第四章 闇の胎動

 ひきつけを起こしているのか、それとも息が上がったのかわからないような声を発し、明斎は雅を睨みつけた。

「お前は何を開けてしまったのかわかっているのか、明斎?」

 仁斎は十拳剣を正眼に構えて尋ねた。明斎は仁斎をチラッと見て、

「わからないままなせるほどこの呪術は浅くはねえよ、ジイさん」

 明斎は自分の身体から滴り落ちる血を手に塗りつけて突き出した。仁斎は眉間に皺を寄せた。

「ならば我らの成すべき事は只一つ」

 丞斎が口を開く。明斎は丞斎を見てフッと笑い、

「へえ、椿が死んじまって腑抜けたのかと思ったが、まだまだやる気十分だな?」

 明斎の挑発に丞斎は眉一つ動かさない。それが明斎の計略だとわかっているからだ。

「我らをにえとしなければ、お前如きの実力ではその神は支え切れんぞ、明斎」

 仁斎が言った。

「そのつもりさ。あんたらの力は全て神の御ために使う。ありがたく思いな」

 明斎はまたニヤリとした。

小賢こざかしい事を!」

 善斎が怒鳴る。四人の当主が剣を構え、明斎と対峙した。それでも明斎は怯んだ様子がない。

(こいつ、本当に自滅を望んでいるのか?)

 雅は明斎の不敵な笑みを見て眉をひそめた。

「伊賦夜坂の近くの林の中にあった光の結界はお前の仕業か?」

 雅が尋ねると、明斎は右の眉を吊り上げて彼を見た。

「気づいたか。さすがだな。だが下等な黄泉路古神道などを修得しているお前には破る事も通る事もできない。無論、根の堅州国を通っても無理だ」

 明斎は勝ち誇ったように言った。それを聞いて仁斎が目を見開いた。

(それを聞くまではこいつのハッタリではないかと思っていたが、違う……。本当に開けてしまったのだな、触れてはならぬ玉手箱を……)


 その頃、闇夜を飛翔している藍は、究極奥義の姫巫女二人合わせ身をし、更に速度を増していた。

(お祖父ちゃん……)

 彼女は仁斎達に何か邪悪なものが迫っているのを感じている。しかし、それがまさか明斎だとはわかっていなかった。

『姫巫女の剣を使いなさい。敵はすでに動いています』

 藍に降りた倭の女王の一人である台与が告げた。

「はい!」

 藍は右手に十拳剣、左手に草薙剣を出し、

「神剣合わせ身!」

と二つを重ね合わせ、一回り大きな剣にした。それこそが姫巫女流最強の剣である。神剣そのものの輝きも加わり、藍の身体はより強く光り出した。空を見上げている者がいたら、天女が飛んでいると思うかも知れない。但し、藍の飛翔速度は音速に近いので、肉眼では捉えられないだろうが。

此度こたびの敵は最も恐ろしい敵。心せよ』

 もう一人の女王である卑弥呼が告げる。藍は剣をギュッと握り締め、

「はい!」

と大きな声で応じた。


 明斎は仁斎達を嘲るような目で見ていたが、

「む?」

 彼は空を見上げた。

(何だ、これは? 何が近づいて来る?)

 明斎は自分の中に取り込んだ力が教えたその何かを見定めようと意識を空に集中した。

(藍か?)

