第十三章 黄泉津大神
剣志郎は藍の声が聞こえた気がした。
『ありがとう、剣志郎』
幻聴ではないと確信できるほどそれは耳の奥に響いて来た。
「藍……」
その声に感激して、そばに遠野泉進達がいるのを忘れ、藍の名を呟いてしまった。
「竜神さんて、ホントに藍姉の事が好きなのね」
御幸がニヤリとして剣志郎の顔を覗き込んだ。
「え?」
剣志郎はギクッとして御幸を見る。今まであまり御幸の顔を意識して見ていなかったせいか、彼女の顔が藍によく似ているのを剣志郎は改めて知った。
「藍姉が戻って来たら、しっかり捕まえないとね」
御幸は藍と剣志郎との間に雅という存在があるのは知っている。しかし彼女は、いい加減藍に現実と向き合って欲しいのだ。
「あ、ありがとうございます……」
剣志郎は顔を赤らめて会釈した。
(これでいいんだ。藍姉がどんなに雅さんの事が好きでも、どうにもならないんだから……)
そうは思いつつも、御幸は藍の気持ちを考え、涙ぐんだ。
「え?」
剣志郎と裕貴は御幸が目を潤ませた理由がわからないので、思わず顔を見合わせた。
朝日に照らされても尚、始めの女神の顔も服も漆黒のままで、そこだけ夜のように暗い。藍は迫り来る女神の凄まじい禍津気から間合いを取っていた。
『竜の気を自分の気と繋ぎ、高めよ』
倭の初代女王である卑弥呼が言う。
「はい!」
藍は剣志郎達から授かった膨大な気と自分の気を融合させるのをイメージし、気を巡らせる。
『フゥォォォ……』
藍の動きに連動するかのように女神が咆哮し、激しく禍津気を口から吐き出し、鎧のように身に纏っていく。
『禍津気そのものを鎧にするつもりか?』
それに気づいた姫巫女流開祖の小野篁が呟く。
『それはむしろ願ってもない事です。身に纏わば、それだけ身の内の禍津気は薄まります』
二代目女王の台与が言った。
『そうですな』
篁はそう応じると、自身の右手に黒い剣を出した。
「それは……?」
藍がその黒い剣を見て尋ねた。篁は剣を正眼に構え、
『これぞ私が封じし闇の力を固めた剣。お前の光と私の闇を全て女神にお返しするのだ』
藍は篁の言葉が理解できず、
「え? でも、穢れを祓わなければならないのに闇の力をお返しするって……?」
『闇の力と穢れは同じではないのだ、藍よ』
混乱している藍を見て、篁が言った。
『那美流古神道が姫巫女流より激しい流派だったのは、闇と光の力を渾然一体にして使えたからなのだ。始めの女神である那美の巫女にしかできない奥義であるがな』
篁の話を卑弥呼が引き継ぐ。
『ですが、我が母である那美の巫女は自分を陥れし者達を恨むあまり、穢れを生み出し、本来の那美流の力を失ってしまったのです』
『それに気づいた建内宿禰が黄泉路古神道を生み出し、闇と光の力を束ねようとしたのです』
更に台与が続けた。
『しかし、建内宿禰は黄泉の穢れに染まり過ぎたため、光の力を手にする事ができなくなった。そこで彼奴は陰陽道に目をつけたのだ』
篁が引き取り、藍を再び見た。
『ならばこそ、あの穢れの元である禍津気を打ち祓うのが我らが務め』
篁はすっかり禍津気で姿を覆った女神を見据えた。
「はい」
藍も女神を見据え、大きく頷く。
『ファァァァ……』
女神が右手を高々と掲げ、振り下ろした。するとその指の先から無数の黄泉醜女が現れた。
(な、何、あの数……?)
