第七章 始めの女神
雅は蝋燭を床に置き、もう一度漆黒の剣である黄泉剣を右手に出した。
「そんなもので斬っても、我らは倒せんぞ」
死人と化した殺し屋のリーダーが言う。ゆらゆらと動く光源のせいで、彼らの半分溶けてしまった顔が更に凶悪に見える。しかし雅は眉一つ動かさず、
「斬り刻んでしまえば動けなくなる。死人は不死身だが、不滅ではない」
と言うと、一気に間合いを詰める。
「ぬお!」
三人は死人になっても動きは速かった。それでも雅は彼らを見切り、リーダーを縦に真っ二つに斬った。リーダーは悲鳴を上げることもなくドサッと床に倒れた。間髪入れず雅はもう一人の腹を斬り、最後の一人を袈裟斬りにし、それぞれ倒した。三人とも血が出ないので、まるで物を斬っているようだった。
「無駄だと言ったろう」
二つに斬り裂かれた顔でニヤリとして、リーダーが尚も言う。
「死人は黙っていろ」
雅は剣を床に突き立て、彼らに両手の指を向けた。
「黄泉醜女合わせ身」
十指全てから黄泉の魔物が現れ、三人の死人に向かう。
「骨も残さず溶かせ」
雅は左肩の痛みに顔を歪めながら命じた。五体ずつ融合した黄泉醜女がまずリーダーを襲い、その残った肉体を溶かし始めた。
「わかっていないようだな、小野雅!」
リーダーは顔を溶かされながらも高笑いしていた。やがて彼の身体は完全に溶けてしまい、消滅した。黄泉醜女はもう一人を溶かし、更に最後の一人も溶かした。
「む?」
使命を終えた黄泉醜女は消えるはずだが、そのまま現世に留まって浮遊しているので雅は眉をひそめた。
(どういう事だ?)
嫌な予感がし、床から素早く剣を引き抜く。
「無駄だと言ったのを聞かぬお前は愚か者だな、小野雅」
言葉を話すはずがない黄泉醜女が喋った。雅はサッと飛び退いて距離をとり、剣を下段に構える。
(何だ……?)
声は違うが、恐らく今言葉を発したのは消滅したはずのリーダーだろう。雅は頭が混乱しそうになった。
「明斎様はおっしゃらなかったか? 黄泉路古神道などという下等な呪術とは違うと」
再び黄泉醜女が喋る。
「それが明斎の言う力か?」
雅は黄泉醜女を睨みつけて尋ねた。黄泉醜女は二体が一体に融合した。
「その通り。お前など及びもつかぬ力だ」
黄泉醜女が疾風の如く雅に襲いかかった。
「く!」
雅は一瞬出遅れてしまった。
「死ね、小野雅!」
黄泉醜女が腐った口をカッと開き、骨が剥き出しの右手を雅に伸ばした。
「はあ!」
雅と黄泉醜女が接触する寸前にその間を光が駆け抜け、黄泉醜女は真一文字に斬り裂かれた。
「おのれ、宗家の……」
そこまで言うと、黄泉醜女はシュウウと蒸発するように消滅した。
「雅、大丈夫?」
光り輝く藍が姫巫女の剣を正眼に構えたまま言った。
「何とかな……」
雅は藍の発する光に目を細めて応じた。
「私が近づくとダメなんだよね」
藍が自嘲気味にそう言ったので、雅は藍の顔をまともに見られなくなった。
(藍を傷つけてしまったのか?)