 雅は強力な光の力が接近しているのを感じていた。

(また更に力をつけたようだな)

 雅は藍の光の力に近づくと自分の中の闇の力が反応し、壮絶な苦しみを受ける。藍の接近を仁斎達も気づいていた。

「この光の気は藍だな?」

 丞斎が仁斎に囁く。仁斎は頷き、

「そうだ。恐らく明斎が放った得体の知れぬ力を感じたのだろう」

と明斎を睨む。明斎は仁斎の視線を感じて彼を睨み返した。

「この感覚は宗家の小娘か? なるほど、魔神を倒すだけの力はあるようだ。しかし、それも所詮姫巫女流。俺が手に入れた力には遠く及ばない」

 明斎はニヤリとして言い放った。

「宗家、奴が言っている事がよくわからん。どういう事だ?」

 善斎が仁斎に近づいて尋ねた。仁斎は明斎を睨んだままで、

「この馬鹿者は、姫巫女流の創始者である小野おののたかむら公のお言葉を無視して開けてはならぬものを開けてしまったのだ」

「何と!?」

 宗家である仁斎と元宗家の流れを汲む丞斎は知っているのだが、善斎や道斎は知らない事なのだ。姫巫女流の開祖である小野篁が遺した言葉を善斎は思い出していた。

『姫巫女流より前は知るべからず。災いの根なり』

 善斎と道斎には明斎が何を開けてしまったのかはわからなかったが、開祖の言葉を無視したという仁斎の話からある程度は察したようだ。

「口の利き方に気をつけろよ、ジジイ。俺はすでにてめえらを超えた存在なんだよ。わかる?」

 明斎の顔が凶悪さを増した。それと共に彼を取り巻く気の流れが始まった。

(この気の質はどういう事だ? 闇を感じるのに闇ではない……)

 雅は明斎の周りを巡る気に目を見開いた。

「フン!」

 明斎が右手を振ると、剣が出現した。その剣は漆黒の面と光り輝く面を併せ持つ不思議な剣だった。

陰陽おんみょうの剣とも違う。何だ、あれは?)

 雅は明斎が出した剣に戦慄してしまった。

「何が創始者だよ。もっと壮絶な力を振るえるはずのものを弱くしちまった腑抜けのくせにさ」

 明斎は吐き捨てるように言った。

「貴様、篁公を愚弄するか!?」

 善斎が剣を振り上げた。すると丞斎がそれを制し、

「暴走する流派を治め、長く伝わるようになさったのだ。弱くしたのではない」

と反論した。すると明斎は大笑いをして、

「ものは言いようだな。なるほど、そうかい」

 雅は明斎の周囲の気の流れが伊賦夜坂の結界から流れ込んでいるのに気づいた。

「ならばその力をもう一度封じるか?」

 雅がそう言うと、明斎は雅に鋭い目を向けた。

「貴様!」

 彼は漆黒と光が混在する剣を振り上げ、雅に向かって走った。

(試してみるか)

 雅は右手を突き出し、

「黄泉醜女!」

 身体の半分が腐って溶けている黄泉の魔物が雅の人差し指の先から現れ、明斎に襲いかかった。

「バカめ、そのような下等な術がこの俺に通じると思ったか!?」

 明斎は剣を振り上げたまま、防御の姿勢も取らずに突進して来た。

「がああ!」

 黄泉醜女は明斎に取り憑く寸前でまるで霧のように消えてしまった。

「何!?」

 雅はその決着に仰天した。

(奴は何もしていない。それなのに……)