藍は仰天してしまった。建内宿禰との戦いでも、たくさんの黄泉醜女が出て来たが、あの時はまだ数えられる程度だった。しかし今回は全く何体なのかわからないほどなのだ。
『行くぞ、藍』
篁が剣を下段に構えて飛翔する。
「あ、はい!」
藍は慌てて篁を追った。その先にはまるで空を覆いつくす
『神剣乱舞です。力を使い尽くさぬように戦いなさい』
台与が告げる。
「はい! 姫巫女流奥義、神剣乱舞!」
藍は姫巫女の剣の力に加えて剣志郎達の気の力も得ていたので、剣先から飛び出した剣撃はいつにも増して威力があった。
「ぐわああ!」
篁も剣を大きく振るい、何十体もの醜女達を一気に斬り捨てていたが、藍の放った剣撃は一瞬にして数百体の醜女を消し飛ばしていた。
『やるな』
篁が藍を見て呟く。しかしそれにも関わらず、醜女の数は減ったようには見えなかった。
藍達は知らなかったのであるが、身の丈が五十メートルほどもある女神の姿は遠く人家のあるところからも見えたので、大混乱が始まっていた。付近一帯の警察車両が駆けつけ、消防車も集まり、果ては自衛隊まで空と陸から現れていた。
「あれはイザナミ様だ。何という事だ、この世の終わりだ……」
老人達は誰もが恐れをなし、必死になって祈りを捧げている。子供や若い大人達は、映画の撮影か何かだと思ったのか、近づこうとする者がいた。しかし、警察が道路を封鎖していたので、遠くから眺めるしかなかった。やがて地元のテレビ局が中継車で乗りつけ、報道を開始した。
テレビ中継まで始まった比婆山の状況を知った仁斎と丞斎は京都小野家に戻って首相官邸に電話をしていた。
「儂は小野仁斎と申します。すぐに首相に取り次いでもらいたい」
仁斎は電話に出た女性に丁寧な口調で言った。しかし、女性はいろいろな言い訳をして取り次ごうとしない。仁斎は遂に切れてしまった。
「四の五の言わずに儂の名を首相に伝えろ! もしこのまま取り次がんかったら、あんたは職を失うと思え!」
仁斎の迫力に驚いたのか、自分の失職に恐れをなしたのか、女性はすぐに首相に取り次いだ。仁斎は電話口に息を切らせて出た首相が必死で詫びるのを制し、
「謝罪はいい。それより、鳥取の件、警察にも自衛隊にも手出しはさせるな。犠牲者を出したくなかったらな」
更に首相が何かを言っていたが、仁斎は一切無視し、
「それだけ頼んだぞ」
と言うと、受話器を置いた。そして丞斎を見ると、
「儂等も行かねばならんな」
「そうだな」
丞斎は仁斎を見て頷いた。
周辺の騒ぎに気づいた雅は、残った力を振り絞るようにして立ち上がり、黄泉比良坂へ向かおうとして藍達と戦っている始めの女神を見上げた。
「厄介な事にならないといいが……」
彼は周辺住民を巻き込むのだけは避けたいと思っていた。
「ぐう……」
すると骨まで腐り始めた左肩と口の内側にまで腐蝕が及んでいる右頬に激痛が走る。
(この痛み、女神の発するものかと思ったが、どうやら違うようだな……)
雅は女神に粉微塵にされた明斎が立っていたイザナミの陵墓の前を見た。
(奴は死んだが、消えてしまった訳ではないという事か?)
雅は明斎の執念が未だに辺りに漂い、自分を苦しめているような気がしていた。
藍と篁の戦いはまだ続けられていた。二人は何百体もの黄泉醜女を斬っていたが、まだ果ては見えていない。女神が次々に醜女を出しているせいである。
「きりがない!」
藍は押し寄せる醜女達にうんざりして来ていた。
「え?」
藍は醜女を斬り捨てながら、女神がゆっくりと方向を変え、再び黄泉比良坂を目指し始めたのに気づいた。
「篁様、女神が!」
藍が叫ぶと、篁も醜女を斬りながら、
『行かせてはならぬ、藍! ここは私に任せよ。お前は女神を追うのだ』
篁の言葉に一瞬迷った藍だが、
『参ります』
卑弥呼に促され、女神を追った。女神は周囲のものを腐らせながら北西の方角に進んで行く。
「行かせない!」
藍は竜の気によって加速し、女神の前に出た。
『フォォォ……』
女神は瞳のない目を藍に向け、敵意を剥き出しにして禍津気を吐き出した。
『黄泉醜女を出させてはなりません。竜の気で女神を打ちなさい』
卑弥呼が言った。藍は姫巫女の剣を最上段に構え、その剣身に皆から授かった気を注ぎ込んでいく。剣はより強く輝き、辺りを照らし出した。女神がそれに呼応するように禍津気を激しく噴き出す。
『ファァァ……』
女神は禍津気を身に纏ったまま藍に迫って来た。そして右手が大きく振り上げられた。
(黄泉醜女は出させない!)
