第六章 雅の思い
闇の中で殺気を放ち雅を睨む影は三つあった。影達はその手に刃渡り三十センチはある大きなナイフを持っていた。十分殺傷能力のあるものだ。間違いなく雅を殺すつもりである。
「お前らが何人襲いかかって来ようと、俺は殺せない。今なら見逃してやるぞ」
雅が言うと、
「笑わせるな。手負いのお前など、我らの前では子供と同じ。一瞬で
影のリーダーらしき男が言い返す。三人は雅を取り囲むように動いた。
「わかった。ならば遠慮はしない」
雅は漆黒の剣を左手に持ち替え、右手を影達に突き出した。
「黄泉醜女!」
雅の五本の指からそれぞれ黄泉の魔物が飛び出し、影達に襲いかかった。その異形に影達は仰天してしまった。トリックでもCGでもなく、顔が半分腐った化け物が自分達に向かって飛翔して来るのだ。
「な、何だ、あれは!?」
雅の思った通りだった。影達は殺しのプロのようだが、雅が何者なのかも知らないまま、明斎の指示でここに現れたのだ。
(哀れな……)
雅は黄泉醜女に取り憑かれて身体を溶かされていく影達を見た。
「ぐああ!」
影達は絶叫しながら地面に這いつくばり、のた打ち回り、動かなくなった。雅はそれを見届けると、目的の場所を目指して歩き出した。
(俺の記憶が確かなら、邸には隠し部屋がある。そこに島根の恐ろしきものについて書かれた書物があるはずだ)
雅は暗闇の中を障害物を避けながら邸の奥へと進んだ。
一方藍は、明斎がいる光の結界の上空に到着していた。
「どこ?」
彼女は下降しながら周囲を見渡した。すると林の一角が強く光り輝いているのを見つけた。
「あれね!」
藍は急降下し、明斎に接近した。
「来たか、小娘」
明斎も藍の接近を感知し、結界の中から出て来た。彼は右手に光と闇が融合した拳大の玉を持っている。
「何、あれ?」
藍は明斎が持っている異様な気を放つ玉に眉をひそめて着地した。
「早かったな、小娘?」
明斎はニヤリとして藍を見る。藍は剣を正眼に構えて明斎を睨みつけ、
「何を企んでいるの、貴方は?」
明斎は藍の問いかけを聞いて大笑いし始めた。藍はその反応にムッとして、
「何がおかしいの!?」
藍の怒鳴り声が辺りに響くくらいそこは静寂に包まれていた。明斎は身体を揺らせて笑っていたが、
「これが笑わずにいられるか? そんな事を尋ねられて、俺が素直に話す訳もないし、それがわからないほどお前もバカではあるまい?」
明斎の指摘に藍はグッと詰まった。正論だからだ。
(私、そんな間抜けな事を訊いてしまったの?)
恥ずかしさで顔が火照ってきてしまう。すると明斎は藍を見て、
「まあいい。教えてやるよ。俺が考えているのはこの国の滅亡だ」
「何ですって!?」
藍は仰天してしまった。
「どういう意味!?」
藍は一歩踏み出して怒鳴った。明斎はニヤリとして、
「この国の姿を見て、何も感じないのか、お前は?」
「どんな事を?」
藍は剣を下段に構え直して尋ねる。明斎は右手の玉を見つめて、
「益体もない政治家、利益最優先で国民の安全など考えもしない大企業、我欲ばかり追及する大人達。自分さえ良ければ他人がどうなろうと気にも留めない連中ばかりだ」
藍は明斎の言葉に息を呑んだ。
「こんな国は一度滅んだ方がいい。その方が後の世にとってもいいんだよ」
明斎の言葉に反応するかのように右手の玉が闇と光をクルクルとうねらせて浮かび上がった。
「それは貴方がそう思うだけでしょう!? それが正しい物の見方だなんて思えないわ!」
藍は明斎の話に飲み込まれるのを跳ね除けるために言い返した。
「果たしてそうかな?」
明斎は藍をバカにするような目つきと口調になった。藍はカチンと来て、
「確かに貴方の言うような人間も日本にはいる。でもそれが全てじゃないでしょう? 貴方の考え方はあまりに視野が狭いわ」
「なるほど、さすが日本史の先生だ。言う事が理屈っぽくて気分が悪くなる」
明斎の目つきが鋭くなった。藍は自分の仕事の事を笑われた気がして更に怒りを募らせる。
「俺にとって、今の日本がどんな状態で、国民が何を考えて生きているのかなんてどうでもいい事さ。こんな国は滅びればいい。それが結論だ」
明斎は浮遊している玉を両手で覆うようにした。すると玉はそれに呼応するかのように次第に大きくなり始めた。
「何!?」
藍は玉の異変に気づき、再び剣を正眼に構え直した。
『あの者から離れなさい』
卑弥呼が囁いた。藍はハッとして飛び退いた。
「雅に贈ったのはまだ緩いものだ。だが、確実に奴の身体を蝕(むしば)んでいる。しかし、お前に贈るのは、もう一段階上の黄泉戸喫だ」
藍はその言葉身じろいだ。彼女は日本史の教諭だ。古事記や日本書紀は一通り目を通しているから、黄泉戸喫がどういう意味なのかはわかる。
(黄泉戸喫とは黄泉の国で煮炊きしたものを食べてしまう事……。さっき雅の身体溶かしていたのがそれだというの?)