 明斎は雅の動揺を見て取り、下卑た笑みを浮かべた。

「ざまあねえな、雅。てめえの術なんぞ、今の俺には只の戯言たわごとさ」

 明斎の言葉に雅は歯軋りしながら飛び退き、彼の袈裟斬りをかわした。しかし、

「ぐう……」

 かわしたはずだったが、何故か雅の白装束がスパッと切れ、血飛沫ちしぶきが上がった。

けられねえよ、この剣筋からは」

 明斎はそのままブンと剣を仁斎達の方へ振った。

「ぬう!」

 仁斎と丞斎は剣の先から飛ばされた何かに気づき自分の剣で弾き飛ばし、善斎と道斎は叩き落とした。

「やるねえ、ジイさん達。だが、どこまで頑張れるかな?」

 明斎は何故か拝殿を見上げた。

「何だ?」

 仁斎はその視線に何かの意味を感じ、同じく拝殿を見上げた。

「何だと!?」

 するとそこには死んだはずの令斎が立っていた。しかし彼は生き返った訳ではなかった。

「死人?」

 雅が傷口を押さえながら呟く。

「何!?」

 丞斎と善斎、道斎も雅の言葉に驚いて拝殿を見上げた。そこに立っている令斎は血の気がなく、目には何も写っていないようだ。虚空を見つめたまま、瞬きをしていない。

「何をした!?」

 仁斎が激怒して明斎に怒鳴った。すると明斎は肩を揺らせて笑い、

「死んだ人間にする事と言ったら決まってるだろ? 黄泉戸喫よもつへぐいさ」

「黄泉戸喫、だと?」

 仁斎達は眉を吊り上げた。その言葉の意味に驚愕したのだ。

(黄泉戸喫とは、黄泉の国で煮炊きしたものを食べてしまう事だ。つまりこの世ならざる者となったという事。何を企んでいるんだ、明斎?)