藍はその振り上げられた右手に向かって剣を振るった。すると剣先から強い光の筋が伸び、女神の右腕にぶち当たった。
『ファァァ……』
その衝撃で女神がバランスを崩し、後ろによろめく。
「剣志郎、力を借りるわ!」
藍は竜の気を自分の気で増幅し、剣の先に集約するともう一度振り降ろして放った。気は竜の形に実体化し、女神に向かった。女神はそれに気づいたのか、怒りの形相になり、禍津気を盾のように集めて竜の気を迎え撃った。禍津気と竜の気が激しくぶつかり合い、周囲の木々や地面を切り裂いていった。
「く!」
藍もその衝撃の余波を受け、後退させられた。
米子の鳥取分家で藍達の戦いを感じ取っていた神奈川分家の善斎と茨城分家の道斎は、日本中の各分家の力を結集するためにたくさんの榊で庭に円陣を作っていた。
「藍はまだ苦戦しているようだ。我ら一門の力を今こそ集め、女神にお帰り願うぞ」
善斎は榊を地面に挿しながら道斎に言った。
「はい」
道斎も榊を挿しながら応じた。
最初は鳥取の地方局が放送していただけだったが、時間が経つにつれ、放送エリアが拡大し、とうとう杉野森学園がある東京都でも、始めの女神の姿が放送されていた。
「な、何、あれ?」
登校前にテレビを点けた本多晴子は女神の出している禍津気を感じ取り、気持ち悪くなっていた。そして同時に彼女は、藍が戦っている事も感じていた。
「小野先生、負けないで!」
晴子は一度は捨てたはずの陰陽道の早九字を切り、藍の勝利を祈った。
仲良し三人組の一人である古田由加もテレビを点けて女神の映像を観ていた。
「もしかして、藍先生なの?」
彼女は女神の周囲を飛び回っている藍の姿を発見していた。そこにタイミング悪く携帯が鳴る。江上波子からだ。
「テレビ観てる、由加?」
「観てるわよ。だって今どのチャンネルも藍先生の戦いを放映してるでしょ?」
由加が興奮気味に言うと、
「やっぱり小野先生なの、あれ?」
「何だ、わからないの、あんた? ダメねえ、歴研なのに」
由加は勝ち誇ったように言う。すると波子の声が、
「そんなの関係ないでしょ?」
と言い返した。
剣志郎達は藍の家の中のテレビで女神と藍達の戦いを観ていた。
「藍……」
剣志郎は、始めの女神が想像以上に強大なので心配になっていた。
「大丈夫だよ、竜神。藍さんは負けない」
北畠大吾は何をに根拠なのか、そう言い切った。すると裕貴も、
「そうそう。藍ちゃんは負けないですよ、竜神さん」
「当然。だって、藍姉には私達の気を送ったんだもん、負けるはずがないわ」
御幸が言った。すると泉進が、
「そう願いたいものだな」
と言ったので、剣志郎達はギョッとして泉進を見た。泉進は彼らを見渡しながら、
「始めの女神はまさしく気の中でも最強と言われる禍津気を纏っている。あれはそう簡単には弾き飛ばせんぞ」
と顎をしゃくって女神が映る画面を示した。剣志郎達はそれに合わせてテレビに視線を戻した。
雅は女神がゆっくりと進み出したのを無視して、イザナミの墳墓を睨んだ。
「恨む相手を間違えているぞ、明斎。恨むなら俺を恨め」
雅は痛みに顔を歪めながら言い放った。するとイザナミの墳墓の前のちょうど明斎が吹き飛んだ辺りに黒い妖気が集まり始めた。
(来たか……)
雅は右手に漆黒の剣である黄泉剣を出した。
「そうだな。やっぱりてめえをぶち殺さねえと気が収まらねえな」
その黒い妖気は人の形になり、明斎となった。
「長年のケリをつけようか、明斎」
雅はふらつきながらも剣を構え、明斎を睨んだ。
篁は黄泉醜女の数が急激に減っていったので不思議に思っていたが、雅が明斎と対峙しているのに気づき、
『なるほど、そういう事か』
彼は残りの醜女を一掃すると藍を追いかけた。
『何としても女神にはお帰り願う』
篁は藍と戦っている女神の後ろ姿を見て改めて誓った。
藍は女神が禍津気の勢いを増させたのを見て、自分の気と竜の気の融合を更に強め、剣身に集めていく。
(これでダメなら、もうどうしようもない……)
藍は意を決して女神を見た。女神は禍津気を纏い、藍にゆっくりと近づいて来る。黄泉醜女を出す様子はない。もう通用しないと悟ったのだろう。
「これで!」
藍がもう一度剣を振るおうとした時、
「待て、藍。その前にこれを使うのだ」
追いついた篁が自分が持っていた黒い剣を差し出した。
「え?」
藍は一瞬戸惑って篁を見た。篁は優しく微笑み、
「明斎が持っていた光と闇の入り交じった剣を見たであろう? それと同じものを作るのだ」
「ええ?」
藍は更に混乱してしまった。
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