第十章 闇対闇

 夜空を亜音速に近いスピードで飛翔している藍は、雅の危機を感じていた。

(雅が危ない!)

 藍は究極奥義の姫巫女二人合わせ身を使い、更に速度を増す。

「明斎、雅をこれ以上傷つけるのは許さない!」

 藍の身体がその怒りに呼応するように強く輝いた。彼女の身体は結界に守られているので、飛翔速度が上がっても、身体に負担がかかる事はない。しかし、それほどの速度になっても、藍はじれったかった。雅が藍の到着までに明斎に殺されてしまうのではないかと悪い事ばかり考えてしまう。

『雅は殺されません。明斎は貴女を待っています』

 倭の二代目女王の台与が告げた。藍はびっくりした。

「私を待っているのですか?」

 彼女は台与に尋ねた。台与は頷き、

『あの者の狙いは姫巫女流の殲滅せんめつ。そして貴女です』

「え?」

 藍は今度はギクッとした。

『明斎は椿に思いを寄せていたのです。その願いが叶わぬのを逆恨みし、雅を追い詰め、雅の許嫁であった貴女をけがそうとしています』

 倭の初代女王の卑弥呼が言う。藍は眩暈めまいがしそうだった。

(何て小さい男なの、明斎……)

 藍は遥か前方を見据え、拳を握り締めて飛翔した。


 雅が右頬の痛みに膝を着いてしまったのを見て、明斎はニヤリとし、比婆山久米神社の奥の宮へと歩を進める。

「く……」

 左肩の激痛と右頬の激痛が相俟あいまって雅を攻め立てる。明斎を追いかけようと気力を振り絞るが、身体が動かない。

「ざまあねえな、雅。かつて、小野一門の頂点に一番近かったてめえがよ」

 明斎は雅を嘲笑い、速度を速めて「伊邪那美大神御神陵」と書かれた柱を目指す。

(くそ……。このままでは奴が……)

 最悪の結末が近づいているのを目にしながら、雅は身体を動かせない自分が情けなかった。

(藍……)

 明斎に立ち向かえるのは姫巫女流をきわめた藍しかいない。雅は一刻も早い藍の到着を願った。

「おお、感じるぜ。始めの女神が呼んでいる。早く出してくれってなあ!」

 明斎は狂喜して叫んだ。雅は地面に這いつくばってそれを聞いていたが、

(やはり奴は女神を呼び出した者の末路を知らないのか? 哀れな……)

 雅は第一分家の隠し部屋で見つけた書に書かれた事を思い出していた。

(女神は始めに声をかけし者を食らうとあった。明斎は食われる。そして……)