そうは思うが、現実には藍が自分に近づくと息もできなくなるほど苦しいのは確かなのだ。先ほど藍が黄泉醜女を斬り裂いた時も、雅は藍の光の力で身体に電流が流れたように痺れた。
「明斎はどうした?」
雅は剣で身体を支えながら尋ねた。藍はその様子を見て雅から離れると、
「今の私では太刀打ちできないので、貴方を探していたの。でも、ちょうど良かったみたいね」
藍は力なく微笑んだ。
(雅は明斎が言ったように左肩を傷めたままだ……。でも私には何もしてあげられない……)
思わず目が潤む藍だが、雅に気づかれまいと俯いた。
「ああ、助かった。ありがとう」
雅はフッと笑って言った。するととうとう藍は堪え切れなくなって泣き出してしまった。
「おい……」
雅は狼狽えてしまった。藍は肩を震わせて涙をポロポロ零している。そんな藍を見たのは、宗家の裏にある黄泉の井戸の一件以来だった。藍が涙を流すのは何度かそれ以外でも見た事がある雅だが、ここまで大泣きするのを見たのは久しぶりの気がしたのだ。
「ごめん……。貴方にお礼を言われるのって、思い返してみたらあまりない事だったから……」
藍は泣き笑いをして言った。雅は苦笑いをして、
「そうか……」
そして思い直して話題を変える。
「明斎はどうしたんだ? 奴は何をしている?」
藍は涙を手で拭いながら、
「貴方に使った黄泉戸喫より強力なものを使って来たの」
「より強力な?」
雅は目を見開いた。藍はそれに頷き、
「それは木を腐らせたばかりか、土までも腐らせたわ。姫巫女様が今の私には勝てないとおっしゃって、貴方のところに向かうようにと……」
「そうか……」
雅は藍の話に驚いていた。
(倭の女王が退けと言ったのか? 明斎の手に入れようとしているものは、やはり始めの女神の力……。だが……)
雅は明斎が始めの女神の事を完全に理解しているとは思えなかった。
(奴は自分の死など恐れてはいないと言っていたが、始めの女神の事を本当に理解しているのであれば、決して呼び出そうなどとは思わないはずだ……)
雅は隠し部屋で見つけた書に書かれていた事を思い出していた。
「く……」
また左肩の痛みがより深くまで浸透して来た気がして、雅は苦悶に顔を歪めた。
「雅……」
気遣わしそうに藍が彼を見ている。雅は藍の視線を感じながら、
「明斎は動いていないのか?」
「ええ。姫巫女様のお言葉によると、明斎はまだあそこから動けるほどの力がないらしいの。だから一旦退くようにと……」
藍は倭の女王の言葉に間違いはない事を理解しているが、逃げるのは納得がいかなかった。そのため、雅に説明する藍の顔には悔しさが滲み出ていた。
(まだ間に合うという事か……。しかし……)
明斎が始めの女神を呼び出すだけの力を得ていないのはわかったが、それを防ぐ手立てはわからない。雅は肩の痛みと悔しさを堪えて歯軋りした。
「退いたのは仕方ないのだけど、これからどうすればいいのか……」
藍が呟くと、
『答えは京の都にあります。篁の元に』
二代目女王の台与が告げた、
「小野篁公の元に、ですか?」
藍は顔を上げて女王に尋ねた。
『姫巫女流より以前はその名を
初代女王の卑弥呼が語る。
「那美流?」
藍と雅が異口同音に呟く。
『那美流と呼ばれし流派は苛烈にして凶悪。その邪の力を排し、新に光の力を強めて姫巫女流と成したが篁なのです』
卑弥呼が言った。
『建内宿禰が黄泉路古神道を創始したのはそれより四百年以上前です』
台与の言葉に藍と雅は衝撃を受けた。
(黄泉路古神道の方が姫巫女流より以前から存在したの?)
藍は驚きのあまり声も出ない。それは雅も同じだった。
『私も先代も那美流の中の光の力のみを使う巫女でした。そして、那美流の闇の力から黄泉路古神道を生み出した建内宿禰と戦い、封じたのです』
台与の話は続く。藍は雅と顔を見合わせ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
『それより更に数十年の時を遡りし世、始めの女神はおわしたのです』
藍はハッとした。雅も気づいたようだった。
「
藍は台与に言った。それは国生み神話の女神の名だ。台与は頷き、
『はい。我ら
「巫女?」
藍は鸚鵡返しに尋ねる。
『邪馬台族は
卑弥呼が語ったのは古代日本の壮絶な歴史だった。
遥か昔、現在の中国地方に那美国という王国があった。その国に美しい巫女がいて、民は彼女の事を「那美の巫女様」と呼んだ。その美しさは那美国の西にある奴国にも聞こえ、王子である
程なく二人の間に子供が生まれ、その幸せは
しかし、その結婚は偽りで、奴国の王が那美国を乗っ取るための足がかりであった。それに気づいた那美の巫女は四人の幼子を連れて夜遅く奴国から逃げ、那美国に帰った。那美の巫女は国の王に事情を説明したが、王は巫女の言葉を信じず、彼女を奴国の回し者と判断して幽閉してしまった。
