第6話 キミを忘れず

 翌朝、夜遅くまで起きていた俺たちは朝風呂に入り、遅めの朝食をとった。残念ながら朝風呂は個室露天風呂ではなく、男湯と女湯が入れ替わった大浴場に入った。アヤさんが紅葉狩りがしたいと言うので、俺たちはロビーへ向かうと女将さんに会った。


昨夜ゆうべはお楽しみでしたね」

「はい、それはもう—」


 楽しかった、その言葉はアヤさんに照れ隠しで頭を叩かれ飲み込まれた。グーはダメだ、せめてパーだろ。女将さん曰く、夫婦やカップルが宿泊した際には、必ず言って相手の反応を楽しんでいるそうな。まったく、いい趣味をしている。


 山のハイキングコースを歩きながら紅葉を楽しんでいると、イケメンが双眼鏡を覗いて景色を眺めていた。俺たちの存在に気付いた彼はこちらを向くと、ひどく驚いた顔をしていた。そしてすれ違うまでずっと俺たちのことを見つめていた。


「アヤさん、あの人と知り合い?」

「人の顔をじろじろ見るような失礼な奴なんて知らないわ。さっさと行きましょ」

「そう、ならいいけど」

菖蒲あやめ‼」


 さっきのイケメンと思われるイケボがアヤさんを呼んだ。やっぱりアヤさんの知り合いじゃないか。すると後ろから走る音が聞こえたかと思えば、そのイケメンが俺たちの前に立ちはだかった。


「オレだよ、オレオレ‼ 紫苑寺しおんじ だよ」

「誰? オレオレ詐欺なら電話でしなさい」

「ヒドイなぁ、菖蒲は。まさかオレのこと忘れたの?」

「忘れるもなにも、覚えがないもの」

「最後に会ってからさらに綺麗になったけど、冗談キツイところは変わらないなぁ」


 やけにイケメンもとい紫苑寺に当たりがキツイなとアヤさんの方を見たら、とても嫌そうな顔をしていた。ただでさえ三白眼なのに、さらに目つき悪くなってる。紫苑寺はアヤさんとどんな関係だろう。もしかして元カレ?


「菖蒲が結婚したって風の噂で聞いたけど、隣にいる彼が旦那かい?」

「別にアナタには関係ないでしょ」

「関係ないってことはないだろう? だってオレたちは元恋ビャアアア!?」


 紫苑寺が言い終わる前に、アヤさんが腕の関節をキめて押し倒した。やはり元カレだったか。アヤさんは美人だから、彼氏の一人や二人いただろうなと思ったけど、実際に会うとなんかショック。


「トモ、勘違いしないで。コイツとはパートナーだったってだけよ」

「ってことはコイツも殺し屋なのか」

「仕事のパートナーってだけじゃないだろ? よく一緒に寝た仲じゃなイィィ!?」

「そうだったのか!?」

「依頼で寝食を共にしただけ。アスター、冗談が過ぎると逆パカするわよ?」

「オレの腕をひと昔前のケータイみたいに折ろうとしないでよ、もうしないから」


 アヤさんがやっと腕を離したところで紫苑寺ことアスターは立ち上がり、服に付いた土ぼこりを払った。肩を回したり肘を動かしたりしながら、自分の腕の無事を確かめていた。本当にただの同僚だったんだなと、かなりホッとした。


「でもコードネームじゃなくて、前みたいに下の名前のきらって呼んでほしいな」

「紫苑寺 きら……ザ・キラキラネームだな」

「『きらきら輝く星のように』って意味がちゃんと込められてるんだよ‼」

「ん? 殺し屋キラーきら?」

「人の名前をつまらないダジャレで遊ぶな‼」


 紫苑寺は俺を上から下へ舐めるように観察し始めた。同じ男でもイケメンにそんなに見つめられると、なんだか照れる。それにしても、こんな山奥の温泉地でアヤさんの仕事のパートナーに会うなんて凄い偶然。こんなこともあるんだな。


「菖蒲は昔から万能だったけど、男を見る能力は無かったようだね」

「なんだと!?」

「昔からダメ男に弱いのよ」

「俺のフォローは!?」

「冗談よ、トモ。アスター、ワタシの旦那はイイ男よ。アナタよりずっとね」

「じゃあ勝負しよう。菖蒲と依頼を賭けて」

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