第20話 血と汗と愛の結晶
『ハッキングもう少しで終わりますよ』
「おっけ。よっこいしょっと」
俺は立ち上がりドアの前に立った。思わずワイシャツをスラックスの中に入れなおしたり、スーツの襟を正したりと身なりを気にしてしまう。壁についている機械から――本来ならカードキーをかざすところだろう、電子音が鳴り緑のランプが点灯するとともにドアが静かに開いた。
無機質な白い部屋の中には机とベッドしか置いていなかった。ベッドの上には研究施設の人間が来たと思ったのか、お腹を守るように両手で包み、半身を引いて身構えるアヤさんが驚いた顔でこちらを見ていた。さすがに研究施設のヤツらも実験体に手荒なことはしないとは踏んでたけど――良かった、見たところケガはしてないようだ。
「こんばんは。お待たせ、アヤさん」
アヤさんに歩み寄りながら、馴れ初めのときにちょっとなぞらえて言ってみた。まあ、立場は逆だし?あのときの菖蒲さんは無傷できれいな菖蒲色のドレスだったのに、今の俺のスーツは銃弾でハチの巣にされたせいで血塗れで穴だらけだし? 雲泥の差ではあるけども。
「確かに
「ここまで来れたし、もしかして俺ってアヤさんより潜入に向いてるんじゃないかな?」
「そうね、あとは爆発とともにドアをぶち破って助けに来たら完璧だったわね」
「しがないサラリーマンにムチャ言うなって。そういうアクション映画っぽいのは紫苑寺の方が適任だろ。たとえ火の中水の中研究所の中、飛んで駆けつけるのパパとして当然の務めだからな。なぁ?」
アヤさんの隣に座って、初めて会ったときから明らかに大きくなったお腹を微笑みかけながら優しく撫でた。するとそれに応えるように、小さな衝撃が手のひらに伝わってきた。
「おっ、蹴った?」
「ハイタッチじゃないかしら? 『パパすごーい』って」
「そうかぁ、パパやったぞー」
下がっていた目尻がさらに下がってしまう。アヤさんが声色変えて娘になりきっているのがなんとも面白く、微笑ましい。その顔は初めて会ったときの隙のない冷たい殺し屋の顔ではなく、全てを包み込むような温かみのある母の顔になっていた。しばらく撫で続けていると、さっきよりもやや強い衝撃が返ってきた。
「今度はなんて言ってるのかな?」
「『パパしつこーい。きらーい』、だって」
「そんな!?」
世のパパのほとんどが経験し心を抉っていくという、あの『パパイヤ期』がもう来たというのか? まだ、「大きくなったら、パパと結婚するー」も聞けていないのに……。
「『お母さん、わたしとお父さんの洗濯物は別に分けて洗ってー』」
「違った、思春期だった‼」
したくてしたくてたまらなかった、くだらない掛け合い。すると、アヤさんはふと立ち上がったかと思うと、俺に向き直ると両手を広げた。
「おかえりなさいトモ。ご飯にする? お風呂にする? それともワ・タ・シ?」「そうだな、まずはお風呂かな。汗と血で汚れたし」
「そこはまずワタシでしょ?」
少しの間見つめ合ってから抱きしめた。これまでだって惰性で抱きしめていたわけじゃないけど、今までで一番力強く抱きしめた気がする。アヤさんの無事と再会の喜びを感じられるように。これから生まれる娘の命をお腹に感じるように。少しだけ日常に戻れたことを感じられるように。
「やっぱり汗臭いし血生臭いわね。帰ったらすぐにお風呂にしなさいよ」
「だから言ったじゃん。じゃあ今日は久々に一緒に入る?」
「……お腹膨らんでるから浴槽に一緒には入れないわよ?」
「いいんだよ。三人でお風呂場にいればいいんだよ」
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