遭遇

強い閃光に目を伏せたリエンが次に見た眼前の景色は、先程までそこにあったものとは一変していた。

開けた青空のもと、蒼の絨毯が視界を埋め尽くし広がるあの心地よい大地とはまるで真逆の、閉鎖された薄暗い空間…どこかの倉庫のような場所に、彼は立っている。

呼吸の度に埃っぽくひんやりと乾いた空気が肺へと満たされ、それが居心地の悪さを更に助長するようだ。

本当に、こんな所に玄奘はいるのであろうか。

リエンをここへ転送した女は、「彼は"既に"ここにはいない」と云っていた。

屋敷を抜け出した玄奘は、温嬌が憶測した通り一度はあの草原に向かったのだろう。

…では、何故こんな場所に?

一人あての無い思案を巡らせようと、それは終わりなく空回るばかり。

答えは出ず、彼の行方も知れない。


「玄奘ー!」

ここは何処で、一体何に使われている場所なのであろうか。

それなりに広そうな空間ではあるが、用途不明の機材や所々に設けられた小部屋によって視界を遮られ、一度に周りを見渡すことはできない。

人の気配や小さな物音すら全くない為、張り上げられたリエンの低い声は隅の方で無機質な重機や壁にぶつかり、一帯にこだまとなって響いている。


「玄奘、いないのかー!?」

先の残響が収まったタイミングで、彼は奥の方へと歩みを進めながら再度探し人の名を呼ぶ。

すると程なく、彼の居所から少し進んだ辺りからであろうか、微かな衣擦れのような音が聞こえた。

そのほんの僅かな頼りを聞き逃さなかったリエンは間髪入れずに足先をそちらへ向け、走る。

行き着いた先に彼が見たものは…、


「…玄奘!!」


手足を縄のようなもので縛られ、口を塞がれて横たわる少年の姿であった。

彼は駆けつけたリエンをみとめるや、完全に怯えきった表情から大きく目を見開いて、轡の下から声にならない叫びを上げる。

幸いにも大きな怪我は無いようだ。

すぐさま駆け寄ったリエンは手早くその拘束を解き、恐怖と寒さに震える玄奘の身体を両の腕で優しく抱き起こした。

自由を得た彼はすかさず目の前の大きな懐へ飛び込み、絶え間なくその名を呼ぶ。

「リエン!リエン!!」

「もう大丈夫、安心しろ…」

胸元にすがりついてワッと泣き出した彼をなだめるように、リエンは玄奘の頭をそっと撫でながら、もう一方の腕で彼の小さな身体を抱きしめる。

拘束されこんな場所に独りきり、本当に怖い思いをしたのだろう。

大柄の胴に回されたか細い腕には、それを二度と離すまいとしてか、信じられない程しっかりとした力が込められている。


彼が置かれていたのが人為的な状況であることは明確であった。

しかし、相変わらず犯人と思しき者どころか、この場で他に一切の気配を感じることはできない。

誰が何の為に仕組んだ事なのか…引っかかる部分はあるものの、このまま何事もなく玄奘を屋敷へ連れ帰ることが何を置いても一番の目的である。

無事を確認できただけ良かったうえに、泣きじゃくる彼にこれまでの経緯を問いただすのも酷な話だ。

そう思案したリエンは、自らの腕に収まる形の少年を抱き上げようとゆっくり腰を上げる。

「帰ろう、玄奘」


…まさに、その時であった。



「……ッ!」



すんでの所で避け直撃は免れたものの、下方より鋭利な刃物のような物体が俊速で彼の身を掠め、翔ぶ。

その軌道の出元、リエンが目の当たりにしたものは、想像を絶する光景であった。


「……?!」


目前に振りかざされ鈍く光沢を放つ鋼、その持ち主は自分のすぐ真下でニタリと口端を歪ませている。

それは先程まで腕の中で泣きじゃくっていた玄奘…の、姿をした"何か"であった。

黒光りして不気味に輝く刃の切っ先は、その右腕から姿を変える形で真っ直ぐ上へと伸びているのだ。

そこから間髪を入れずの第二波が、戸惑う彼の懐に向かい迷いなく放たれる。

「チィッ!!」

不意打ちではない二度目の襲撃を回避するのは彼にとって難無きことであったが、全く予想だにしなかった展開に戸惑いの色を隠せない。

"それ"は不気味にクスクスと嗤い声を漏らしながら、もう一方の腕を別の刃物の形へぐにゃりと変形させ体勢を持ち直そうとしている。

容姿こそ玄奘そのものではあるが、本物とはまるで違う禍々しいその姿に、身の毛がよだつような心持ちさえ覚える。

「何なんだ、一体…!」

対峙する相手は、困惑するリエンに構うことなく両腕の凶器を振りかざして何度も迫り来る。



そんな攻防を何合か繰り返した所だった。

突然、ピー!と甲高い機械音のようなものが鳴り響いたその刹那、鋼の両腕から容赦なく繰り出されていた斬撃がピタリと止んだ。




パンパンパン



機械音の余韻が消えるのと入れ替えに、乾いた空気の中何処からか拍手の音が響く。

「いやぁ、お見事」

奥手から現れたのは白衣を纏った細身長身の男。

わざとらしい笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩み寄って来る。

同時に、彼が指先で合図した途端玄奘の姿は瞬時に崩れ、大型犬のようなものに転身したそれは脇目も振らずに主の元へ駆けてゆく。

「おっと、そんなに睨みつけないで下さいよ、怖い怖い…」

今にも食ってかかりそうなリエンに対面する形の男は、声色を使って大袈裟に身震いする素振りを見せた。

…が、言葉とは裏腹にその表情は余裕の色を浮かべているようにも取れる。


「貴様何者だ、玄奘を何処へやった…」

ビリビリと空気を揺らすかのように、遠慮なく真っ直ぐと敵意を剥き出しにされた低いトーンが静かに響いた。

それをも軽くあしらうかのように、男はケタケタと嗤いながら足元の異形を撫で上げると、自身に突きつけられた真っ更な怒りに躊躇することなく、ぬるりと舐め上げるような視線を送り返す。