 そこまで考え、雅は気を失ってしまった。


 藍は雅の気が一瞬消えたような感じがしたので動揺していた。

「雅!」

 大声で叫び、自分の気持ちを先に雅に届けようと思ってしまうほど、藍の心は乱れていた。

『藍ちゃん、雅は大丈夫。心配しないで』

 そんな藍の心に誰かが語りかけて来た。藍はすぐにその声の主に思い当たった。

「椿さん?」

 京都分家の後継者であった小野椿の声だった。

『貴女は明斎を止める事だけを考えて。あいつが始めの女神を起こしてしまったら、もう誰にも止められなくなってしまうわ』

 椿の涼やかな声が藍の心に響く。

「はい、椿さん」

 藍は前に進む事だけを考え、飛翔した。


 京都では、仁斎と丞斎が収めたはずの黄泉の井戸の跡が揺らいでいるのを感じ、もう一度、注連縄を張り直していた。

「奴め、女神に近づいているな」

 仁斎が歯軋りして言うと、丞斎が、

「あの馬鹿者は女神を呼び出した者がどうなるのか知らんのだろう。かつて同じ事をした者がいた事も知るまい」

 仁斎は丞斎を見て、

「いくら明斎が捨て鉢になっていようとも、自分が女神の生け贄となるのを承知していれば、起こそうとはしない。奴はそこまでいかない限り、自分の愚かさを理解できまい」

 丞斎は頷いて、

「それを記した書を第一分家である島根分家が所有していた。令斎が強気になったのも、明斎が野心を抱いたのもそれを知っていたらからだ」

「第一分家を吸収した自分達が小野一門第二の地位を手に入れる。そんなどうでも良い事にとらわれおって……」

 仁斎は吐き捨てるように言った。

「あの時も同じだったのであろうな……。だからこそ、開祖である小野篁公は姫巫女流を創始し、那美流古神道を封じたのだろう」

 丞斎は注連縄に気を込め、強く結わえた。

「そこがまさしく皮肉なのだ。女神を起こそうとした者がいたからこそ、姫巫女流は生まれ、小野一門は作られたのだからな」

 仁斎も注連縄に気を込め、強く結わえて井戸の跡を封じる。

「藍にはつらい役目だな、仁斎」

 丞斎は目を細めて仁斎を見た。仁斎は夜空を見上げて、

「かも知れんが、藍が姫巫女流を窮められたのも、えにしの力だと思う。宗家に生まれた時点でそう定められていたのだ。受け入れるしかない」

 丞斎は仁斎に釣られるように夜空を見上げた。


 時を同じくして、東京の小野宗家の黄泉の井戸も鳴動していた。

「更に注連縄を張れ」

 遠野泉進が指示し、裕貴と御幸が注連縄を井戸に渡す。

「臨兵闘者皆陣列前行!」

 北畠大吾が早九字を切り、吹き上がろうとする妖気を押さえ込んだ。

「力を貸せ、竜の子」

 泉進が唖然としている剣志郎に声をかけた。

「え、あ、はい」

 剣志郎は何をすればいいのかわからなかったが、取り敢えず返事をした。すると彼の身体から竜の気が噴き出し、井戸から湧き上がろうとしている妖気を弾き返してしまった。

「凄いな、あんた。藍ちゃんが言ってたの、大袈裟じゃなかったんだ」

 裕貴が目を見開いて言うと、剣志郎はギクッとしてしまう。

(あ、藍ちゃん?)

 親戚同士なら、昔から知っているのであるから、ちゃん付けで呼ぶのは普通だろうが、誤解している剣志郎には、裕貴の一言一言が引っかかってしまうのだ。

「そうだ、凄いんだぞ、竜神は。お前より藍さんに相応しい」

 そこに大吾が余計な一言を言う。

「何の事だ?」

 泉進が小声で御幸に尋ねたが、

「今はそれどころじゃないでしょ、泉進様」

 御幸にたしなめられ、諦めた。

「はあ?」

 裕貴は大吾が何を言いたいのかわからず、キョトンとしてしまった。大吾はそれを曲解したらしく、

「竜神、裕貴の奴、お前に気圧けおされてるぞ」

と剣志郎に耳打ちした。

「はあ?」

 剣志郎も一人で暴走している大吾の思惑がわからず、キョトンとしてしまった。全ての状況を把握している御幸はクスッと笑った。

(なるほど、あの人、裕貴君が藍姉にまだ気があると思ってるんだ)

