第九章 女神の御陵

 ほとんど光のない山の中で、雅と明斎は睨み合っていた。

「よこすつもりがないなら奪い取るまでだ!」

 明斎は光と闇が混合する剣を上段に構えると雅に斬りかかった。

(あの剣先は後ろに下がったのではかわし切れない)

 雅は黄泉剣で明斎の剣を受けた。

「無駄だよ、雅!」

 目を血走らせて明斎が嘲笑する。彼の言葉通り、雅の剣は明斎の剣と接触した部分からドロドロと解け始めた。

「黄泉路古神道の源流である那美流古神道の剣にそんな剣が通用すると思ったのか?」

 明斎は勝ち誇って叫んだ。しかし雅は眉一つ動かさずに、

「いや」

と応じると、スッと身体を横に動かし、溶けていく剣を捨て、明斎の顔面を右の拳で殴りつけた。

「ぐはあ!」

 明斎は雅の思わぬ攻撃に防御もできず、そのまま後ろに倒れた。

「お前がすでに人ではないのはわかっている。ならば人として相手はしない」

 雅は起き上がる明斎に無表情に言った。明斎は雅を睨みつけて、

「バカにしやがって……。てめえはいつだってそうだったよな」

 殴られた右頬を撫でながら明斎が毒づいたので、雅は、

「まだ痛みは感じるのか、化け物?」

と更に挑発した。

「やかましい!」

 明斎は雅に右手の人差し指を向けた。

(来るか?)

 雅は身構え、明斎の次の一手を待つ。

「黄泉戸喫!」

 明斎の指先から黒い不定形な物体が飛び出した。

「黄泉醜女!」

 雅も右手の指先から黄泉の魔物を放った。双方の放ったものは途中でぶつかり合い、黄泉醜女が溶かされ、黄泉戸喫がそのままの勢いで雅に襲いかかる。

「く!」

 雅はすんでのところでそれをかわし、もう一度黄泉剣を出した。黄泉戸喫は地面に落ち、土をじわじわと溶かしていく。雅はそれを見てから改めて明斎を見た。

「最初にてめえに見舞ったのとは違うぜ、雅。いつまで避けられるかな?」

 明斎がニヤリとして言うと、

「強がりを言うな、明斎。その術は立て続けに使えないのはわかっている。と言うより、お前はまだ那美流古神道を修得してはいない」

 雅は剣を正眼に構えて言った。

「黙れ! いつまでも昔のような俺だと思うなよ!」

 明斎は口から黒い妖気のようなものを吐きながら怒鳴った。

(あれは妖気なのか? それとも、隠し部屋で見つけた書に書かれていた那美流の禍津まがつ気なのか?)

 雅は書の最後の方に記されていた一文を思い出していた。

(那美流に染まりし者、その口より禍々しき気を漏らす、か。もしや……?)

 雅が見つけた書にも、どうすると那美流古神道を修得できるのかは書かれていなかった。

(明斎は何かを見つけた。そしてそれは仁斎と丞斎のジイさんも知っているものだった。それが『玉手箱』だというのか?)

「どうした? もう仕掛けて来ないのか、雅?」

 明斎が喋るたびに口から漏れる黒い気の量が増えていく。雅は眉をひそめた。

(どうしたんだ? 急に奴の周囲に妙な気が漂い始めた……)

 雅は一歩二歩と後ずさった。

「一応礼を言っておこうか、雅」

 明斎はニヤリとして奇妙な事を言った。彼もその黒い気に気づいたようだ。

「何だと?」

 雅はキッとして明斎を睨みつけた。明斎はニヤついたままで、

「俺はどうしても始めの女神の力を手に入れられず、途方に暮れていた。そんな時お前が動いた」

 雅は明斎が何を言いたいのかわからない。

「合点が行かない顔だな?」

 明斎は愉快そうに言う。

「勿体ぶらずにはっきり言え」

 雅は剣を下段に構え直して言った。

「俺は思い違いをしていた事に気づいたんだよ。始めの女神を起こすのは、てっきり黄泉比良坂だと思っていた。『玉手箱』を見つけたのも、あそこだったからな」

 明斎は身体を震わせて笑いながら言った。

「……」

 雅は明斎が「玉手箱」を見つけてしまったのを確信した。

「だが、違った。女神はここに眠っている。こここそ始めの女神のおわす場なんだよ」

 明斎はそこまで言うとゲラゲラと笑い出した。雅はようやく明斎の言いたい事がわかった。

(俺は奴を導いてしまったというのか……?)