「おや、先にご自身が名乗るのが礼儀なのでは?」

物怖じしない、完全に余裕の表情。

苛立ちを隠せないリエンの舌打ちを聞いてか聞かずか、間を空けずそのまま彼は言葉を続ける。

「もっとも…」

男が再びパチンと指を鳴らすと、傍らの異形は大型犬から何倍もの身の丈を有する獣に姿を変えた。

「ここを生還できる可能性が極めて無に等しい貴方に、名乗る名など不要かもしれませんがね!」

彼が言い終わるや否や、漆黒の毛並みに覆われた体躯が駆ける。

両の前足を振り上げた体制をもって迫り来るそれは、大柄のリエンが見上げる程の巨体でありながらも信じられないような俊敏さをもって牙をむく。


ガァンッッ!!!


鋭い爪はすんでの所で回避した対象に届くことなく空振って鉄骨の柱にぶつかり、耳を劈くような重い金属音が辺り一面に響いた。

繰り出された躊躇ない一撃をもろに受けた鉄骨は、無残な姿にひしゃげている。

身のこなしはリエンの方が多少優位であるようだが、これでは反撃の余地がまるでない。

そもそも反撃した所で、思うままに姿形を違えるこの相手に物理攻撃は効果があるのだろうか?

そう思案する隙も与えず、体勢を立て直した獣はすかさず次の攻撃を繰り出す。

「クソがッ!!」

暫く両者譲らない展開を繰り広げていた中、隙をついたリエンの蹴りが敵の脇腹に直撃した。

ギャンと声を上げよろめいた相手は倒れ込みながらもそのまま猛禽類のような姿に転じ、両翼を広げて空を切る。

「ふむ、自己学習能力も全く問題ない…素晴らしい!」

離れた位置で物見を決め込んでいた男は、何やらメモを取りながらクツクツと嘲笑っている。

先の懸念の通り物理攻撃が意味をなさないことを悟ったリエンは、獣から姿を変えた怪鳥の襲撃を振り払いながら鋭い眼光を男の方へと向けた。

そこから彼の拳が男の懐に飛び込む間、刹那。


「ッッ!」


命中したと思われたそれは、すんでのところで妨げられていた。


「…危ない、危ない……」

ニタリと口角を上げた男の前に、今迄リエンと攻防を繰り広げていた相手とは別の異形の姿をみとめる。

有翼の龍のような姿をしたそれは、生身とも金属ともとれない翼をもって、命中していたとしたら軽傷では済まなかったであろう一撃から主を庇っていた。

「従順で有能なペットは何体いても役に立つ…」

自身の盾となった形の翼をなで上げる男は、真っ向から突き刺すようなリエンの眼光に少しも動じることなく、寧ろ全く余裕の表情を先程から寸分と違えていない。

それは己の絶対優位を確信してのものであろう。

「まぁ、いいでしょう」

一呼吸の後、男の目配せを受けた翼竜型の異形が身体をうねらせ始めた。

「一つ目の研究資料はあらかたとらせて頂きました」

手の中のメモを束ねる男の脇で、シュルシュルと音を立て蠢く銀色の長い胴。

その全貌が明らかになるのと同時に、銀の鱗に覆われた尾に絡め取られている存在が顕となった。

「玄奘!」

酷く衰弱した様子の少年は自分を呼ぶ声に反応し、のろのろと目線だけをそちらに向ける。

「…リエ…ン……」

巻き取られ自由の効かない身体、その両手足は反発する余力もなくぐったりと垂れ下がっている。

「今度はフェイクではありません、安心して下さい」

フッと口元に嘲笑を浮かべた男は再び異形へ目配せをし、それに応じるように頷いた銀色の龍は玄奘を捕らえている尾の拘束を緩めた。

どしゃり、と音を立て、そのまま少年は地面にくずおれる。

「玄奘!!」

リエンは脇目もふらずその傍らへ駆け寄り、倒れている彼の肩を抱き起こした。

消耗し切ってはいるが、どうにか意識はある。

弱々しく見上げる目元が緩み、口角が少しだけ上がったように見えた。

少年の身体に目立った外傷は認められないが、力無く肩で呼吸をする様子から早く治癒を施さねばならない状態にあることは察しがつく。

「感動のご対面、おめでとうございます」

息をつく間もなく、鼻につく態とらしい大きな声が二人の背後から木霊した。

男は尚もクツクツと胸糞の悪い嗤い声を漏らしながら、胸元から何かのスイッチを取り出す。

「ですが、このままお帰しする訳には参りません」

赤い釦に細く骨ばった指が押し当てられた刹那、ゴゴゴと臓腑を揺らすような重低音を伴った地響きが一帯に鳴り響き始めた。

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Blood stained Booy ~チマミレ ノ ショウネン~ 鏡水むい @ca005jp

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