第十一章 明斎滅す

 明斎は藍が何かを隠し持っていると思い、その形相を更に険しくする。

(ふざけやがって……。ここまで来て、まだこの俺の邪魔をするのか!?)

 明斎は右の拳を握り締めた。

(何?)

 藍は藍で、明斎が何を企んでいるのかわからないので、剣を正眼に構えたままだ。

(さっき、明斎が放った黄泉戸喫を弾いたのは、多分お祖父ちゃんから預かった黄泉の玉。これにはどんな力が込められているの?)

 藍は明斎を警戒しながら、黄泉の玉が入っているライダースーツのポケットをチラッと見た。

「そこか!」

 明斎は藍の視線を見てライダースーツのポケットに入っている物が黄泉戸喫を弾いたと直感した。

「ならば!」

 明斎は右手に光と闇が入り混じった剣を出した。それは藍が鳥取分家で見た時より巨大化し、禍々しさを増している。

(やはり力を増している。背後にあるイザナミの陵墓の影響なの?)

 藍は眉間に皺を寄せ、明斎を睨む。

「術が弾かれるなら、力でねじ伏せてやる!」

 明斎は剣を大上段に構え、藍に向かって突進した。

「く!」

 藍は正眼から下段に構えを変え、明斎を迎え撃つ態勢を取った。

「バカめ!」

 明斎は空間の裂け目からスッと姿を消してしまった。

「え?」

 藍は目を見開き、周囲を探る。しかし明斎の気配は全く感じられない。

(根の堅州国に行った訳ではない……。これが那美流古神道?)

 藍はそれでもなお、辺りを警戒する。

「は!」

 目の前にいきなり剣が現れ、上段から斬りつけて来た。

「くう!」

 藍はそれを辛うじて姫巫女の剣で受け、弾いた。

「かかったな」

 明斎の声が聞こえ、藍は羽交い絞めにされた。明斎が前から現れると思っていた藍は完全に意表を突かれた形だ。

「どうして……」

 人間離れした明斎の頑強な左腕に首を絞めつけられ、藍は呼吸もままならない。

「これが俺が手に入れた那美流古神道の力だよ。だが、それはほんの一端でしかない」

 明斎の左腕が更に藍の首を絞めつける。

「近くで見ると、肌が奇麗でいい女だな、小娘? まだ男を知らないのか?」 

 明斎が藍の左の耳に口を寄せて囁く。

「……」

 藍は全身に鳥肌が立つのを感じた。

「俺が男がどれほどいいものか教えてやるよ。椿に教えられなかった分も合わせてな」

 明斎はニヤリとして藍の耳を舐めた。

「いや!」

 藍はもがこうとしたが、明斎の右手が彼女の右腕を捩じ上げてしまった。

「痛い!」

 藍は顔を歪めた。

「抵抗するんじゃねえよ!」

 明斎の顔が再び険しくなる。それに呼応するかのようにイザナミの陵墓が鳴動した。


「くそ……」

 雅は這いずるようにして奥の宮に近づいていた。

(イザナミの陵墓から噴き出す気が激しくなって来ている……。明斎め、何をしているんだ!?)

 雅は近くにあった木にすがりつくようにして立ち上がった。

「藍……?」

 彼は藍の叫びを聞いた。空耳ではないと確信できた。

『藍ちゃんを助けてあげてね。それは貴方にしかできない事だから』

 椿に言われた事を思い出す。雅にはその言葉の意味がまだわからないが、今藍を助けられるのは自分しかいないのは理解できた。

「藍!」

 雅は力の限り叫び、右手に漆黒の剣である黄泉剣を出した。

(今まで一度もやった事はないが、できるか?)

 雅は眉間に皺を寄せる。

「今やらなくていつやる!」

 彼は自分を奮い立たせるためにまた大声を出し、黄泉剣と右腕だけをスウッと根の堅州国に入れて目を閉じた。


 明斎は息も絶え絶えの状態の藍から姫巫女の剣を払い除けてしまった。

「うう……」

 藍にはそれにあらがうだけの体力も気力もなくなって来ていた。明斎に締め上げられ、落とされる寸前なのだ。

「さあ、気持ちいい事しようぜ」

 明斎は下卑た笑みを浮かべ、自分の剣を地面に突き立て、脱力してしまった藍を地面に押し倒した。

(私……)

 明斎に馬乗りになられても、藍はボンヤリとそれを見ているだけだ。身体の自由が利かない。

「スタイルも良さそうだな。雅が養子になりたがる訳だぜ」

 そんな品のない事しか考えられない明斎に対しても何も言い返す事ができない。

「さあ、見せてくれ、お前の裸を!」

 明斎の手が藍のライダースーツのファスナーにかかる。締めを外された事で藍は少しずつ意識がはっきりして来ていた。そして、自分が今何をされようとしているのかも理解した。身体の感覚も戻り始めている。

