第五章 闇と光の巫女

 明かりと言えば、鳥取分家の玄関の電灯と門の裸電球と拝殿の中の蛍光灯しかない。そんな状況の中、ユラユラとしながら前に足を出す令斎はまさしく黄泉からの使者としか思えない。藍は思わず身震いした。

「さて、どうする、仁斎?」

 ゆっくりと近づいて来る令斎を睨んだまま、丞斎が尋ねる。仁斎も令斎から目を離さずに、

「もう一度送り出してやるしかあるまい」

 仁斎と丞斎は懐から榊を取り出した。それを見て善斎と道斎も榊を取り出す。

「愚かな息子のせいで死して尚このような憂き目に遭うとは、何とも哀れよのう、令斎」

 善斎が目を細めて言った。

(令斎さんの身体から出る妖気は黄泉路古神道のものとは違う。何だ?)

 雅は傷口を押さえながら眉をひそめた。

「姫巫女流古神道奥義、黄泉戸大神!」

 仁斎達は一斉に榊を地面に突き立てた。その途端、榊から光が縄状に伸び、ユラユラと歩く令斎の足下に迫った。

「何!?」

 次の瞬間、令斎が只の遺体に戻るのを確信していた仁斎達は我が目を疑った。光の縄が令斎の寸前で弾かれ、行き場を失って消滅してしまったのだ。

「え?」

 それを見た藍も思わず身を乗り出してしまった。

(何? どういう事?)

「これは……?」

 雅も目を見開いて驚いた。

「黄泉戸大神が届かないという事は、死者ではないという事か?」

 丞斎が呟いた。善斎がそれを聞いて、

「バカな……。令斎は間違いなく死んでいた。そのような事は……」

 道斎が仁斎と丞斎を見て、

「もう一度やってみましょう。数を増やせば通じるかも知れません」

「いや、そういう問題ではないようだ。令斎は只単に黄泉返ったのではない。明斎め、何を仕掛けたのだ?」

 仁斎が悔しそうに言った。

「黄泉路古神道と似ているが、違う。これはまさか……」

 丞斎が何かに思い当たり、仁斎を見た。仁斎は丞斎を見て、

「お前の推測通りだろう。明斎は玉手箱を開けただけではなく、中身を取り出したようだ」

 藍は呆然としていたが、

『姫巫女の剣で彼の者を斬りなさい。さすれば元に戻る』

 倭の初代女王の卑弥呼が告げた。藍はハッとして、

「わかりました」

 彼女は剣を正眼に構え、仁斎達の前に進み出た。

「藍?」

 仁斎が藍に声をかけた。藍は令斎を見たままで、

「大丈夫。令斎様は元に戻るわ、お祖父ちゃん」

と返事をした。藍の身体の輝きが増す。

「く……」

 それに影響を受けた雅の顔が苦痛で歪んだ。

(藍……。陰陽師の時より更に強くなっているな)

 雅は苦しみを感じながらもニヤリとした。

「令斎様」

 藍は光の宿っていない目を開き虚空を見るかのような令斎を見た。

(一体何が起こっているの? 令斎様、そして明斎さん……)

 藍は現実に起こっている事に思考が追いついていないので、混乱しそうだった。

(でも今は女王達の導きのままに)

 意を決してススッと剣を上段に移行させる。

『躊躇わず斬りなさい』

 卑弥呼の声が聞こえた。藍はそれに応えるかのように剣を振り降ろした。すると剣先から光の筋が伸び、令斎に当たった。光はそのまま令斎を貫き、地面へと消えて行く。停止した令斎は呻き声すらあげずにそのままドサッと前のめりに倒れた。死んでいる故に庇い手も出ないまま顔から。

「……」

 藍はしばらく令斎の遺体を見つめていたが、

『すぐに明斎を追うのです』

 今度は台与が語りかけて来た。藍はハッとして明斎が消えた方角を見た。

「明斎は恐らく伊賦夜坂だ」

 雅が言った。藍は雅を気遣わしそうに見て、

「どうしてそこだとわかるの?」

「そこに奴が張った光の結界がある。奴はそこに何かを隠している」

 雅は先程より苦しそうになりながら続ける。

「雅……」

 藍はまた近づこうとして雅に手で制された。

「近づかないでくれ。お前の光は以前にも増して俺の身体にはきつい……」

 雅のその言葉が藍の胸を抉る。彼女の目が潤んだ。

(雅……)