 御幸は何となく勝者の気分で分析をしていた。

「なあ、あいつ、何言ってるんだ?」

 裕貴がそんな御幸に小声で尋ねる。御幸は肩を竦めて、

「さあね」

とぼけてしまった。


 明斎は奥の宮の更に裏手にあるイザナミの墓と言われている古墳状の地面の前に来ていた。

「すげえな、こいつは。ここまで来ただけで、震えるくらい凄まじい気が感じられるぜ」

 明斎は目を血走らせ、高笑いする。そして振り向き、

「早く来い、宗家の小娘。始めの女神の最初の生け贄はお前だ。その前に俺がいただかせてもらうけどよ」

 明斎は下卑げびた笑みを浮かべた。


 雅は気を失って、意識の深い場で椿と邂逅かいこうしていた。

「久しぶりね、雅」

 巫女の服を着た椿は光に包まれて雅の前に現れた。雅も意識の具現化であるから、肩にも頬にも傷はない。

「椿……」

 状況が理解できていない雅は唖然としている。椿は微笑んで、

「貴方はまだ生きているわ、雅。心配しないで」

「そうなのか?」

 雅はいぶかしそうに椿を見る。椿は悲しそうな顔になり、

「子供の頃は本当に好き合っていたのに、一門の思惑のせいで引き離されて、それからいろいろ誤解があって、貴方にはまだ憎まれたままなのね」

 そう言われて、雅はハッとした。自分が椿を疑っているのに気づいたのだ。

「すまん……」

 椿が命を落としてから、雅はまさに彼女に対する懺悔の旅をしていたのを思い出した。

「憎んでなどいない。俺のせいで、お前は……」

 雅が言いかけると、椿はまた微笑んで、

「それは違うわ、雅。私が命を落としたのは、貴方のせいなんかじゃない。全部自分のせいよ」

「椿……」

 雅はそれだけ言うと言葉に詰まってしまった。

「今は明斎を止めるのが最優先。藍ちゃんがもうすぐここに来るわ」

「藍、が?」

 雅は鸚鵡おうむ返しに尋ねた。椿はゆっくり頷き、

「明斎を止められるのは藍ちゃんしかいない。そして藍ちゃんを助けてあげられるのは、貴方しかいないわ、雅」

 その言葉に雅はビクンとした。

「貴方は私への気兼ねから、藍ちゃんへの気持ちを押し殺しているようだけど、それは私にとっても藍ちゃんにとっても失礼よ」

 椿はやや非難めいた口調で言った。雅はまたビクンとした。

「貴方は今は藍ちゃんが好きなんでしょう?」

 椿の単刀直入な問いかけに雅はまた言葉が出て来なくなる。

「どうなの、雅?」

 返答をしない雅を椿が促した。雅は椿を見て、

「仮にそうだとしても、俺は藍に近づく事すらできない」

「相変わらずぼかした言い方しかしないのね、貴方は」

 椿はクスッと笑って言った。

「藍ちゃんはずっと貴方の返事を待っているのよ、雅。いつまで待たせるの?」

 雅は目を細めて椿を見た。

「藍は待つ必要はない。藍には別に思ってくれる男がいる」

「竜神剣志郎、ね?」

 椿の顔から笑みが消えた。

「それが貴方の結論なの、雅?」

 椿は真剣な表情で念を押すように尋ねた。雅はゆっくり頷き、

「そうだ」

 椿はまた微笑んだ。

「わかったわ。でも、藍ちゃんを助けてあげてね。それは貴方にしかできない事だから」

 椿はそう言うとスウッと消えていく。

「待ってくれ、それはどういう事なんだ? どうして俺でないと藍を助けられないんだ?」

 雅の問いかけに椿は答える事なく、消えてしまった。


「は!」

 雅は意識が回復し、目を開いた。彼は地面にうつ伏せに倒れたままだった。前を見ると、すでに明斎の姿は見えなくなっていた。

「くそ……」

 雅は激痛に堪えながら、身体を起こした。

「雅!」

 そこへ藍が舞い降りて来た。雅は第一分家の邸の中で会った時より更に眩しくなっている藍に目を細め、

「俺はいい。明斎は始めの女神を起こしに行った。早くしないと取り返しがつかなくなる」

「でも……」

 それでも雅のふらついている身体が心配な藍は、動こうとしない。

「早くしろ、藍! この国が滅ぶかどうかの瀬戸際なんだぞ!」

 雅が怒鳴ったので、藍は仰天して、

「わ、わかった。ここにいてね」

と言うと、奥の宮へと走って行った。


「間に合ったか」

 仁斎は藍が比婆山に辿り着いたのを感じていた。

「しかし、間に合っただけではどうしようもない」

 仁斎は眉間に皺を寄せ、比婆山の方の空を睨んだ。

「信じるしかあるまい、藍を」

 丞斎が言った。仁斎はそれに黙って頷いた。


 明斎は藍が走って来るのをニヤニヤして見ていた。

「やっと来たか、小娘。待ちかねたぜ」

 明斎の言葉に藍はキッとして彼を睨み、

「貴方の野望は阻止する!」

と叫ぶと、右手と左手にそれぞれ十拳剣と草薙剣を出した。

「神剣合わせ身!」

 藍は剣を合わせると同時に二人の倭の女王も合わせる。それぞれの剣に女王の気が宿り、剣が合一する。

「なるほど、それが姫巫女流の最強の剣か?」

 明斎は嬉しそうに言いながら藍に近づく。

「姫巫女の剣!」

 藍は合一して完成した剣を正眼に構えた。

「黄泉戸喫!」

 明斎は勝ち誇った顔で黒い不定形物を指先から放った。

(こいつで動けなくして、あのつなぎを引っぺがして気が狂うまで犯してやる)

 よこしまな気を噴き出し、明斎は更に藍に接近したが、

「何!?」

 藍に向けて放った黄泉戸喫が藍の直前で弾かれ、消滅してしまったのだ。

「何だと!? どういう事だ!? 何をした、小娘!?」

 明斎が怒り狂って怒鳴り散らしたが、藍にも何が起こったのかわからなかった。

(今の、どういう事なの?)

 彼女は混乱しかけていた。

「てめえ、何を持ってやがる!? てめえが持っているものが黄泉戸喫を弾いたんだよ。それを出せ!」

 明斎はますます激怒し、叫んだ。

(今のは姫巫女流の力じゃねえ……。もしそうなら、黄泉戸喫は弾けなかったはずだ。何だ? 小娘、何を手に入れて来たんだ?)

 明斎は藍に得体の知れない力が備わったのに気づき、眉をひそめた。

(一体どういう事なのかしら?)

 藍も混乱していたが、ある事に思い至る。

(もしかして……)

 黄泉比良坂の光の結界の前と今とで一つだけ違う事がある。

(お祖父ちゃんに渡された黄泉の玉?)

 藍はライダースーツのポケットに入れた黄泉の玉の力だと直感した。

(でも、闇の力が闇の力を弾くの? どういう事なのかしら?)

 状況が把握できないので藍は動けずにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る