「いや、やめて!」

 藍はファスナーを下げている明斎の手を両手で掴んだ。

「てめえ、まだ動けるのか!?」

 にやけていた明斎の顔がまたしても険しくなった。

「大人しくしてろ、小娘!」

 明斎は藍の首をグッと絞めた。

「うう……」

 一気に呼吸ができなくなり、血流が滞り始めるのがわかる。藍は抵抗しようとしたが、明斎の腕の力が遥かに強く、全く逃げる事ができない。意識が遠のき、明斎の顔が霞んで見える。

「落ちちまえよ!」

 明斎は目を血走らせて藍の首を絞めつけた。カクンと藍から力が抜け、明斎の腕を掴んでいた両手がドサッと地面に落ちた。

「やっと落ちたか」

 明斎はニヤリとして再びスーツのファスナーを下げ始めた。

「ぐう……」

 次の瞬間、明斎の胸の真ん中を黄泉剣が貫いた。彼は剣の先端を呆然として見ていたが、

「雅ィッ!」

 怒りに震えて突き出た剣先を右手でへし折って投げ捨てた。

「明斎、それ以上藍を傷つけるのは許さん」

 明斎が振り返ると、雅が黄泉剣を消しながら言った。

「てめえ、いつの間に……!?」

 明斎は自分の剣を地面から引き抜いて正眼に構えた。雅はよろけながらフッと笑い、

「お前が何故俺が根の堅州国から戻れるのを正確に見抜けるのか考えてみた」

 明斎はイラついた顔で雅を睨む。雅は真顔になって続ける。

「根の堅州国から現世に戻る時、どうしても妖気が先に出てしまう。お前はそれを感知して先回りしていた。だから、妖気を封印して戻れば、お前には見抜けないと考えた」

「御託はそれだけか!? てめえはそこで自分の女が俺に犯されるのを見ていろ!」

 明斎は雅に黄泉戸喫を放った。

「く!」

 雅はそれをかわしながら、

「お前、自分が大きな過ちを侵した事に気づいていないようだな?」

「何!?」

 明斎は雅に接近しようとしたが、背後に広がる強力な光の波動を感じて振り返った。

「これは?」

 明斎は藍が立ち上がっているのを見た。

「何だと!?」

 明斎は頭が混乱していた。

(小娘は間違いなく気を失っていた。そんな簡単に意識を回復するちからがあるのか、宗家の人間は……?)

 昔から小野宗家に偏見と羨望を抱いて来た明斎にはそんなバカげた発想しか浮かばない。

「やはり知らないようだな?」

 雅は苦しそうな息遣いで言う。それを見て明斎が更にイラついた。

「何の事だ!?」

 明斎は顔をより険しくした。雅は片膝を着いてしまったが、

「姫巫女流の究極奥義である姫巫女二人合わせ身は、術者が意識を失う事で完成するんだ」

「何!?」

 明斎は光の波動を更に押し広げていく藍を見て唖然とした。

(これが本当の姫巫女流……。これこそが宗家の力なのか……?)

 明斎は生まれて初めて恐怖を感じた。自分の力ではどうにもならない存在があるのを嫌という程身に沁みていた。そのため、無意識のうちに後退あとずさり、藍から離れていた。

「……」

 唖然とする明斎の前で、藍の背後に倭の女王である卑弥呼と台与が姿を見せる。

『始めの女神を起こす事はならぬ』

 卑弥呼が言う。そして、台与が地面に落ちている姫巫女の剣に目を向けると、剣が宙を舞い、藍の右手に戻った。

「藍は宗家を背負って戦うには優し過ぎる。その藍の悲しいまでの優しさが姫巫女の力を押し留めているんだ。だから、藍が完全な依代よりしろになった時、姫巫女の力は開放される」

 雅は汗まみれの顔で明斎を見上げた。

「おのれェ!」

 それでも明斎は諦めていなかった。

「姫巫女流も黄泉路古神道も元を辿れば那美流古神道に行き着く! 故に那美流を修得したこの俺の方が強い!」

 明斎は剣を大上段から振り下ろした。剣先から何かが飛び出し、藍に向かう。

『はあ!』

 二人の姫巫女が気合と同時に姫巫女の剣を右薙ぎに払う。すると明斎の剣から飛び出したものが二つに割れてバシュウッと燃え尽きた。

「ふざけるなァッ! 俺の方が強い! 俺の方が上だ!」

 明斎は剣を放り出し、両手の指先から次々に黄泉戸喫を放出した。

「む?」

 雅は姫巫女の力とは違う強力な波動がそれを全て叩き落としてしまったのを見て仰天した。

(あれは……?)