 雅が自分を嫌ってそう言っているのではない事を理解しているつもりの藍だが、実際にはそこまで割り切れていないのだ。

「何をしている、藍、我らでは明斎には追いつけん、早く行くのだ」

 仁斎の言葉が無情に聞こえた。藍は文句を言いたい衝動を抑え柏手を打つ。

「高天原に神留ります、天の鳥船神に申したまわく!」

 そして再び夜空を飛翔した。藍の飛び立つのを初めて見た善斎と道斎は驚きのあまりしばらく瞬きも忘れていた。

「さて、儂らも行くぞ」

 仁斎はスタスタと歩き出す。丞斎がそれを追いかけ、

「やはり篁公ゆかりの地へ行かねばならんか」

 それを見た善斎が、

「宗家、丞斎、どういう事だ?」

 すると仁斎は立ち止まって振り返り、

「二人はここの守りを固めよ。島根の恐ろしきものが眠りから覚めるやも知れぬからな」

と言い、丞斎と共に庭を出て行ってしまった。

「島根の恐ろしきもの、だと?」

 善斎は道斎と顔を見合わせた。雅は仁斎の残した言葉に記憶を少し甦らせた。

(島根の恐ろしきもの、か……。何か今、微かに見えた気がする……)


 藍は夜空を飛翔しながら考えていた。

(伊賦夜坂って、黄泉比良坂の事よね? そこに何があるの?)

 すると藍の心に呼応するかのように、

『そこには姫巫女流の全てがあります。そして悪くすれば終わりもあるやも知れぬ』

 卑弥呼が告げる。藍はビクッとした。

「終わり?」

『そうです。此度の敵は紛う事なく最も恐ろしき敵。我らも貴女に力を貸せぬかも知れません』

 台与が悲しそうに告げた。

「それは一体どういう事なのですか?」

 藍が尋ねると、

『我らより以前におわせられた方が相手だからです』

 卑弥呼が再び告げる。

「え? お二人より以前から?」

 藍は首を傾げた。彼女にしてみれば、全ての始まりは倭の国の二人の女王だと思っていたからだ。

『ですが、打ち勝つしかありません。己を信じるのです』

 卑弥呼が優しく微笑んで、不安になりかけている藍を慈愛の心で押し包むようにしてくれた。

『必ず勝機はあります。前を見据えるのです』

 台与も藍を優しく包んでくれた。

「はい、女王様」

 藍は二人の女王の慈愛に応え、微笑んだ。そして二人の女王の力を身体の中に取り込んだ藍は速度を増して突き進んだ。


 残された善斎と道斎はようやく我に返り、雅を見た。

「島根の恐ろしきものとは何なのだ、雅?」

 善斎が尋ねた。しかし雅は苦笑いして首を横に振り、

「俺は幼い頃に親父から聞いたはずなのだが、恐ろしさからなのか、幼過ぎたからなのか、覚えていない。しかし、紛れもなくそれは存在しているのは確かだ」

 善斎はがっかりした顔になり、

「そうか。島根分家はなくなってしまったから……」

 そこまで言いかけて彼は何かに気づいた。

「ここにあるのか、それを知る手がかりが?」

 善斎は道斎を見た。道斎もあっとなって、

「島根分家はここに吸収された。その当時残っていたものは全て、こちらに運ばれたはずですね」

 雅はそんな二人を見てフッと笑い、

「では、ここは任せた。俺は応援を募って来る。もしかすると募るまでもなくこちらに向かっているかも知れないがな」

と言い残すと、根の堅州国に消えた。

「何度見てもあれはゾッとするな」

 善斎は雅が消えた辺りを見たまま呟いた。道斎は頷きながら、

「ええ。とにかく、我々はここでできる事をしましょう、善斎様」

と応じた。


 その頃、雅の予想通り、明斎は光の結界が張られた林の中にいた。

(小娘が近づいているか。しかし、無駄だ。先程は隙を突かれたが、今度は姫巫女流などに遅れはとらない)

 明斎は未だ滴り落ちる血で地面を赤黒く染めながら光の結界の中に入って行った。

「黄泉の国に神留ります、黄泉津大神に申したまわく!」

 結界の中から明斎の祝詞が聞こえた。


 仁斎と丞斎はタクシーを拾っていた。

「飛行機は東京行きしかない。このまま京都まで行くしかないだろう」

 そう言った丞斎の声を聞き、聞き耳を立てていたタクシーの運転手がこっそりルームミラー越しに二人の老人の人相風体を記憶していたのを仁斎達は知らない。タクシー代を踏み倒されるかも知れないと思ったのだろう。

「今夜ほど孫の力が我が身にあればと思った事はないな」

 仁斎が言うと、丞斎は微かに頷いて、

「そうだな」

と応じた。それほど二人は歯痒かったのである。


 雅は出羽の修験者である遠野泉進を探して現世に戻った。彼の思ったように泉進はすでに自宅を出ていた。

(やはりな)