 雅と明斎がいるのは、イザナミの神陵があると言われている安来市やすぎし伯太町はくたちょう横屋よこやにある比婆山ひばやまであった。

「嫌味じゃなく、本当に感謝するぜ、雅。てめえのおかげでここに来られたんだからよお!」

 明斎は懐から黒と白が融合する玉を取り出した。

「ここでこそ、この玉も真価を発揮するってもんだ」

 明斎は目を見開いて高笑いする。

「さあ、女神よ、俺に力を! この世を滅ぼす力を!」

 明斎は剣を放り出して玉を両手で高々と掲げた。するとそれに呼応するかのようにそこから少し離れたところにある比婆山久米神社の奥の宮の裏手にある「伊邪那美大神御神陵」と書かれた柱が建てられている奥にある古墳状の地面が揺れ始めた。

「そんな事はさせない!」

 雅はまた痛み出した左肩に顔を歪めながら、明斎に近づこうとした。

「はああ!」

 その途端、辺りに漂っていた気が急速に集まり、明斎の鼻と口に入って行った。

「おお、力がみなぎってくるのがわかるぜ、雅。てめえなんか、虫けらのように殺せる」

 明斎の頑健そうな身体が更に大きくなる。腕と脚が太くなって筋肉が盛り上がり、胸板が厚くなって衣冠束帯が破れ、肌が露出した。角刈りだった髪が伸びて逆立ち、口は裂けたように広がり、目が吊り上がった。雅は明斎の変貌を唖然として見ていた。

(それが、女神の力なのか……?)

 明斎の身体からまるで陽炎のように立ち上る気を感じ、雅はたじろいでしまった。

「一瞬でてめえを殺せるのがわかるが、それじゃ面白くねえよな」

 明斎は嬉しそうに雅を見る。

「ぐはっ!」

 明斎が右手をスッと横に振ったかと思った瞬間、雅は遥か後方に吹き飛ばされ、太い木の幹に叩きつけられていた。

「ぐ……」

 雅は口から血を吐きながら、幹をずり落ち、地面に倒れ伏してしまった。

「その程度で死ぬなよ、雅。てめえにはまだ死なれちゃ困るんだよ」

 明斎は起き上がりかけた雅を足蹴にして言った。

「ぐう……」

 顔を踏みつけられ、雅は呻いた。

「てめえは最後に殺す事にしたよ。ジジイ共を殺して、宗家の小娘を殺して……」

 そこまで言うと、明斎はニヤリとし、

「いや、小娘は犯してから殺すか」

 その言葉に雅が反応した。

「化け物め!」

 明斎は雅の腹を蹴り、

「うるせえよ。俺から椿を奪ったてめえにああだこうだ言われたくねえよ」

 雅は痛みに顔を歪めながらも明斎を睨んだ。

「そう言えば、椿はどうだったんだ? 唇は柔らかかったか? 胸はでかかったか? 揉み甲斐があったろ?」

 明斎の下卑だ笑い顔に堪えられなくなった雅は、スウッと根の堅州国に消えた。

「くそ、逃げたか」

 明斎は舌打ちした。

(戻って来たら、動けなくなる程度に叩きのめしてやる)

 明斎はニヤリとした。


 雅は根の堅州国で思案に暮れていた。

(どうすればいい? 現世に戻った瞬間、奴に……)

 明斎は雅が戻る場所をほぼ正確に見抜く。一度はフェイント作戦を成功させたが、次は難しいと考えていた。

(それにしても……)

 明斎の逆恨みに雅はうんざりしていた。雅は椿と恋愛関係になった事はないし、勿論キスすらしていない。しかし、明斎はそうは思っていないのだ。そして、考えるうちにある事に気づいた。

(奴が俺への憎しみを強めたのとほぼ同時に禍津気が現れたような気がする。憎しみの感情が女神の力を呼んだのか?)

 そして、隠し部屋にあった書に書かれていた事を思い出す。

(だが、『力を以て事収むればついなし』と書かれていた。力任せはダメだという事なのか……)