 彼は第一分家の隠し部屋で見つけた書に書かれていた事を思い出した。

(姫巫女流の開祖である小野篁の力、か?)

 雅は自分の肩と頬を未だに蝕み続けている黄泉戸喫を弾き落としてしまう篁の力に驚嘆した。

(あの書を読むまで、何故小野篁が姫巫女流を創始したのかわからなかった。そして今、その力を見せられて更に篁の思いがわかったような気がする)

 明斎はまたしても黄泉戸喫を弾いた謎の力に苛立った。

「またその力か!? おのれェッ!」

 怒りが高まったのか、明斎の口と鼻の穴からまた異様な気が噴き出す。

「あれは……」

 雅はそれに気づいてハッとした。

(また禍津気を吐き出している……。奴はもう……)

 雅は明斎がすでに戻れないところまで行ってしまっているのを知った。

「ならば俺はもっと強くなる!」

 明斎はそう叫ぶと、懐から光と闇が混合した玉を取り出した。

「始めの女神よ、我に力を! 我は味方である! 我に力を!」

 明斎はその玉を高く掲げ、イザナミの墳墓の方を向いた。

(そんな事をしたところで、始めの女神は起きない。奴はやはり女神を起こせない)

 雅がホッとした時だった。

「何!?」

 墳墓の鳴動が先程のものより激しくなって来た。明らかに明斎の呼びかけに応じているようである。

「わははは! 女神が起きるぞ! 俺の勝ちだ、雅ィ!」

 明斎は目を見開き、口を大きく開いて大声で笑った。気が触れてしまったようである。

「バカな……。そんな事で女神が起きる事などあり得ない……」

 墳墓の鳴動に比例するかのように肩と頬の痛みが増しているのを感じながら、雅は笑い続ける明斎を見た。

『始めの女神は起こさせぬ!』

 卑弥呼と台与が動いた。藍を通じて剣を振るい、その剣撃を明斎にぶつける。

「ぐうおお!」

 剣撃が明斎に炸裂し、彼は前のめりに倒れかけたが、踏み止まった。

「女神よ、早く起きてくれ! この腐れ切った国を滅ぼすために!」

 明斎は玉を掲げ、叫んだ。鳴動がますます激しくなり、雅は立っていられなくなった。

「くそ……」

 雅は地面に両手を着き、イザナミの墳墓に目を向ける。

(起きてしまうのか、女神が……)

 卑弥呼と台与は次々に剣撃を繰り出し、明斎を攻め立てた。しかし明斎は倒れない。

『是非もなし』

 卑弥呼と台与は剣撃を放つのをやめ、藍を動かして明斎に近づいた。

(直接明斎を斬るつもりか?)

 雅はそれで明斎を止める事ができれば、と祈るような気持ちで見ていた。

『斬!』

 姫巫女の剣が明斎を一刀両断した。明斎は身体の真ん中から二つに分かれて両側に倒れた。

「やったか?」

 雅が呟いた。しかし、

『雅、ここから離れるのです。女神は起こされてしまいました』

 卑弥呼の声が聞こえた。

「え?」

 雅は斬り裂かれた明斎がまだ言葉を発しているのに気づいた。

「俺は貴女の気持ちがわかる。俺も同じだ……」

 明斎は二つに斬り裂かれても尚、女神に呼びかけていたのだ。

(何という執念だ……)

 雅は唖然としてしまった。

『雅。離れなさい!』

 台与の声が聞こえた。

「く!」

 地面の揺れが激しくて、雅は動く事ができないので、その場で根の堅州国に逃げ込んだ。卑弥呼と台与は藍の身体を飛翔させ、イザナミの墳墓から離れた。次の瞬間、イザナミの墳墓から凄まじい気が噴き出し、明斎の身体を吹き飛ばして粉微塵にしてしまった。雅は奥の宮から数十メートル離れた場所に現れ、明斎の最期を見た。

(奴は女神に受け入れられたのではない……。排除されたんだ。女神を怒らせただけなのか?)

 卑弥呼と台与は藍の意識に語りかけた。

『藍よ、起きなさい』

 その呼びかけに藍が目を開けた。自分が宙に浮いているので、藍はびっくりしていた。

『明斎が始めの女神を起こしてしまいました。女神が完全に目覚める前に押し返すのです』

 卑弥呼が言った。藍はギクッとして下に見えるイザナミの墳墓を見た。

「何、あの気は?」

『あれは禍津気です。女神が纏う光と闇を兼ね備えた気です』

 台与が答える。藍は態勢を整えながら、

「どうすればいいんですか?」

『まず貴女の持っている黄泉の玉を出しなさい。それこそ私達に残された最後の希望です』

 卑弥呼が言う。藍はライダースーツのポケットから黄泉の玉を取り出し、

「最後の希望?」

 そして東の空が次第に明るくなり始めて来た。

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