 雅は泉進の気を探し、再び根の堅州国に入り、泉進を追いかけた。泉進は東北新幹線で移動中だった。彼は雅が米子に向かう以前に異変を察知し、出羽を発っていたのだ。

「来る頃だと思ってデッキに出ていて正解だったな」

 泉進は席を立ってデッキにいた。そこへ突然血塗れの白装束の雅が姿を現したので、通りかかった客が絶叫して駆け去ってしまった。

「車掌が駆けつける前に手早くすませろ」

 黒のスーツ姿の泉進が言った。雅は苦笑いして、

「島根の恐ろしきものを起こそうとしている奴がいる。俺にはそれが何だかわからん。あんたなら知っていると思って訊きに来た」

「何故儂なら知っていると思ったのだ?」

 泉進は目を細めて尋ね返す。

「伊達に長く生きている訳ではないだろう?」

 雅がニヤリとして返すと、

「ほざけ。まあいい」

 泉進は車両の中を車掌が客とこちらに向かって来るのを覗き込みながら、

「島根に恐ろしきもの三つあり、と聞いた事がある。一つは出雲の大社おおやしろ、そしてもう一つは黄泉比良坂。そして最後の一つは始めの女神」

 泉進の謎めいた言い方に雅は眉をひそめた。

「始めの女神?」

 鸚鵡返しに尋ねる。すると泉進は大きく頷き、

「そうだ。そしてそれが一番恐ろしきものだと」

「一番恐ろしきもの、か」

 雅は車掌が車両の扉を開くのを見て、

「助かった」

と言い置くと、姿を消した。

「あれ?」

 車掌は窓ガラス越しに確かに確認した血塗れの男の姿が突然消えうせたので、辺りを見回した揚げ句、

「あの、ここにもう一人男の人がいませんでしたか?」

 澄まし顔の泉進に尋ねた。泉進は目を見開いて、

「ここには見ての通り、儂しかおらんだろう? 何を言っとるのかね?」

 車掌は苦笑いして、

「そ、そうですよね、誰もいませんよね」

と応じると、後ろでまだ騒いでいる客を押し戻し、車両へと入って行ってしまった。

(始めの女神を起こそうとしているのであれば、まさしくこの世はあの世と同じになるな)

 泉進は眉間に皺を寄せ、窓の外の夜空を見上げた。

(それより、お前は大丈夫なのか、雅?)

 泉進は雅の身体に取り憑いている妙な気を感じていたのだ。


 光の結界の中で明斎はまさしく狂喜していた。

「すごい! すごいぞ、この力は! 姫巫女流など恐れる必要はない。勝った! 俺の勝ちだ!」

 明斎は結界の中で光と闇が融合した拳大の玉を手にして叫んだ。

「今までさんざん俺を虚仮こけにしてきた連中を皆殺しにして、贄とする。ジジイ共には存分に苦しみを味わわせてから死を与えてやる」

 明斎の顔が凶悪になる。口からは妖気らしき黒い気が漏れているが、彼は闇に染まった訳ではなかった。

「俺が見つけた『始めの女神』こそ、全ての源。闇と光を合わせ持つ巫女。故に最強だ!」

 明斎はのけ反って高笑いし続けた。


 その明斎の雄叫びのような笑い声に呼応するかのように飛翔する藍は身を震わせた。

(何、今の? 何なの?)

『あの者が更にあの方に近づきつつあります。急ぎましょう』

 藍の中で卑弥呼が囁く。

「わかりました!」

 藍は邪念を振り払い、飛翔に集中した。


 一方雅は僅かな星明りに照らされた廃屋の前に佇んでいた。よく目を凝らさないと自分の足元も見えないほどだ。

(まだ残っていたか)

 彼の目の前にあるのは、かつて彼が両親と暮らしていた小野一門の第一分家の島根分家の邸跡である。そしてまたそこは、明治の世に一門最強と言われた小野楓とその夫である耀斎も住んでいたのだ。邸自体は改築を繰り返しているが、楓達が暮らした頃の庭や池はほぼそのまま残っている。もちろん、見るも無残に荒れ果ててはいたが。只でさえ人が住まなくなった家屋は傷むのが早くなる。十五年前まで住んでいた家が見る影もなかったが、それでも雅にとっては思った以上に面影を留めていた。しかし感傷に浸っている時間はない。

(ジイさん達と話しているうちに少しずつ思い出して来た。恐ろしきもの。その三つ目は始めの女神。そしてそれに辿り着く手がかりはここにある)

 雅は廃屋に足を踏み入れた。

「む?」

 彼は中から異様な殺気を感じ、身を退いた。

(何だ?)

 すると邸の奥からいくつかの影が躍り出て来た。

「何だ、貴様らは!?」

 ブスブスと音を立てて未だに溶け続けている左肩を気にしながら、雅は影に怒鳴った。相手は普通の人間。魔物や術者ではないようだ。

「小野雅だな? 明斎様の命により、死んでもらう」

 影の一人が応じた。

「明斎の命だと?」

 雅は眉をひそめた。影は少しずつ距離を詰めて来ていた。

(術者ではないが、かなりの使い手のようだな?)

 雅は右手に漆黒の剣である黄泉剣を出した。

「悪いが手加減はできない。死にたい奴からかかって来い」

 雅が挑発すると、影が一斉に動き出した。

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