 隠し部屋の書を手に入れれば解決のヒントを得られると思っていたが、謎は深まるばかりである。

「どうすればいいんだ……?」

 雅は進退窮まる思いがした。


「あ!」

 藍は京都小野家の裏庭にある黄泉の井戸の跡地を注連縄で収め直した時、雅に何か起こった事を感じた。

「何だ、今の凍てつくような気は?」

 丞斎が言った。仁斎は西の方角を見上げて、

「島根でまた何かあったな」

と言うと、藍を見た。藍はビクッとした。

「仁斎、これはまさか……?」

 丞斎は焦りの色を見せて仁斎を見た。仁斎も眉間に皺を寄せ、

「多分、明斎が比婆山に行ってしまったのだな。もはや一刻の猶予もない」

 彼は懐から黄泉の玉を取り出した。藍はそれを見て、

「何、それ?」

「黄泉の玉だ。姫巫女流から分けた闇の力が封じられている」

 仁斎の言葉に藍はギョッとする。

「闇の力?」

「但し、小野篁公が封じた闇故、妖気はない。よって、お前の別の力となるはずだ」

 仁斎に黄泉の玉を差し出され、藍は後退ってしまった。

「そんな、お祖父ちゃん、何を言ってるのかわかってるの? 姫巫女流の使い手が闇の力を使えば、もう二度と姫巫女流は使えなくなるんだよ」

 藍は受け取るのを拒否するかのように仁斎から離れる。すると丞斎が、

「『始めの女神を起こす者ある時、流派を呈して止めよ』と篁公がお言葉を残されている。それほどの事が起ころうとしているのだ、藍」

と諭すように言った。藍は丞斎を見て、

「そんな……」

 その後の言葉が出て来ない。仁斎は悲しそうな顔をしている。藍はそれを見て、事の重大さを感じた。

「わかった、お祖父ちゃん。預かるね」

 藍は黄泉の玉を受け取ると、ライダースーツのポケットに入れた。

「でも、これをいつ使うのかは私に任せて」

 藍は強い眼差しで仁斎を見て告げる。仁斎はゆっくりと頷き、

「わかった。お前に任せる。頼んだぞ、藍」

「うん」

 藍は丞斎に目を向けて頷いた。丞斎は頷いて、

「儂との約束を果たしてくれよ、藍」

「え?」

 突然そう言われ、藍はキョトンとしてしまう。仁斎も目を見開いて丞斎を見た。

「双子を産んで、一人を儂の養子にする約束だ」

 丞斎は優しく微笑んで言った。藍も微笑み返して、

「はい、丞斎様」

と応じてから飛翔した。


 比婆山で起こった異変は、米子の善斎と道斎も感じていた。

「さっきのあの背筋が凍りそうな感覚は何でしょうか、善斎様?」

 西の夜空を見上げて道斎が尋ねた。善斎も見上げながら、

「わからん。今までに一度も感じた事がない禍々しさだったが……」

と眉をひそめた。


 そしてまた、東京にいる剣志郎達もそれを感じていた。

「また何か起こったらしいな」

 黄泉の井戸を封じ直し終えた遠野泉進が呟く。

「何があったんでしょうか?」

 藍の身が心配な剣志郎が尋ねた。すると泉進は、

「わからん。今まで感じた事がないようなえげつない気だったからな」

「確かに……」

 御幸は身震いして同意した。

「吉凶占いが当たったな」

 北畠大吾がボソリと言った。

「藍ちゃん、大丈夫だろうか?」

 裕貴は純粋に親戚である藍を心配して言ったのだが、大吾に妙な先入観を植え付けられている剣志郎はビクッとしてしまった。

(この人、ホント楽しいな)

 剣志郎の反応を見て、御幸はクスッと笑った。


 明斎は雅がなかなか戻って来ないので、痺れを切らせていた。

「雅め、本当に逃げちまったのかよ」

 明斎は苛立ちながら歩き出した。

「ならば事を進めるまでだ」

 彼は山を登り、久米神社の奥の宮を目指した。

「女神をお起こし申そうか」

 明斎はニヤリとして大股で歩いた。その時だった。

「ぐああ!」

 剣がいきなり地面から飛び出し、明斎の左脚を斬り裂いた。明斎は血のほとんどを流出してしまっているので、切断された箇所からの出血はなかったが、片脚を失った明斎はそのまま前のめりに倒れてしまった。

「てめえ!」

 地面を這いずるようにして方向転換し、明斎は雅を睨んだ。雅は明斎の足下から現世に戻り、奇襲をかけたのだ。

「お前に女神は起こさせない。俺への恨みは俺にぶつけて来い、明斎」

 雅は無表情に明斎を見下ろして言った。

「うるせえよ、雅! 俺はてめえを苦しめるためにこの日本を滅ぼすんだ! それにこの程度で俺を止められたと思うなよ!」

 明斎は雄叫びを上げた。すると斬り落とされた脚がまるで糸でもつけられたかのように地面を動き、元に戻ってしまった。

「何だと!?」

 雅はあまりの事に唖然としてしまった。明斎はゆっくりと立ち上がり、

「俺を止められる者はいない。日本は今日で終わるのさ!」

 明斎は奥の宮に向かって再び歩き出した。

「行かせない!」

 雅が追いかけようとすると、

「黄泉戸喫!」

 明斎はまた黒い不定形物を放った。

「く!」

 雅は何とかそれをかわしたが、顔を掠められてしまった。小さく裂かれた皮膚が腐り始めた。

「うう……」

 そのあまりの激痛に雅は膝を着いてしまった。

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