待て! それはマズい!』


 紅葉の言うお隣さん、それはイコール、黒い暴力こと夏野霧姫さんである。

 というか、書店に行くと部屋を飛び出しておきながら、こんな部屋の前で紅葉達と話していることがバレたら、俺は一体どうなってしまうのか。


『ちょっ、ちょっと待て紅葉! あいつは今〆切り前で忙しいんだ! 夏野は飛ばして、他のところへ行こう! 案内するからさ!』

「先程お電話をしたら、今日はヒマしてるから、いつ来ても良いと仰っていました」

『わあ、アポイントメントを取るなんて常識人。いやでも、あいつは最近徹夜続きでな。髪も肌もボロボロで、人に顔を見せられる状況じゃなくて、胸も酷い有様だし……いやそれはいつも通りなんだけど……! っていうか、こんな場所で話してたら、会話も全部あいつに聞こえるに決まってるじゃん。タスケテ! タスケテ!』


 しかし、俺の必死の抵抗むなしく、車椅子は夏野の部屋の前まで移動完了。

 メイドの手によって、インターフォンが押されてしまう。


「~~♪」


 インターフォンの音が鳴り、数秒待って開かれる玄関扉。

 その扉が開く音が、俺にとって死刑台へと続く階段のたてる音に聞こえたことは言うまでもない。

 

 こうして、書店参りに向かおうとした俺の1日は。

 結局マンションから出ることすらなく、終わりを迎えることになるのであった。



おわり

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