 雅は令斎の姿を見て眉をひそめた。

「お前は自分の実の父親にそのような事をしたのか? 一体何を考えているのだ?」

 丞斎が言った。明斎は笑うのをやめて丞斎を睨むと、

「父親? 俺はそいつの事を一度だって父親だと思った事などない!」

 明斎の形相が今までで一番険しくなった。

「そいつは俺の役に立った事など一度もなかった。いや、それどころか、邪魔しかしなかった。そんな奴が俺の親だなどとは認めねえよ」

 明斎は目を血走らせ、ますます語気を荒げて言い放つ。

「雅、俺が何故そんな役に立たない糞みたいな奴に黄泉戸喫をしたのか、わかるか?」

 明斎はその血走った目を雅に向けた。雅はキッと明斎を睨み、

「小山舞と同じ事をしたんだな? 命を奪って、黄泉戸喫で甦らせる。そうすると呪力が増す」

 明斎はけたたましい声で笑い出した。仁斎が実の妹である舞の事を思い出し、歯噛みした。

「あの愚かしさを繰り返すというのか!?」

 しかし、明斎は笑いながら、

「不正解だ、雅。違うよ。俺はそれほど温情家じゃねえよ。そいつの哀れな姿を晒すために死人として甦らせただけだ」

 すると道斎が、

「役に立つ立たないで自分の親を計るなどと!」

と怒鳴った。明斎は道斎を見て、

「あんたのところの不出来な跡継ぎも似たようなものだろう? 何て名前だったかな?」

 その言葉に道斎は激怒し、

「許さん!」

 剣を下段に構え、明斎に向かった。

「道斎!」

 仁斎と丞斎が止めようとしたが、道斎はそれを振り切って明斎に接近した。

「てめえも仲間になれ、馬鹿な親父よ」

 明斎は右手の人差し指を道斎に向けた。雅はそれが何を意味するのか瞬時に察した。

「黄泉戸喫!」

 明斎の詠唱と同時に指先から漆黒のドロドロとした不定形な物が飛び出し、道斎を襲った。

「危ない!」

 雅が飛び出し、道斎を突き飛ばした。

「ぐう……」

 漆黒の不定形物は雅の左肩に当たり、白装束を溶かした。そしてその下の雅の皮膚も焦がし、溶かした。

「雅!」

 庇われた道斎は雅の姿を見て仰天し、駆け寄ろうとした。

「近づかないでくれ。こいつはかなり強力な妖気を放っている」

 雅は崩れかけた身体を何とか支えて道斎を見た。不定形物は雅の肉を溶かし続けているのか、辺りに異臭が漂う。明斎はまたゲラゲラと笑い始め、

「なるほど、てめえは黄泉路古神道を修得しているから、死人にはならねえのか。ほうほう、これは新しい発見だぜ、雅」

 明斎は漆黒と光の混在した剣を中段に構え、雅に近づく。

「本当はてめえは生かしておいて使いっ走りにするつもりだったんだが、その反吐が出るような正義感が気に食わねえ。今この場で殺す」

 明斎の顔から笑みが消えた。本気のようだ。

「く……」

 雅は左肩を襲う激痛に堪えながら、明斎を見た。

「黄泉醜女!」

 雅は再び黄泉醜女を放った。

「無駄だ!」

 明斎が叫んだ。ところが黄泉醜女は明斎にではなく雅の左肩に取り憑いた。

「がああ!」

 黄泉醜女は漆黒の不定形物を掴み、雅から引き剥がそうとした。するとその腐りかけた手が不定形物に触れた途端、消滅してしまった。

「毒を以て毒を制するつもりのようだが、毒の格が違うんだよ、雅」

 明斎はニヤリとした。

「くそ……」

 雅は消えて行く黄泉醜女を見て歯噛みする。明斎は剣を振り上げた。

「苦しんで死なせるのも一興だが、それもやめだ」

 異様な状態の剣が夜空に掲げられた。

「雅!」

 仁斎達が動こうとすると、

「黄泉戸喫!」

 明斎が不定形物をまた放った。仁斎達はそれをかわした。

「てめえらの相手はそいつがするよ」

 明斎の声で令斎がゆっくりと動き始めた。

「何!?」

 仁斎達はギョッとして令斎が拝殿の階段をストンストンと降りて来るのを見ていた。

「さあ、雅、その首を切り落として、宗家の小娘と最後の接吻をさせてやるよ」

 明斎はまたしても下卑た笑い声を上げ、剣を振り下ろした。

「させない!」

 その時、光が一閃した。明斎の剣が宙をクルクルと舞い、地面にドスッと突き刺さり、スウッと消えてしまった。そしてその向こうにフワリと光り輝く藍が降り立った。

「もう来やがったのか、宗家の小娘が!」

 明斎は舌打ちし、ゆっくりと振り返る藍を睨みつけた。

「藍……」

 雅と仁斎達が異口同音に呟いた。藍は姫巫女の剣を下段に構え、

「明斎さん、どういう事です? 貴方は一体?」

 明斎は藍の姿を見て含み笑いをし、

「おお、これは驚いた。あの小便臭かった小娘が、これほど奇麗になるとはな」

 藍は「小便臭かった」と言われた事にムッとし、

「何ですって!?」

と一歩前に踏み出した。明斎は雅を見た。

「最後の接吻はお預けだ、雅」

 明斎はそう言うと空間に溶け込むようにジワジワと消えて行った。

「黄泉路古神道?」

 藍が呟いた。雅はよろけながら、

「いや、違う。奴は根の堅州国に行った訳ではないようだ」

「え? どういう事?」

 藍はキョトンとして雅を見た。すると雅は拝殿の階段を降り切り、フラフラと近づいて来る令斎を見た。

「それより今はあの死人だ」

 雅の言葉に藍はギョッとして令斎を見てから、

「雅、その傷……」

 藍が近づこうとすると、雅は右手でそれを制し、

「今の俺にはお前の光は堪(こた)える。俺は大丈夫だから、死人を頼む」

「でも……」

 苦しそうな雅を見て、藍は口篭る。すると仁斎が、

「雅はお前が手当てする事はできないのだ」

 藍は仁斎の言葉にピクンとした。

『雅の肩に取り憑いた黄泉の魔物は姫巫女の剣で斬れます』

 台与が告げた。藍は雅の左肩でうごめく不気味な黒い塊を見た。

「雅、それは一体……?」

「明斎の置き土産だ」

 雅は苦笑いして応じた。

「明斎さんの?」

 藍は剣をスッと上段に構えた。そして大きく息を吸い込むと、

「雅、動かないでね!」

 姫巫女の剣が一閃し、雅の肩に取り憑いている不定形物を斬り飛ばして消滅させた。

「次は令斎様ね」

 藍はホッとする間もなく振り返り、フラフラと近づいて来る令斎を睨んだ。

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