藍は姫巫女の剣で雅の身体に取り憑いていた黒い不定形物を排除したつもりだった。
(雅……)
未だにそれが雅の身体を苦しめているのであれば、ここで明斎と押し問答している時間が惜しい。藍は歯噛みした。
『来る! 気を集中しなさい!』
台与が藍に叫んだ、藍は思索を破られ、明斎を見た。
「黄泉戸喫」
明斎は憎々しい笑みを浮かべながら、静かに言った。すると光と闇が融合した玉が更に一回り大きくなり、そこから黒い物体が飛び出した。
『斬りなさい!』
卑弥呼が叫ぶ。藍はそれに応じて剣を振り下ろした剣先から光の筋が延び、黒い物体に突き刺さった。
「無駄だ、古の姫巫女達よ。それは始めの女神のお食事だ」
明斎には二人の女王の声が聞こえているらしく、ニヤリとしてそう言った。雅に取り憑いていた不定形物は剣で斬れたのであるが、今放たれた黒い物体は剣が放つ光が当たっても止まらず、藍に向かって来た。
「きゃっ!」
藍はすんでのところでそれをかわし、地面を転がった。黒い物体は藍の後方にあった木に当たり、幹を溶かして倒してしまった。しかもそれだけでは終わらず、黒い物体は木を全て溶かすと、更にはその下の土まで腐蝕させ始めた。
「な、何?」
藍はそれを見て思わず身震いした。
(黄泉路古神道に似ているけど、全然違う……。一体あの男は……?)
藍は悔しそうに明斎を見ながら立ち上がる。
『退くのです。今はあの者には勝てない』
卑弥呼の声に藍は驚いて剣を下ろしてしまった。
「退く?」
『そうです。今の貴女には勝ち目がありません』
台与が続けて言った。
「どうした? 逃げる算段をしているのか、小娘?」
明斎が挑発して来た。
「逃げたりしたら、あいつが……」
藍は明斎がこの辺りを溶かし尽くしてしまうのではないかと危惧したのだが、
『まだそこまでの力は得ていない。手遅れにならないうちに退くのです』
卑弥呼が言う。藍は悔しさで身体が震えたが、土も腐らせてしまう黒い物体になす術がないのは紛れもない事実なのだ。
「わかりました」
藍は剣を消し、柏手を打つと飛翔した。
「逃げるのか、宗家の小娘? 姫巫女流はその程度という事か!?」
明斎が更に挑発めいた事を叫んだが、藍は一切応じずに飛び去った。
「さすがに姫巫女がついているだけの事はある……。血気に逸って突っ込んで来るかと思ったが」
明斎はニヤリとして、玉を元の大きさに戻した。
(それにこの術を長く使えないのを見抜かれた……。もっと力をつけねえと、使いこなせねえ)
明斎は肩で息をしながら、光の結界の中に戻った。
雅は邸の中で蝋燭を見つけ、一番奥にある部屋の前に立っていた。
(この部屋の壁の向こうにあるはずだ。明斎が手下を使って来たという事は、ここにあるものを見つけられなかったという事。ならばまだ勝ち目はある)
雅は意を決して扉を開き、中に入った。そこは姫巫女流の祭壇が保管されていた部屋だったが、第一分家であった島根分家が取り潰された時、祭具一式は鳥取分家に運ばれた。だから部屋の中には何もない。
(どうやら気づかれていないようだ)
雅は奥の壁を蝋燭で照らし、人が触った様子がないのを確認してホッとした。
「この奥に……」
彼はグッと壁を押した。すると抵抗なくずれて行き、その向こうに石の階段が現れた。
(昔の記憶は誤りではなかったな)
雅はその階段を降りて行ったのを思い出した。そして行き着いた先で父親から島根の恐ろしきものについて聞かされたのも思い出した。そして同時にその頃遊んだ京都小野家の椿の事も思い出してしまう。
(椿……)
分家同士のしがらみや、宗家と旧宗家である京都分家の確執など知らない子供である雅と椿は家が遠いにも関わらず、よく遊んでいた。
(家同士の
椿の事を思い出すのは辛い雅だったが、島根にいた頃の椿の記憶は子供で、自分も子供なので、思ったより辛くない。
『私、雅のお嫁さんになる』
椿は事あるごとにそう言っていたのを覚えている。雅も椿が好きだったが、照れ臭くて言えなかったのも思い出した。
そして、雅が十五歳、椿が十三歳の時。思春期を迎え、以前のようにじゃれ合って遊ぶ事ができなくなった二人は、互いに相手を意識していた。
(まさにそんな時だったな)
雅は石の階段をゆっくり下りながら思った。
まさにその時、雅の両親が邪法である黄泉路古神道を修得しようとしていると嫌疑をかけられたのだ。雅には何が何だかわからなかったが、両親は何故か身に覚えのない事なのに否定せず、一門会議の結論である追放を受け入れ、島根を去った。ついて行こうとした雅を宗家の当主である仁斎が引き止め、宗家に養子として迎えると言って来た。