那美の巫女が姿を消したのを知った那岐は巫女を追って那美国に行った。那美国の王は那岐を言葉巧みに自分の邸に誘い込み、酒に眠り薬を入れて同じく幽閉してしまった。
巫女が産んだ三人の子を奪い返すため、奴国が何万もの兵を差し向けた。両国は戦争状態になり、多くの人の血が流れ、たくさんの怨嗟と憎悪が渦巻いた。
幽閉されていた巫女は彼女を慕う兵達の助けで閉じ込められていた牢を脱出し、王子も助けて子供達と共に那美国を出ようとした。ところが、途中で奴国の兵に取り囲まれ、王子と引き離され、巫女は嫁ぎ先である奴国を売った裏切り者として囚われの身となり、その場で処刑される事になった。幼子達は奴国の後継者として引き取られる事になった。母の処刑の意味がわからない下の三人とは年の離れた一番上の迦具土(かぐつち)が兵を振り切り、母である巫女の元に駆け寄ろうとした。しかし、その願い虚しく、迦具土は兵の放った矢で命を落としてしまった。その瞬間、巫女の怒りが爆発した。元々優れた術者であった那美の巫女は自分の子供の死を目の当たりにし、その力を完全に開放したのだった。巫女の怒りの力は凄まじく、奴国の兵達は次々に彼女が放った
そこまで聞かされ、藍と雅は言葉を失った。
(そんな事があったの……)
彼女はまた涙を流していた。雅は目を伏せ、那美の巫女の無念を思った。
『その連れ帰られた三人の幼子の一人が私です』
卑弥呼が言う。藍と雅はハッとして卑弥呼を見た。
『那美の巫女は我が母。そして私と弟達は生まれながらにしてその母の強き力を授かっていました』
そして今度はその恐るべき力を巡って新たな戦いが起こる。新しく力を得た邪馬台族が奴国を攻撃したのだ。奴国は那美の巫女の呪いなのか、たちまち敗北して滅亡し、那美の巫女の三人の子は邪馬台族に捕らえられ、後の世に言う
邪馬台国の呪術者達は那美の巫女が使った那美流古神道を研究し、それを国防の要とするつもりでいたが、誰一人として使いこなす事ができず、呼び出した黄泉の魔物に取り殺されてしまった。そんな中、卑弥呼のみがその力を使いこなし、人々をまとめる事ができた。そして彼女は次第に政治に利用されるようになり、倭国の女王となったのである。
『始めの女神は光と闇の巫女。只、力に任せて挑めば、必ず敗れます』
卑弥呼は悲しそうな顔で告げた。
「ではどうすれば……?」
涙を拭って藍が尋ねた。卑弥呼は藍に微笑み、
『貴女になら始めの女神を救う事ができる。頼みましたよ』
二人の女王は微笑みながら消えてしまった。姫巫女二人合わせ身が解けたお陰で藍の輝きが収まり、雅はいくらか身体が楽になった。
「雅?」
藍は雅を見た。雅はまた激痛が走った左肩を抑え、
「仁斎と丞斎のジイさん二人は京都の小野篁の縁の地に向かった。お前もそこに行け」
「お祖父ちゃんと丞斎様が?」
藍はキョトンとした。雅はフッと笑い、
「俺は俺で動く。早くしろ、藍」
と言うと、根の堅州国に消えた。それと同時に蝋燭の灯も消えた。
「雅!」
呼んでも無駄と知りながらも、藍はつい叫んでしまった。暗くなった部屋に彼女の声が微かに
「京都……?」
藍は邸から飛び出し、夜空を見上げた。
明斎は光の結界の中で息も絶え絶えになっていた。
(おのれ……。どこまで凄まじい力なのだ、始めの女神……? 俺はお前と同じなんだぞ)
彼は那美の巫女の壮絶な生涯を知っていた。触れてはならぬ玉手箱を開けたからだ。しかし、明斎は巫女の力の使い方を誤って理解していた。雅が手にした島根分家に伝わる書を読んでいないためである。
「何故俺を拒む!?」
明斎は怒りのあまり大声で叫んだ。
雅は根の堅州国を進みながら自分の身体の事を考えた。
(明斎を倒すまで
彼は隠し部屋で見つけた書の中身を藍に話さなかった。話せば藍が雅から離れなくなると思ったからだ。
(これは第一分家の最後の生き残りとしての使命だ)
雅は再び現世に戻った。彼が現れたのは、山の中だった。
「こここそ、始めの女神の眠る場所だ」
雅は目の前にある山を見上げて呟いた。
仁斎と丞斎は京都府に入っていた。
「あの」
運転手が険しい顔をしている仁斎達に怖々と声をかけた。
「何だ?」
仁斎が尋ねた。運転手は泣きそうになるのを何とか堪え、
「京都のどちらに向かえばよろしいのでしょうか?」
すると今度は丞斎が、
「
と鋭い目つきで答えた。
「は、はい!」
運転手は涙目になって応じた。
(どうか殺されませんように……)
彼は仁斎と丞斎をその筋の方と思ったようである。
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