「宗家に男子なき時は第一分家から養子を取るのが我が一門の昔よりの習わし。我が孫の藍には男の兄弟がおらん。よってお前を藍の許婚とする」
もし、藍に弟ができていたら、明治初期と同じく、藍が第一分家に嫁ぐ事になっていたのだという。
(その話を聞かされた時は随分と理不尽だと思った)
雅は苦笑いした。しかし、宗家に行き、実際に藍に会ってみて考えが少し変わった。
(藍はあまりにも純粋だった。どこでどう聞いたのか、俺の事で泣いてくれた)
雅は藍の許婚として生きる決心をした。椿との事は、二人がどんなに足掻いても叶わないものだったのだ。椿の祖父である丞斎は宗家と第一分家を憎んでいて、たとえ藍の存在がなくても、雅と椿の結婚を認めなかったろう。
雅は椿に別れの言葉も告げられないまま、島根を去り、東京へと行った。その後、連絡をとっても丞斎が取り次がせず、雅は椿と話せないまま、月日は流れた。
(そして今度は俺が宗家を出る事になった)
雅は藍達が仕出かした黄泉の井戸の一件で、仁斎に問い質され、否定する事なく宗家を去った。彼はかつて幕末に宗家を滅ぼそうとした小野源斎が再び動き出し、それに
(親父とお袋は黄泉路古神道を調べ上げるために敢えて嫌疑を晴らさずに一門を離れ、源斎の元に行った。そしてすでに源斎の右腕的存在だった舞バアさんに真意を見抜かれ、親父とお袋は殺された)
舞に疑われているのを知った両親が、雅が通う中学校に手紙を送っていた。雅はその手紙で経緯を知り、黄泉路古神道を滅ぼすため、舞と源斎に復讐するために自ら闇に堕ちたのだった。
(そして、全ての始まりの根源を探すための手がかりがここにある)
雅は階段を降り切ると、目の前にある大きな木の扉を押し開いた。中からかび臭い空気が漏れ出て来る。
「二十年ぶりくらいか……」
雅は蝋燭の灯をかざすと中へ入った。そこは石組みの小さな部屋だった。縦横三メートルほどしかない。雅は奥の壁の前にある祭壇のような木組みの上に置かれている冊子に明かりを近づけた。
「あった……」
蝋燭の台を木組みの端に置き、雅は冊子を手に取った。何百年もの間、第一分家に受け継がれて来たと恩われるそれは、力を入れるとバラバラになってしまいそうなくらいからからに乾いていた。
「やはりあそこか……」
雅はそこに書き留められている書を読み、確信を得た。
(明斎があの場にいたのもそのためか? 恐らく奴は始めの女神を呼び出す場所を黄泉比良坂だと思ったのだろうな)
明斎が始めの女神のいる場所を知らないらしいので、雅は僅かではあるがホッとした。
(奴が辿り着いたのは黄泉比良坂までだ。まだ勝てる。奴が始めの女神を呼び出す前に決着をつければ……)
雅はその書を懐に入れ、小部屋を出た。
「ぐ……」
その雅の左肩を溶かし続けている黒い物体がまた更に肉を焦がすような臭気を出し、雅は階段から足を踏み外しそうになった。
その頃藍は、二人の女王の助言で雅の元に向かっていた。
(雅……)
近づく事ができないのが悲しかったが、藍はそれでも雅と話がしたかった。彼の本当の気持ちを知りたくて。
(このままじゃ、私、どうしたらいいのかわからないから……)
藍は同僚の竜神剣志郎に告白され、返事を保留にしたままなのだ。剣志郎との事も雅と話さないままでは結論が出せないと思っている。
「雅……」
藍は理由はわからないが酷く不安になっていた。
「何、だと……?」
石の階段を上がり、壁を抜けたところで、雅は信じられない光景を目にした。
「ご苦労だった、小野雅。さあ、出してもらおうか、滅亡への扉がある場所が書かれた書を」
そこにいたのは先ほど雅が黄泉醜女で溶かして殺したはずの影達三人だった。人違いでない証拠に三人とも顔や身体のあちこちが腐り、骨が見えたりしていた。出血も止まっており、明らかに生命活動を停止している。
「まさか……」
雅は自分の愚かさを罵った。
(こいつら、死人か?)
影達は明斎によって忠実な僕にされていたのだ。しかも、明斎の父である令斎のように只動くだけではなく、明確な意思の元に行動している。
(明斎!)
雅は明斎の残酷なやり方に激怒した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます